松本智津夫の3女 アーチャリー 彼女は日本で最も有名なカルト2世
彼女を有名にしたのは報道陣に向かって「アッカンベー」の写真だ。写真は目が伏せられていたが性格も、顔も父親ソックリ‥とそれがスポーツ新聞に掲載されたことによって「アーチャリー」日本中に知れ渡る
アーチャリーと呼ばれた少女
1983 4月 松本智津夫(28歳)の3女として生まれる。3女が生まれた時には、麻原彰晃として渋谷でヨーガ教室を開いていて父は家にはほとんど帰ってこなかった。母はは引き篭もりがち 母は公園で我が子と遊ぶことはしなかった。わざわざ遠くのスーパーで買い物をした。(夫の薬事法違反逮捕などからのストレスによる対人恐怖症)父がたまに帰ってくると
太陽のない世界に、太陽が来た(次女)
と子供たちは喜んだ
母は外では愛想良かったが子供たちには冷淡だった。母の言っていることがよく理解できず「〇〇ってなあに?」と尋ねると「バカじゃないの」と返し無視されるので子供たちも黙り込むしかなかった
3歳で家出
3歳の時、母に怒られ頬を平手打ちされた。泣くと「泣き止みなさい」。3女怖いから泣きやめようと息を呑み込もうとしたら「どうして泣き止まないのよ!」もう一発平手打ちされた。母の冷淡さに耐えかねてプチ家出をしたこともあった。母は優しい時もあった。(松本母はおそらく鬱病だろう)ほかの子供たちも母を肯定的にみてはいない
優しい父と冷たい母
蚊に刺されると痒くて嫌だね。でも蚊も生きているんだよ。私たちは死んだあと生まれ変わるんだよ。もしかしたら私たちも蚊に生まれ変わるかもしれないよ
蚊を殺す母と蚊も殺さない父 子供たちは父のほうを尊敬していた
画像 現代ビジネス
3女の記憶には 子供を突き放したような態度の母に対して3女の目の前で
「アーチャリーは屈折しているだけで、やソーダラ(母)に愛されたいと思っているんだよ、ちゃんと応じてあげだらどうだ?」
「あらー、アーチャリー、そうだったの〜?知らなかったわ!よしよししてあげるわよ」その言葉に3女は凍りついた
母は宗教心はなかったが、父の本の原稿を執筆していた。千葉県船橋に家族全員で一つの部屋で寝る小さな家に住み余り裕福ではなかったが、やがて教団がどんどん大きくなっていく
1988 8月( 5歳)オウム真理教富士山道場が完成され船橋から道場に移転した。サマナ(出家信者)はお父さんを「先生」から「尊師」と呼びようになった。当時、教団内の階級は流動的で、降格もすれば昇格もあった
12月にアーチャリー(先生)というホーリーネームを与えられた
5歳の時くらいから「死にたい」と思った
- 富士山道場の移転後は母は子供たちの面倒を見なくなった
- 教団を離れる人が多い
- 代わりの世話係が頻繁に交代する
- 父、教団から期待をかけられ重圧に苦しむ
Q.オウムは理系エリート集団である
A 3女は否定する。理系エリートもいたが、むしろ社会に居場所がない人たち
などがオウムに入信していた
教団は、組織的に精神が未発達な大人サークルのようであり、神様のように宣伝された成就者たちには、エゴイストといっても過言ではない人もいたのが実態です
依存症
グルが全てを背負ってくれる
と信者たちは口癖のように語っていた
1989 坂本弁護士失踪事件
ニュースを知った時は「早く坂本一家が見つかるように祈っていた」と語る
弾圧
1990 教団は熊本県波多野村(人口2000人)の15haの土地を取得する。信者が沢山移転すれば選挙で村民議員を何人も当選し、村が乗っ取られると危惧した村人は「オウム出て行け」と反対運動を起こした。村は住民票不受理をする
警察の強制捜査の時、信者を警察が暴言を吐き、突き飛ばしたりした
当初は麻原の子供たちは私立小学校、出家信者の子供たちも公立の学校に通っていたが世論の非難により閉鎖的になり内に篭っていく
社会の偏見と出家信者の死を隠蔽したことをきっかけにオウムは次々に(自分たちにとって邪魔)と感じるものをポアしはじめ狂気に向かう
お父さん
お父さんは35歳で全盲になった
1988年「私は長くてあと5年だ」
1993年 「アメリカから毒ガス攻撃を受けている」ヘリコプターの音を聞けば「毒ガスだ」と避難したことも度々あった
「お父さんは幻覚、幻聴「内なる声」が聴こえていた」
