松本総香(ペンネーム)
1989 教団施設で松本智津夫の4女としてうまれた。この時4女を取り上げた遠藤誠一は神秘体験をして 産まれたての赤子に恋をした。その後遠藤は4女の婚約者となる
2歳から1人部屋で寝ていた。母親に抱かれた記憶がない。身の回りの世話は、信者が代わる代わる行った
両親はよく喧嘩をしていた。父が母を言葉で挑発していた
パワハラ
子供たちは両親の折檻をよく受けた
さとかさんは信者たち皆んなの前で、父から下着を脱がされ生尻を丸出しでお尻を叩かれた記憶がある。男性信者までいたのだ。さとかはこの記憶がトラウマになっていた
モラハラ
麻原が自分の家族、つまり妻や子供たちを精神的に苦しめる場面はよく目にしました。特に長女の扱いは酷く、一人で泣いていれのを慰めたことも何度かありました(オウム真理教元幹部の手記)
姉は父に竹刀で叩く時、体罰を受けた理由を問うと「動物に言っても無駄だ!」と怒鳴られた
自分のされた不条理は耐えられない。相手に返せない場合はより弱い者に自分された不条理を投影する
姉の怒りは手近な弱い者に向かう
さとかはいきなり姉に水をかけられた。泣きながら水をかけた理由を尋ねると「動物に言っても無駄だ」と父の言葉を真似る姉
やり場のない怒りと悲しみ。総香は弟に同じことをして当たり散らす。「僕は何もしていない。どうしてこんなことするんだよ」と理不尽を訴える弟の涙にさとかはわれにかえる
オムレツ事件
母がオムレツをつくっていた。「これ運んでくれる?」と母から父のオムレツを手渡された。幼いさとかにとってオムレツ皿はずっしり重たく転んでオムレツ皿を割ってしまう。「父にまた暴力をふるわれる」と怯えるさとか
長女「この卵、どうしましょうか?」
父「さとかに食べさせなさい」
長女「破片が(卵に)混じっているので、危ないとおもいますが」
父「いや、食べさせなさい」
長女は破片を取り除けるだけ取り除き、4女はジャリジャリ食感のオムレツを食べた。長女以外の家族は知らんぷり
父は‥この人は人が死ぬことをなんとも思わないのだ。この人に逆らったら殺される
恐ろしい父だった。一方で、父は優しい時もあった。どんぶりに入ったメロンを「食べなさい」とすすめてくれた時もある
人体実験
ある日寝苦しくて起きると、信者たちがいて頭に電極を沢山取り付けられていた時もある
教団施設の生活
藤宮市から上九一色村に移転すると、家族が贅沢になってきた
毎日のようにファミレスに家族で出かけた
第六サティアン
麻原家族は第六サティアンを自宅にしていた。リビングにはルームランナー、ジャングルジム、2台のグランドピアノが置かれ子供たちは時折グランドピアノを弾いていた(オウムからの帰還)
毒ガス事件
教団施設が毒ガスが撒かれていると噂がたち、みんなが不調を訴えた
1993年秋 麻原のダーキニーの一人が湿疹ができた。麻原は第2サティアンの側にある肥料工場が原因とした。「あの工場は教団施設に毒ガスを撒くために作られたものだ」と断定しは杉本に工場を調べるように命令された。工場はオウム移転前からあり、ただの肥料の匂いだった。杉本は登記表を麻原に報告すると、意を唱えた杉本に退室を命じた。それ以来、麻原は、四六時中、政府や米軍から毒ガス高原を受けていると妄想を語り始めた
94年4月に名古屋で中華航空機の事故のニュースがおきた時、麻原は説法で「私を狙って大量のガスがまかれたからだ」と発言した
また 中川がガス探知機で毒ガス反応を検出したと報告をしたことが麻原の妄想を助長させた
(偽りの救済より)
この自分たちが攻撃されているという妄想がこうじて、毒ガスまかれるまえにまいてやれ!と麻原は追い込まれた
地下鉄サリン事件が起きると警察の強制捜査がはじまり、父、母は逮捕された
俗世の生活
両親逮捕後は3女以外の子供たちは母方の祖父母に預けられた
祖父母は優しく、また仲睦まじい夫婦であり、家族の温かさを知ったような気になりました
祖父母は4女が学校に通えるように地域の人を説得、教育委員とかけあい。4女は学校に通えるようになった。しかし、姉たちとお付きの信者たちは4女が「(俗世の)悪いカルマがつく」と反対した
小学校に通う4女、お友達もでき、毎日遊び、喧嘩友達もでき、勉強も楽しかったそうです。何よりも(まともな食事をしてこなかったため)学校の給食は感動的だった
