カルトの心理学

私は赤い獣にまたがっている一人の女を見た。この獣は全身至るところ神を冒涜する数々の名で覆われており、七つの頭と十本の角があったーヨハネ黙示録17章3節

江戸時代 思想、文化

 徳川家康征夷大将軍に任命された

武家諸法度

参勤交代

河川工事

城造り

を命じ大名たちの経済を圧迫し反乱を防いだ

参勤交代はお金がかかるため一日40kmくらい移動しました

加賀百万石とは

「石」は重さをはかる単位

1石=180ℓ

一升瓶=1.8ℓ

一合=180mℓ

1石は一人が一年に食べるお米の体積のこと

加賀百万石は100万人の人間を養えるということだ

スペイン、ポルトガルの侵略を恐れた幕府は

1612  キリスト教禁止  

キリシタン迫害を始めた

1637  島原の乱

鎖国

士農工商

幕府は社会秩序を重視する儒学  朱子学を保護した

江戸幕府の封建的な幕藩体制(縦社会)にとって都合が良かった

「洗脳ね」

林羅山(1583〜1657)

上下定理分の理   目下の者は目上の人を敬う

私利私欲を捨て自分本来の心を保つ

陽明学   中江藤樹(1608〜48)

横社会(家族関係など)で生じる自然発生的な孝(愛し合う心)時、場所、身分に応じた形で実践される

幕府から革新的思想と警戒された陽明学大塩平八郎吉田松陰の思想に影響を与えた

儒教 古学派

山鹿素行(1622〜85)抽象的になりがちな朱子学を批判し、聖人の教えを直接学ぶとる古学を主張した。原始儒教の回帰

戦国時代以前の武士道の考察

武士は支配階級として人格を高める士道を心得るべきである

伊藤仁斎(1627〜1705)「論語」「孟子」の精読

(私心のない純粋な心情)日本古来の伝統を重視する。幕末志士たちに影響を与えた

荻生徂徠(1666〜1728)中国語の原文で理解するべき

理想的君主が世を安心して民衆の暮らしを守る

学問の目的は経世済民(世を治め民を救う)とした

文治政治

1680 5代将軍徳川綱吉

家制度(長男のみが財産を受け継ぐ)

男尊女卑の思想

1685  生類憐みの令

1709  正徳の治  新井白石  儒教に基づく文治政治

1715  新井白石 金銀を制限し流出を防ぐ

元禄文化

井原西鶴  浮世草子

近松門左衛門   歌舞伎の台本

松尾芭蕉   俳人

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わび(幽玄の美)静なる美をはじめて表現した

それまで カエルの「鳴き声」が美しいと表現していたのを「蛙の飛び込んだ水のかすかな音に注目し静けさを引き立たせる

尾形光琳

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菱川師宣   浮世絵

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俵屋宗達

金、銀の産出量の減少

江戸の大火事

富士山の噴火による財政悪化

享保の改革

1716  8代将軍 徳川吉宗

背丈 180cm(平均身長160満たない)で体格も良い。江戸時代から1日3食であったが「身体を養うには1日2食で十分。それ以上は贅沢だ」質素倹約な将軍

質素倹約令

公事方御定書 (裁判の基準のまとめ)

目安箱(町民の声を聞くため)

参勤交代軽減の代わりに米を献上させた上米の制

新田開発

年貢の取り立ての一律。4公6民から5公5民にした

青木昆陽  サツマイモの栽培(ウィリアム=アダムス 三浦安針が持ち込んだ)

朝鮮人参栽培

1728年 象、海外の馬など珍しい動物を日本に持ち込んだ

米の値段は不安定

こうして幕府財政は持ち直した

1732  享保の大飢饉 イナゴ大量発生

打ちこわし

百姓一揆

が頻繁に起こった

幕府の財政はもちなおしたが、重い年貢、倹約令に苦しめられて庶民の評判があまりよろしくない

1772  田沼意次の改革  (10代将軍徳川家治)この頃アメリカ独立宣言、イギリス産業革命

商業資本を積極導入、経済を活性化することによる改革

株仲間

統一通貨

印旛沼(千葉県)の開拓→失敗

蝦夷地(北海道)を最上徳内

賄賂の横行

1774  杉田玄白前野良沢が解体新書を和訳

1782  天明の大飢饉  東北地方の冷害による不作

浅間山の噴火による飢饉

飢饉により多くの農民が借金のかたに土地を失った

一揆、打ちこわしが増えた

徳川家治が病気で死去。田村の紹介した町医者に診察してもらった後に家治の容体が悪化。田村の暗殺という噂も流れた

田沼意次は責任をとらされ謹慎の身となる

寛政の改革

家斉(15歳)十一代将軍

1787 老中 松平定信の質素倹約令

株仲間解散

飢饉に備えて米を蓄える

人足寄場 (犯罪者、農民やめた人たち)