3女は父を統合失調症ではないかと考えている。教祖は統合失調症が多い
遊園地や外食に家族をよく連れ出した。おもちゃも沢山買ってもらった
- 麻原は高級車好き ベンツ、ロールスロイスいくつも所有
- 信者には病気と言いながら 高級車7台で大名行列のように遊園地、ゲームセンターで家族で豪遊
- 信者には「スポーツをすると、来世では動物に生まれ変わる」といいながら自分の子には野球道具を買い与え 自分は子供と野球で遊ぶ
- カラオケ好き
自分の来世は 巨人軍のエースとして活躍する (麻原おっさん地獄)
1994 父の病状が悪化(美食で太り過ぎでは?)そのため教団は省庁制導入し、3女は11歳で法皇官房長官に任命された
この頃から社会性が更に失われていくと同時に、オウムの教義や価値観だけが正しいという雰囲気が強くなり、サマナが傲慢になっていたように感じます。救済してやる。自分たちは選ばれた民であるといった思想が強くなっていきました
1994 6月27日 松本サリン事件
教団内で鼻血、アトピーの気だるい症状を訴える信者が増えて教団が毒ガス攻撃を受けているという陰謀論がおきた
教団内では、アメリカは敵、フリーメイソン、ユダヤ陰謀論などが沸き起こる
壊れていく世界
3月22日 強制捜査
警察はアーチャリーの部屋を捜査した時の台詞
「おおアーチャリーお前はこんなもの読んでいるのか?」
(お菓子を見つけては)「こんなもの食べているのか?」
4月23日 村井秀夫刺殺事件
幹部村井が徐裕行という暴力団員に刺された。報道陣に取り囲まれている中堂々と犯行が行われたのだ。3女はサマナたちと村井に輸血をするために病院に忙いだ。しかし機動隊に長いこと制止され死に目には間に合わなかった
「警察が殺したに違いない」と次姉と復讐を誓いました
村井刺殺事件疑惑
- 犯行現場の青山道場はの出入り口はその日に限って施錠されていた
- 道場にいつも待機しているはずの警察官がおらず、村井が刺されてから警察官が駆けつけた
- 警備のサマナが村井の盾になろうとした瞬間誰かが後ろから羽交い締めされた
- 暴力団幹部の司令で犯行が行われたと犯人は証言したが、証拠不十分で幹部は裁判で無罪となる
村井秀夫が殺された理由
(.父が関わったとされる事件のほとんどは村井さんの指示だった)村井さんが「事件は全て自分が首謀した。自分が尊師の指示と偽って実行犯を騙した」と言わせないため、父を主犯にするために村井さんは殺されたと思っています
1995 父逮捕の日はゲームしながらかっ父が捕まらないよう」にと思っていた
3人の警察官がニヤニヤしながら3女の写真を撮影した(令状無しの写真撮影は禁止)。母、幹部たちが次々逮捕され、信者も去っていった
警察は父との接見を色々理由をつけさせてくれなかった。3女は他の兄弟と別々に暮らす
13歳の3女は「正大師」長老部の座長となった
3女主催のセミナーを開催
あまり厳しいセミナーのため、怪我、精神疾患を患う人が続出した(社会的経験のない13歳の少女を代表にするのがそもそも間違いなのだが)
1996 11月 サティアンを立ち退く絶えずマスコミに追い回されウィークリーマンションを転々とした
福島県いわき市に住む。香山さんという信者が世話係となり、転居、中学転入手続きをしたが教育委員会に小学校を通っていない3女は中学校に通えないと通告された
書類を提出し編入にこぎつけるが、3学年下の小学5年に編入になる(9歳くらいまで読み書きができなかった)しかし、地域の反対運動がおこる。学籍を貰うため自宅学習を受けることになった
猛勉強して中学卒業認定試験を合格が都立受験は失敗
1996 麻原子供たちは群馬県に移転すると、激しい反対運動が起こる。周辺に「オウム出て行け」などプラカードが乱立し
- ゴミ収集、汚物汲み取り拒否
- 電気を引き込みを邪魔する
「子供たちにサリンを飲ませろ!」と大声で叫ぶ群衆
教団は「謝罪と賠償」路線を考えるが長女は反対した。長女と幹部たちに溝がひろがった
追い詰められた子供たち
長女は日常の会話に支障をきたし、自分の世界に閉じこもっていく
次姉は熱湯修行で精神、体調を崩す
3女は大量に風邪薬を購入し、食べては吐くを繰り返す
姉妹対立
教団では3女派と長女派が対立する
