母はエホバの証人で1975年の終わりの日を信じ集会に通っていた。2002年から集会をお休みしていますが頭の中はエホバの証人です。集会には参加しないが今でもエホバの証人の話を嬉しそうに話します
「A姉妹(会衆の女長老)がね。うちの娘(会衆の模範)ったらね。大きくなったらなになりたい?と聞いたら、娘は"長老の奥さん"と言ったのよ」得意げに母は話していた
普通は保母さんとかお嫁さんとかだよ。そんなこと本気で言う子供がいたら気持ち悪い
「そんな本心じゃないよ。お母さんに言わされたに決まってるじゃん」
「でも、A姉妹(母親)がそう言ったのよ 」
「娘は排斥されたじゃん」
母「Kちゃんは集会いくの大好きだと言っていたわ」
「離れちゃたよ。集会でいつもつまんなそうだだったし、本当に集会好きなら離れる訳ないじゃん」
母「でもHちゃんは集会いくの楽しいと言っていたわ」
「自立神経失調症の子ね」
母「原因がわからないんですって」
「心から集会いくのが楽しかったら自立神経失調症にならないよね。精神が病むのはストレスが原因でしょ。エホバの証人が原因じゃないの?」
エホバの証人は物事の価値観が世間一般とズレています
エホバの証人の価値基準は1つしかありません。それをエホバの証人的に「真理」といいます
他人の家に押しかけ自分の「真理」を押し付けます。それがエホバの証人の正義です
自分が何を信仰するか、何を人生の目的するかどんな価値観を持つのは本人の自由です。それを人権といいます
世の中には人間と同じ数だけ様々な価値観があることがエホバの証人は理解できません
エホバの証人と同じ価値観を持つことを拒否した人間は邪悪なサタンと決め付け糾弾します
他人はキッパリ断ることはできます
子供は断れません
エホバ親は自分と同じ価値観を持たなければ愛しません。親と同じ価値観を持たないならサタンとか邪悪などレッテルを貼られます
子供は親に愛されなければ死ぬしかない
子供は仕方ないから
「エホバ好き 集会好き」
と言わされているのだが、親は子供が本心から言ってると喜んで集会で自慢するのです
例えば女長老A姉妹
A姉妹" 「Lちゃん大きくなったら何になりたい?」
Lちゃん「スチュワーデス」
「世的だわー」
全人格否定するでしょう。エキセントリックなA姉妹じゃ
あなたの中のサタンを追いだす
とお尻を叩くかもしれません
娘「開拓者」
A姉妹「目標は高くしなさい」
ほんとは「特別開拓者」と言わせようと誘導している。そう答えたら何かことあるごとにA姉妹から
「あなた特別開拓者になるって自分から言ったねよね」
と脅して常にハッパかけられる。そんな母親の思惑がわかったから仕方なく
「長老の奥さん」
と答えるしかなかのでしょう
自分の将来なりたいものさえ自分で決めさせてもらえないエホバ2世
将来なりたい夢さえ見れないエホバの証人の子供たち
子供が「集会行きたくない」と言ったらエホバの親は何と言うでしょうか?
「○○ちゃんハルマゲドンで滅ぼされるわ」
死ぬと脅したり
「サタン的だわ」
自分の思い通りの言動をとらなければ子供の全人格否定します
全人格否定どころか道具を使った体罰で脅す親までいます。だから
エホバ好き
集会好き
と言わざる得ないのです。その証拠にほとんどの2世の子は目が死んでいる
集会なんてまるで怪しい通信販売の広告みたいなわざとらしい経験とエホバの証人の自画自賛ばかり
子供が楽しいはずありません。(9割は嫌がっている)
エホバの証人の親は子供には子供の人生があるということを理解できません。エホバの証人としての人生を強要します
1歳くらいまでの子供は、自分と世話をしてくれる母親と同じものだも思っている。それが話したり歩いたりするようになると、自分と母親が別個の存在と理解をはじめる
第一次反抗期
子供の一個の人格、独立した個人として自我を確立する時期
第2次反抗期
子供が自立した大人になる人格の完成期です
反抗期とは子供の精神の成長と自立です
ところが、エホバ親は子供の人間としての精神の自立を
「反抗的」
「親に不従順」とみなします
第一次反抗期なら体罰
第二次反抗期なら、体罰は効かないから「サタン」と非難して全人格否定します
エホバ2世は精神の自立ができないまま成長して歪んだ大人になる
子供には自分の考えがあり、信仰、仕事、どのような人生を歩むのかを自分で選ぶ権利があります
エホバ親は子供を自分の都合いいように支配できる道具としかみなさず自分と同じ信仰、価値観を持たなければ愛しません
エホバの証人の子供は
- 将来の進路、職業を自分で決める権利
- 信仰を自分で決める権利
- 言論の自由
がありません
エホバの子供たちは人権はない
言いたいことも言えないこんな世の中じゃ・・・毒親
byアドラー
子供はみな個性豊かです。自分で何かを創りだし、自分で物事を考える力があります
自分の感情を押し殺した子供は「無感覚、無感動」な人間になります
子供には私たち大人と同じように感情を自由に表現できる権利があります
親は子供の怒りや要求不満といった子供のマイナス感情も受けとめなくてはいけません
子供が自分の考えや感情をきちんと言葉で表現できるように導くのが親の仕事です