山上徹也の母親は統一教会に入信すると幼い子供たちを置き去りにして韓国で奉仕に励む また教団に一億五千万をお布施して破産して家族離散。それでも山上母は信仰を辞めません
カルトでは山上母のように生活が破綻しても奉仕活動に人生を費やす人が多いのです
カルト信者はメサイアコンプレックスです
メサイア=救世主
自己肯定感の低い人が誰かを救うことにより。感謝されるなどにより、誰かの救世主になることにより自己肯定感を高揚させる。一見美徳だが救世主になりたい欲望が強すぎると 親切の押し売りになります
「幸せ」というのは人によって相対的です。メサイアコンプレックスの人は幸せが相対的と理解できません
感謝されるために独善的な親切を押し付けます。押し売りしながら「感謝しない」と不満になり鬱になったり、攻撃的になります
親切の押し売りは周囲を巻き込んでいきます。本人は善意のため周囲の損害に気づいていません。やがてはメサイアコンプレックスに陥る人は孤立していきます
人助けは気持ちいい
ボランティア活動に従事する人のアンケート結果、ボランティア活動は幸福感と健康に関連していることを示している。人を助ける活動のあとでは充足感を持つ、社会的に孤立することなく、自己評価も高いのです
人を助けると高揚感が得られ肯定的な心理状態になります
世話好き、尽くす人、自己犠牲は美徳に見え ボランティアをすると誉められます
そのため劣等感が強ければ強いほどボランティアにはまるのです
誉められると「自分は人を救っている」という承認要求が満たされドーパミンが放出されます
ドーパミンが過剰に放出される快感は麻薬のように気持ちがいいのです
もっともっと「人を救いたい」とボランテアをしてしまいます
酷いと自分の家族を犠牲にしてまでボランティアをしてしまう人もいます
病的に尽くす人をメサイアコンプレックスと言います
例 1
頼んでもないのに「あなたのために」と勝手にやりやがり 仕方なく付き合ってあげたら
「この間あなたにこうしてあげた。だから今度はあなたが私に付き合う番だ」
「こんなに尽くしているのに感謝しない」(と愚痴るめんどくさい奴
承認要求
人間は承認要求があります
- 他人に尽くして感謝され良い人と見られたい
- 他人の人生に影響力を及ぼしたい
- 重要な人物にみられたい
という要求があります
自己犠牲は難しい
本当の自己犠牲とは失うだけで得るものがないのが自己犠牲です
アンパンマンはなぜ自分の顔を食べさせるのか?
初期のアンパンマンより
アンパンマンは穴に落ちた象の子供を助けます
お腹のすいた子象に自分の顔を食べさせる頼もしいアンパンマン
子象を親元に返すためアンパンマンは付き添います。道すがらお腹をすかせた子象に顔を食べさせます
顔はアンパンマンのパワーです。アンパンマンは力がどんどん衰え力がなくなり力がなくなります。子象がアンパンマンを背にのせます
子象とアンパンマンの立場が逆転しています
途中で怪物に出くわします。怪物は子象を食べようとします。アンパンマンは自分の顔を怪物に全部与えます。怪物は甘いものが嫌いなため倒れます。力の源を与えたアンパンマンは子象を母親のもとに返します
ジャムおじさんのもとに帰るアンパンマンを象親子が見送ります
アンパンマンは自己犠牲の物語です
やなせたかしさんは子供たちに人に親切をしてほしいと伝えながらも「自己犠牲は難しい」ということを伝えています
素晴らしいですね。やなせたかしさん
自己犠牲とは失うだけです
人に何かをすることは失うだけであり 「人助けは気持ちいい」と思えるならば、それは人のためではなく 自分のためにしているのです
承認されるために行う親切は自己犠牲ではなく
自分のためにしているのです
承認されるためにした親切は犠牲ではなく搾取です
相手に自己犠牲的に献身しているように見せかけているが結果としては自分の得になるようにして巧妙に相手を支配しています
誰かに影響力を持ちたいという要求は支配要求です
実際は人を救うことにより自分の劣等感を合理化しているのです
本人は人助けのつもりですが
結局は
自分の心の葛藤を、他人を巻き込んだり利用して解決しようとしています
親切の押し売りで 恩を着せています
本当に人助けのために親切をする人は見返りを求めません
見返りを求めるならば自分のためにしているのです
頼まれてもいないのに親切を押し売りをして見返りを期待することは親切ではなく
小さな親切大きなお世話です
このような人の親切は重荷になります
本人は自分の言動は人助けのためであると信じていますが
他人を巻き込みますから周囲の人はいなくなります
「どうしてみんなわかってくれないの?」
結果 その人は孤立していきます
このような独善的な人はカルトと親和性があり怪しいカルトや自己啓発にハマやすいのです
独善的なメサイアコンプレックスの人は現実の世界では鬱陶しい存在ですがカルト教団では用いられ認められます
善意の押し売りが得意で生き甲斐のメサイアコンプレックスにとって勧誘活動は天職と言えるでしょう
カルト宗教では教団はボランティアすることを評価します
信者は利用されているだけですが、教団から誉められると自分は認められていると思い込みます
山上の母は 幼い三人の子供を置き去りにして宗教ボランティアに励みました
このようにカルトでは
子供、家族をほったらかしにしてボランティア活動を夢中になる母親が多いのです
このように本来の責任(家事、育児)から逃げることこそが自己犠牲と誉められます
誉められたら「私は特別」と優越にひたりますますカルト親は家族をないがしろにして
ボランティア活動に励みます
山上家の悲劇
旦那 京大、母 大阪私立大学の資産家の娘のエリート家族
山上父は 仕事上のストレスから家庭内暴力をし始める
長男が小児がん
度重なる不幸に母親は宗教に救いを見出だす
家族を蔑ろにして宗教活動をする妻に絶望して父自殺
山上母は自分の信仰が間違っていると統一教会に鞍替え
山上母は統一教会に一億五千のお金を献金して、小児がんの長男と幼い子供たちを置き去りにして奉仕活動しました
「母が宗教奉仕で帰ってこない」という長男の電話で駆けつけた親戚が冷蔵庫を開けると食べるものはほとんどありませんでした。山上母は全ての金を献金して破産します
成績優秀であった長男と次男は大学に進学できません
父 自殺
長男は自殺
次男は殺人を犯します
安部晋三は殺され
誰も幸せになっていません
それでも山上母は自分は人を世界を救済していると信じて疑いません
山上母はメサイアコンプレックスに陥っています
もともと山上母は小児がんの長男を救いたい一心で宗教に救いを求めたはずです
山上母は洗脳により、認知に歪みが生じてメサイアコンプレックスになりました
「幸せ」とは人それぞれであり、親切は押し付けるものではない
いきなり他人の家に押しいって「聖書を無償で教えます」というのを最大の愛と洗脳されたカルト信者は洗脳によって認知が歪んでいる
「あなたは洗脳されている」と話しても逆恨みするから厄介である
身内がメサイアコンプレックスになると山上家みたいに人生が詰みます
メサイアコンプレックスの人は自分が家族の救世主と信じているが
実際は疫病神か貧乏神である
善意でやっているのは理解している
メサイアコンプレックスにとってカルト宗教は約束された安住の地であり
カルトはメサイアコンプレックスの人々を食い物にしようとしています
日々の生活、自己肯定感を充実させてあげる
幸せは人に押しつけられるものでなく、押しつけるものではなく 自分でつかみとるもの。幸せは人の数だけあるというのを理解させましょう