しかし、ある日上級生に囲まれて「松本さんってオウムなんでしょ」と執拗に問い詰められ イジメにあうようになった
親しいオウム信者の事故死により、4女は不安定になり不登校になる
長女は兄弟と気があわず別々に暮らしていた
99年 長男連れ去り事件かマスコミに大々的報道され警察沙汰に
麻原子供たちは責任を取る形で教団から脱退することになる
長女は精神病院に入院。お見舞いにいくと「おまえはさとかの偽物だ」妹のことさえわからなくなった姉
さとかさん 龍ヶ崎で就学拒否を受けるが裁判て勝訴して学校に通い始めたがイジメにあう。さとかさんは、皆は最初は受け入れてくれたのに自分の独自のオーラ的なものが馴染めなかったと語る。リストカットをはじめたさとかさん。家族は教育委員会に対策を訴えた
「さとかはリストカットしているのですよ。もしイジメが原因でさとかが死んだらどうするのですか?」と2女が問い詰めると
さとかさんの命は一つですよね。あなた方のお父さんは、沢山の人殺しましたね。あなたが死んでもしょうがないでしょう(校長)
さとかは目の前が真っ暗になった。転校することになる
15歳ごろから、教団のおこした事件を自ら書籍、インターネットなどて調べ、自分がどうして今のような環境に置かれているのかが少しずつ理解していくと同時に自分の家族に不信感を感じはじめた
違和感
母と姉は表向きは教団から脱退したとしているが、実は裏で支配していた。更に家族は遺族に賠償金を支払っていないのに信者の献金で贅沢三昧な生活をしていた。4女だけが普通の生活を送っていることに罪悪感を感じるようになった
「何かがおかしい。何かが狂っている」私のそんな気持ちは、家族と信者の相反するものでした
「アーチャリー正大師はね‥」陶酔するような信者たちと姉たちたをみて違和感を感じた
考え方の合わない人のいるところに、たまたま生まれてしまっただけ
オウムであることを隠していたのに 先生は自分がオウムであることを知っていた。他の生徒から聴いたと先生は述べた。家にも学校にも居場所がない。自分を産んでおいて事件をおこした父を恨む
いっそ生まないで欲しかった
家出
16歳になったさとかさんは児童相談所に保護してもらう
「教団、家族から離れて自立したい。自立の仕方がわからなく途方に暮れている」と江川紹子さんにメールを送る
4女によると江川さんがオウムに理解があること、母性を求めて女性である江川さんを頼ったと語る
江川紹子が4女の後見人となる
江川紹子さんは4女に学業に専念して、大学にいって普通の女の子として生きてほしいと、ショッピングに出かけ用服を買ったり、お洒落な美容院に行ったり、水族館やクラッシックコンサートにまで連れていった
江川さんとの約束
- 毎日江川さんの犬と散歩する
- 江川さんの父の話し相手をする
- 家計簿をつける
- 勉学に励み大学に行くこと
- 教団には一切関わらない
しかし4女は苦痛を感じた
私からみたら良いことだと思います
動物と戯れるのは運動になるし、情操教育、責任感がつきます
江川さんの父とのお話は閉鎖された教団に閉じ込められた4女に社会的常識を身につけるためだと思います
江川父の報告は「一人の人間を自立させる」責任ですから、管理はしなければなりません
家計簿は自立するためには経済感覚は重要です
カルトを知り尽くしている江川さん。カルト信者の自立にサポートはぬかりはありません
大学までサポートしてくださる
一番甘えたい時期に母が逮捕されていて、帰っきてからも親子関係を築けなかった私は、きっと江川さんに母性を求めていたのだと思います
さとかさんは江川さん母性を求めたようです。江川さんの後見人は2年間と期限付きでした。それに対し突き放された感がしたようです
- バイトをしたかったそうです
- 犬の散歩をサボってしまったことを江川さんから咎めらた
- 江川さんのお父さんが密告をしたと思った
- 江川さんのお父さんから24時間監視されているような気持ちになった
カルト教団の閉鎖された世界で生きてきたさとかさんは世に期待し過ぎたのかもしれません「こんなはずでは」と辛くなり姿をくらまします
オウム信者からお金を借りて青春18切符で信者の家を転々とした
上祐と会い上祐から新しい宗教を立ち上げないかと誘われていた
江川紹子は帰ってこない4女に捜索願いを出した後、自分の手に負えないと感じ後見人を辞任しました