芝居禁止

派手な着物禁止

銭湯は混浴禁止

風紀を乱す本など出版禁止

1790  朱子学以外の抗議禁止(異学の禁)

林子平(1738〜1793)

「海国兵談」

蝦夷地にロシア船がよく訪れたことから、林子平は外国に対して防衛しようとする本

幕府は民の不安を煽るとして「海国兵談」を絶版にして林を謹慎処分にした

言論統制ね」

しかし林の警告は現実となってしまうのである

1792  ロシア🇷🇺エカテリーナ2世がラスクマンを根室に派遣した

漂流民となった大黒屋光太夫以下3名を届けに来た

さらに、ロシアは日本との通商を求めた

漂流民を連れて来てくれた道理的なロシアに対し上陸させないのなら、日本が非難されるだろう

幕府はロシアに対しなかなか答えが出せず

ラクスマンと光太夫たちは7カ月も根室の船で待たされた

1793年6月 決まった国としか通商しないという古来からの祖法により取り引きができない

長崎の入稿許可書を渡し、漂流民を受け取りラクスマンにはロシアにお帰りしてもらった。次の月定信は老中を解任された

化政文化

歌舞伎

川柳、狂歌

小林一茶

与謝蕪村

葛飾北斎(1760〜1849)掃除が嫌いで引っ越し93回

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喜多川歌麿

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滝沢馬琴   南総里見八犬伝

十返舎一九   東海道中膝栗毛

1774  杉田玄白前野良沢  解体新書

国学

理性の儒学に対し 日本古代の精神、心情

賀茂真淵(1697〜1769)  「万葉集」の研究

本居宣長 (1730〜1801)「古事記伝」「万葉集」の研究、体系化

皇室を尊敬するという尊王論が唱えられはじめたら

蘭学

青木昆陽   殖産興業のために徳川吉宗から命じられ蘭学を学ぶ

シーボルト  🇩🇪 医者  鳴滝塾  渡辺崋山高野長英が弟子

緒方洪庵   適塾  福沢諭吉の師匠

石門心学  

石田梅岩(1685〜1744)商売によって得られる営利の正当性を経済的、社会的役割から説く

安藤昌駅  農本主義

差別、搾取の横行する封建社会(法世)を批判して自給自足の平等社会(自然世)を理想としていた

著者  「自然真営道」

二宮尊徳(1787〜1856)

天道(自然の恵み)と人道(人間の働き)を合一することで農業は成立する

伊能忠敬   日本地図

外国船が頻繁に現れる

1825  異国船打払令

1828  日本地図、書物をオランダに持ち出したのがばれて、シーボルトを追放。シーボルトは母国で日本研究家になった

1833  天保の大飢饉

苦しむ民に対し何もしない幕府に危機を感じた大塩平八郎

1837  大阪で大塩平八郎の乱

1日で鎮圧。大塩は自害

1837  モリソン号が漂流民を救助したが幕府は撃退した

この事件を批判した

高野長英   (医学)「戊戌夢物語」

渡辺崋山(洋学)「慎機論」

らの蘭学者

1839年に処刑(蛮社の獄)

1840  アヘン戦争

1841   天保の改革  老中  水野忠邦

株仲間の解散

質素倹約

嬢知令  江戸と大阪の土地を全て幕領とす御触れ

大名、農民たちは反発して水野解任

清がアヘン戦争で外国に敗北したことを知った政府は怖くなり

1842  浸水給与例で異国に対し態度を軟化した

異国から開国を迫られる幕府

高杉晋作は異国に対応するため奇兵隊を結成

1853  ペリーが浦賀(神奈川県).にやって来て開国を迫る

日米和親条約

大老 井伊直弼(彦根藩)は考えた

アヘン戦争でぼろぼろ負けした清。これ以上異国船を追い払えば清と同じ運命わたどる

開国を訴える

水戸藩徳川斉昭といがみ合う

1858  日米修好通商条約

関税自主権がない

領事裁判系不平等条約

海外の安い糸、綿織物が輸入され、金は溜出し人々の生活は苦しくなる

外国の言いなりのヘタレな幕府に武士たちは

「もう 幕府はいらない」

尊王攘夷の思想が広まる

井伊直弼は攘夷派を弾圧

吉田松陰   松下村塾    教え子 伊藤博文

橋本左内  など14名処刑(安政の大獄)