長女(21歳)は長弟(7歳)を連れ去ったまま帰ってこない。3女は信者たちと弟を取り連れ戻しに行く。深夜未明にバールをもって門をこじ開けて侵入した
長弟を連れ出そうとすると長女から「お前なんて消えちゃえばいいんだ」と首を押さえつけられた。保護した長弟はご飯も風呂もせわされていなかった
3女、2女たちは不法侵入と長弟を「誘拐」したという理由で逮捕状がでた。長姉が警察に通報したのだ。暫く逃亡するが疲れて出頭する。次女はかなり厳しい取り調べを受けた
社会を知らない3女は物事を大袈裟に語る癖があり、警察からかなり疑われた。16歳の3女に対しキツイ取り調べはないが、2女には厳しい取り調べがあった
X君(長弟)もそのうちここにくるんじゃないか?犯罪者の血が流れているんだから
弁護士の松井先生が身許引受人になってくれたことにより2人共保護観察処分で済んだ
長姉のその後果物ナイフ所持で銃刀法違反で逮捕。
スーパーで1万円以上の商品を万引き。店員につかまると「無礼者!私は木更津の女王だぞ!」と叱りつけた。長女は壊れてしまった
世間のズレ
3女は連れ去り事件の後、自分がいかに世間の常識からかけられて離れているのを痛感した。「学校に通い学ばなければならない」
通信制の高校を出願したが断られ続けたが 日の出高校の通信制が受け入れてくれた
最初のアルバイトをはじめたが、勤務から1ヶ月後「アーチャリー」であることか知られて解雇。社長は申し訳そうに「君が悪いわけではない」謝罪した。コンビニでアルバイトは長く続いた
1999 上祐が釈放され教団を取り仕切る
2002年1月25日号のFRIDAYに写真付きで「アーチャリーは大学予備校通い」と報道される。予備校は静観してくれたが、長年働いたコンビニはシフトを入れてくれなくなり辞めざるを得なくなる
週刊新潮「被害者補償を忘れた麻原3女アーチャリーのカナダ大名旅行」と報道された。カナダ留学は本人がコンビニで働いたお金である
あなたが訴訟を起こして認められることはほとんどない。麻原彰晃の子供だから‥しかし何もしなければ何も変わらない‥何回も、何回も挑戦していかないと(松本先生)
報道の嘘
報道で父は酒池肉林の贅沢三昧だったとされているが本当の父はいつも質素な生活だった
2003年 武蔵野大学に合格した。入学式の2日前に入学拒否
利用された「アーチャリー」の名前
アレフは上祐の独裁化
- 父、麻原家を排除する
- 上祐は父の文書をパクった
「アーチャリーはこう言っている」など利用された
出所した母が復権し上祐と対立した。教団は母派か上祐派にわかれる
「アーチャリー正大師に指名された、長老部の座長です」
「座長であるアーチャリー正大師に師違いましょう」
教団と関係ないのに母にまで名前を利用された3女
2004 2月 一審で父の死刑判決が下された
和光大学、文教大学に合格。麻原の娘と知った和光大学は入学拒否。記者会見まで開いた。続いて文教大学も入学拒否通知を届けた
3女は文教大学入学拒否についての陳述書を裁判所に提出した
裁判所では
当時11歳だった債権者が上記のような地位にあったことは債権者が自ら望んでなったものではなく‥錯誤無効は出自にたいする差別であると
入学拒否は不当とされた。3女は文教大学に入学を認められた
初めての集団授業である。部活動も経験した。3女を避ける学生もいたが、友達になってくれる人もたくさんあた
心理学
大学では心理学を学んだそうです
カウンセリングを通して、私は徐々に自分と他人の区別をつけていくことができるようになってきました。それは自分の価値観を押し付けず、相手を尊重するということです
カルトの世界は境界線がありません。他者の距離感が分からず、さらに真理は一つと教えられているため、他者と考えが違うことか許せず、自分の価値観を一方的に相手の気持ちを考えず押し付けがちです。心理学を学ぶのは良い機会です
再会
2004 9月 父と接見。父は反応がなかった。オムツをつけ漏らさないように下はブルーシートが敷かれていた。3女は仕方なく一方的に話した。父が相槌を打っているようにもみえた。威厳のあった父の悲惨な状況を目の当たりにした2女と3女は鬱なる
1リットルの涙ってあるけど、本当に1リットル涙がでるね
カルト信者は鬱病だらけである