お世話になっておきながら江川さんを殺したいと思いました
1994 9月 オウム真理教は江川紹子さんを殺害さようとしました
新實らが江川さんのマンションに(VXガスの10倍といわれる)ボスゲンを流し込みました。江川さんは喉の痛みを訴えたくらいで済みました。自分を亡き者にしようとした教団の教祖の娘の後見人になるなんて、相当肝が座っていなければできません
4女かオウム信者と関わり、身の危険を感じたでしょう
カルト2世の社会デビューの難しさ
閉鎖されたカルトに育ったカルト2世が社会にでるということは例えるならば「魚に陸で生活しるようなもの」カルチャーショックがおきます
江川さんやその当時交流のあった方々を通じて関わりあっていたころでした。その時見た社会は、オウムが批判していたとおりに思えたのです‥程度の差はあれオウムでも同じことが行われていると感じたのです‥唯一オウムの方が世間よりましだと思うところがありました
それは、オウムがわかりやすい悪だということです
この世界は物質主義、争いごと、不正、みんな自己中心的、完全ではありません。宗教でなくともカルト的なもの、洗脳的なものはいくらでもあります
社会は違和感だらけそんな世間に厭世を感じた純粋な人々が宗教に救いをみいだす
4女は派遣社員、ネットカフェ、ホームレス生活をして、自殺未遂を幾度もした
オウムで育ったせいか、霊、予知夢、光などが子供の時からみえたそうです
麻原ファミリー
- 6人兄弟と、9人の異母兄弟がいる
- 父には愛人100人いた
- 娘たちには許嫁がいた
長女 村井秀夫
次女 上祐史浩
3女 I、H(東大卒の幹部)
4女 遠藤誠一
幹部たちは麻原の娘婿になるため、霊的ステージを競いあった
私たちはしょせん、馬の前に吊るされた人参だよね。誰かに嫁がないといけなかったら私は自殺する(2女)
父は、全ての信者を自分の息子や息子、婿にして血縁を増やしてき、世界帝国を目指す「麻原帝国」をつくりあげようとしていたのです
婚約者 遠藤誠一について
- トランプで遊ぶと勝つまでやめなかった
- 塗り絵をしたら必ず女の子の髪の毛を金髪にぬる
詐病
2004 刑務所で姉たち2人と父に面会をした時、父はもぞもぞした後、3回自慰行為を行った4女はオムツが蒸れて痒くなったとと思っていた
4女と2人きりの面談では(自分だけに聴こえる程度に)自分の名を呼んでくれた。自分の問いかけに反応した。そのため4女は精神異常ではなく、詐称と考えている
麻原奪還計画
麻原を詐病にしたてあげて、医療刑務所に移送されたら、奪還する計画があった。教団はそのためヘリコプターを購入していた
さとかさんはオウムからも父、家族からも距離をおく
さとかさんは、家族で唯一麻原彰晃と教団と絶縁をした
姉(3女)について
3女が自伝を出版しマスコミに登場した。さとかさんは「父の死刑を回避する行為」と非難した
死刑
麻原の処刑が実行された。麻原は自分の遺骨引取人を麻原は4女を指名した。非常に国にとって都合のいい遺言を遺していった。
この遺言には疑惑の声があがる
- 麻原の精神状態はそんなことが決めれる状態ではない
- 自分の遺骨引き取り人に、教団、家族と絶縁し、公然と父を非難した4女を指名するとは考えにくい
松本知子、次女、三女が訴訟を起こし 遺骨は2女が引き取ることになった
その後のオウム
一度狂った信仰は形を変えて存続する
今だに教団に居続ける信者、脱会しても再び教団に戻ってくる信者
さとかさんは教団に縋る理由を追求すると
だって、そうしないとなぜ生きているかわからないんだもの
そう言われるとそれ以上踏み込めないと語る
生きている意味がわからないからといって他人を貶めて、それを救うふりをして優越感に浸っていいのだろうかと
他人の心を支配することでしか存在意義を見出せない彼らは他人を傷つけたり、惑わせたりしないで生きることができないのかもしれません
もしかしたら彼らは救済活動をしていると思い込むことで、良心までも停止させているのではないか、と感じることもあります
さとかさんによると
母は父の一審判決の後 10歳歳下のアレフ幹部と付き合っている。(江川紹子から教えて貰った。4女は母が利用されていると心配している)母 母は今でもアレフの教団運営に関わっていて弟たちを父の後継者とするように暗躍している