吉田松陰の処刑により伊藤博文松下村塾の仲間と共にイギリス領事館に放火し、幕府の要人を暗殺。テロ活動にいそしんだ。その後博文はイギリス留学し異国の文化を学ぶ

1860  水戸浪士により井伊直弼暗殺(桜田門外の変)大老、幕府の重要人物が次々と倒幕派により暗殺された

一揆、打ちこわし

外国人襲撃

幕府は

「14代将軍を倒幕派から守る強い人募集!身分を問いません」と求人募集した。この求人に応募し採用されたのが新撰組である。最初のメンバーは24人だったが池田屋事件で多くの倒幕派を捕まえた新撰組は有名になり最大200人にまで増えた

1862  幕府は14代将軍 徳川家茂正室天皇の妹和宮内親王を迎え入れる公武合体政策

1862  生麦事件 (横浜)

島津藩大名行列の前を4人のイギリス人が馬に乗ったまま通り過がった。大名行列では大名が通過するまで土下座しなくてはならない。彼らは知る由もない

島津藩士の逆鱗に触れた

最新式の兵器で不平等な数々の条約を押し付け

さらに大名行列を挑発するように通り過ぎる

侮辱と感じた島津藩士たちイギリス王に襲いかかる。逃げ遅れたイギリスの男性1人が殺された。殺された男性は何がなんだかわからないまま殺されただろう。イギリス男性にご冥福

当たり前だがイギリスに報復され

1863  薩英戦争

薩摩藩  最新式武器のイギリスにぼろ負け

長州藩 外国船に砲撃

英語の話せる伊藤博文はイギリス、フランス、オランダ、アメリカと停戦交渉し戦争をくいとめた

長州藩(山口県)木戸孝允  

薩摩(鹿児島)西郷隆盛大久保利通

)最新兵器を持つ外国に対して尊王攘夷が難しいと悟り開国に方向転換する

坂本龍馬

尊王攘夷派の坂本龍馬は開国論派の勝海舟と会話する

アメリカに2年滞在した。勝海舟アメリカ、西洋文明について語る。日本も開国して外国に学び強い国を作るという勝海舟に惚れ込んだ

「これからの時代黒船を持ってるヤツが偉いんだぜ!」

勝海舟の海軍造船所に入り黒船で海を渡る技術を身につけた。薩摩藩の助けを借りて亀山社中後の海援隊という日本初の商社をつくり海外と貿易をはじめる

「わしがイギリスから買い付けた武器を長州に送るから、代わりに長州から薩摩に足りない米を渡すぜよ」

薩摩藩(鹿児島) 西郷隆盛

長州藩(山口)桂小五郎

を仲立ちした

1866  薩長同盟(幕府を倒す倒幕運動)により倒幕派は加速した

薩摩藩は長州戦争に参加しないことを表明して幕府は長州戦争に失敗

船中八策(大政奉還白書)を幕府に提出

薩摩、聴取と幕府が戦っても負けると確信した慶喜

1867  15代将軍徳川慶喜大政奉還

坂本龍馬暗殺(享年33歳)

岩倉具視

王政復古の大号令

「めでたしね」

「世の中そんな簡単にいかないわ

1192から続いた武士の時代→300年間の徳川の引きこもり政治

著しい改革は革命

著しい改革は国が混沌とする

新政権は徳川家を締め出した

それな対する保守層、民は納得いかない

西郷は考えた

「武力で徳川を倒せばいいじゃない」

「新政府が一方的に徳川を武力排除したら、民は徳川につくわ。攻める大義名分がないと」

幕府の建物が放火、略奪、暴行などの事件が相次いだ。薩摩藩士の仕業である

徳川は薩摩を打ちに京都に向かう

徳川が動いたという知らせを聞いて西郷は「これで徳川をうてる」

旧幕府軍は鳥羽、伏見で待ち構えた薩摩、長州藩、新政府軍と戦う

1868  1月 鳥羽伏見の戦い

御旗を掲げてた新政府軍。幕府軍は「賊軍」になった。徳川軍は総崩れ。徳川慶喜江戸城に避難

3月15日  西郷率いる官軍(新政府軍)は江戸城総攻撃を決行

3月14日 総攻撃を防ぐため勝海舟は西郷と話し合う

江戸城総攻撃するならば武士たちが黙っていない。内乱になるだろう

3月15日  江戸城無血開城

徳川慶喜は水戸に謹慎

各地で武士たちの内乱

彰義隊を名のる旧幕臣たちが上野に立てこもるも官軍の大砲によって鎮圧

東北では30の藩が抵抗→鎮圧

白虎隊(16歳、17歳)城が燃えていると全員19人が自害。一人奇跡的に命を取り留めた少年は電気技師になり、日清戦争では朝鮮半島で電線をひいた

1869  5月  函館の五稜郭に立てこもって最後まで抵抗していた榎本武揚が降伏し戊辰戦争終結した

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伊藤博文  テロリストから総理大臣に就任

無類の女好きで明治天皇から女遊びを控えるよう注意されている