マスコミの虚偽の報道は数多く、公安に電話を盗聴され、尾行されたこともある。車に発信機を取り付けられたと三女は語る
2005 4女家出 4女は家族と絶縁する
世界中が敵になっても、私だけは父の味方でいたい
麻原は精神異常なのか
マスコミは父を「詐病」としたが、3女は父は精神疾患であると考えている
刑事訴訟法480条 刑の言い渡しを受けた者が心神喪失状態の場合、刑の執行を定めている
肯定派
林泰、中川は「麻原は精神崩壊した」とみている
否定派
早川、広瀬、土谷「麻原は精神崩壊するような普通のレベルではない」
麻原は自分の裁判では不規則発言をして心神耗弱といわれていた
しかし、弟子の裁判に証人として呼ばれた時
証人は「良心に従って真実を述べ、嘘はもうしません」という宣誓書を読み上げ、それに署名をします
麻原は目が見えないため、書記官が代わりに宣誓書を朗読し、麻原に署名だけを求めました
麻原は、読み上げられた文と署名する紙に書かれているものが一致するか自分で確かめられないから危険だと、署名を拒否しました
豊田、杉本の法廷では、弁護人が一計を案じました。宣誓の前に宗教の話をさせ、麻原が宣誓を拒否すると「だったら自分で書けば」と提案
麻原は「松本智津夫である私の筆跡以外無効」と書き、杉本の弁護人に文言を教えられながら署名した
その後に余計な文を書き込まれないように余白は手で切り取る用心深さでした(カルトはすぐ隣に)
一審で終了した裁判
2004年に死刑判決 二審を進めるために必要な手続きである控訴趣意書を、弁護団が期限まで提出しないという理由で一審で死刑確定
最高裁判までやるならば、麻原は老衰で死ぬだろう
疑問
常に名前を幹部たち、母にさえ利用された3女は父、麻原も弟子から利用されたのでは?という説が頭をよぎる
弟子たちが「尊師によく思われたい」とかけ引きをしていた。父の気を引くため
(週刊誌の記事から)「〇〇が危険な状態です」
(ヘリが上空を飛べば)「米軍が毒ガスを巻いています」
弟子たちは父の不安を煽っていた。また父に気に入られようと忖度した
地下鉄サリン事件は指令の村井は刺殺され、井上のリムジン証言のみであり、本当に父の命令かはわからない
3女によると 取り調べでは、警察に心理的、肉体的に暴行された信者が多数いた。警察に対する恐怖から逃れるために検察に都合の良い証言をした可能性を指摘する
死刑囚と面談
今まで生きていくのは大変だったでしょう。逮捕された自分よりも、外で生きていくあなたはどれほど大変だったか、そのような状況を作ったのは自分たちだ。迷惑をかけて申し訳ない(早川)
こういう立場にいると、命をつないでほしいと思う。お前には、命の尊さや大切さをしり、オウムの価値観から離れて生きて欲しい(端本)
麻原の娘として事件と向き合う
3女はオウム被害者遺族の本を読み被害者の苦しみを痛感した
人は、学ぼうとせず切磋琢磨しなければ、停滞してしまいます
カレー事件では、長男が児童施設で職員室からさえイジメにあっていたことをテレビてうったえました
秋葉原の加藤の弟は常にマスコミに付き纏われ、職を転々とし続けあげく絶望し命を経ちました
犯罪者2世は悲惨な壮絶な人生をおくります
社会的犯罪を犯す親が世間から常識が逸脱している場合が多いのです。社会常識から逸脱した両親の交友関係もそれなりです
赤子は、親をはじめ周囲の大人をみて真似をして成長する
これをミラーリングという。社会的常識が逸脱した大人しかいなければ、子供はそれをミラーリングするしかないのだ。子供は社会常識を知らないまま成長する
事件後 子供は罪がないのに、壮絶な差別、マスコミに付き纏われ、犯罪者の子供だから、警察も、自治体も守ってくれません。松本3女は中学校、高校さえ通えませんでした
加害者2世にとってこの世はは生きづらいどころか地獄です
私たちがカルトを攻撃すれば、するほど彼らは「やはり、教祖の言うとおり この世は悪だ」と彼らの信仰は深まります
加害者2世は親を選んで生まれてきたわけではありません。彼らには幸せに普通に生きる権利が保証されなければなりません
父(麻原)が逮捕された時から自叙伝を執筆するまで自分の時間は止まっていたと語る
「3女は今何をしているの?」
画像 本人 ツィッターより引用
松本麗華さんは心理カウンセラーとして活躍しています