アレフを追い出された上祐は「光の輪」を立ち上げた。表向き麻原を排除しているとしているが
「尊師を隠してでも教えを広めることが尊師への恩返しだと思うのです」
上祐も未だに麻原の亡霊に囚われていた。4女は上祐は信用ならないと距離をおいた
オウム信者は依然として嘘をつき続けています。彼らはたとえ嘘なバレたとしても社会に受け入れられないで生きていけるから、嘘をつくなんて平気です
3女には20人の側近と100人の信者がいる。彼らは「3女の指示であれば犯罪行為も厭わない」という。3女は自分の側近、信者たちから多額の献金を受け取っている
高学歴信者が多いため(京都大学が多い) パソコン、IT関連、会社を立ち上げビジネスをしている信者たちかいて羽振りはいいらしい
現実的に今もオウムは形を替えて生き延びており、世間からどんな攻撃を受けても、どこかのグルは生き残るようなシステムになっています
リムジン謀議
サリン事件が麻原の指示の下行われたという井上証言
他のメンバーは寝ていたまたは空調設備がうるさくて聞こえず知らなかったと述べるが、4女もそこにいて、リムジン謀議をしっかり聞いていたという
ただ当時5、6歳の子供の記憶の場合 思い込みの可能性がある
オウムの最終目的
オウムが最終的に目論んでいることは、目に見える勝ち負けではありません。思想敵に日本人を洗脳していき、最終的に思想で支配するすることなのです。キリスト教も弾圧された時代がありましたが、今では世界で認められる宗教になっています。オウムもそのような長いスパンで考えているのです‥2000年後に父が神だったという歴史になっているかもしれません。
麻原彰晃の目的は
日本の王になること
ローマにより処刑されたイエス=キリストの教えが3世紀後に、ローマの国教とされたように
大衆は‥彼らの権利を認めようとしないで、彼らを磔にしたり、縛り首にしたりします‥ところが次の世代になると、この同じ大衆が、処刑された人たちを台の上に祭りあげて、彼らに跪拝するのです
前者は世界を維持し、それを数的に増やしていく
後者は世界を動かし、それを目的に導いていく(罪と罰)
国家によって処刑された麻原の教えを日本の国教にしようと画策している可能性がある
高学歴信者たちが今度はもっと上手に日本支配計画を綿密にたてているだろう
かつて麻原の敬愛したヒトラー、毛沢東が国家を掌握した「洗脳」をさらに発展させたシステムさえ彼らならばつくれるかもしれない
彼らは本気だ。彼らは幼稚だが知識と行動力がある。侮ってはならない
自分の選んだ人生はつらいこともあります。天涯孤独を貫くのは大変なことです‥、母や姉の元にいたらそんな苦労もしないで済んだでしょう。しかし、それは自分自身の良心が許しませんでした‥カルトや犯罪に、身内が一人でも巻き込まれると親族はみんな不幸になってしまいます‥子供が親の名前で偏見を持たれたり、親に信仰を強要されない日が、いつか日本に実現することを願いながらこの筆をとります(松本総香)
参考文献
3女 松本麗華
著書「止まった時計」では父を麻原彰晃と表現
「私だけは父の味方」
「事件は弟子たちの暴走で父は利用された」
4女さとかさんの著書 松本智津夫と表現家族、教団を非難、絶縁もしている。父に対しては畏敬と恐怖的な感情があります
遺骨引き取り人2女 宇未さんは ツィッター、ブログで発信しています
宇未さんブログ
宇未さんはさとかさんを「マスコミ受けの良いことばかり言っている」と主張しています
パパ イケメンです
姉妹たちは別々の人生を歩んでいる
相違は 小学校、中学校に通ったという経験値だろう
イジメで辛い経験もしたが、学校での普通の子たちとの関わりがさとかさんの心にカルトの異常性を警鐘したのだ
私も自身のブログに何度も言及してきたが、学校に通うこと、沢山の人間との関わりこそがカルト2世の唯一の救命線となる
カルト2世は学校に通うようになると初めて自分が異常な世界に居ると認識できるのだ
更に、さとかさんは母方の祖父母に引き取られ普通の世界を見れたことも大きい
母方の祖父母、学校の同級生、先生をミラーリングできたこそさとかさんはオウムの異常性を気づき オウムから脱出した
小、中学校に通えなかった姉たちはオウムと普通の世界の違和感さえ感じる機会か与えられなかった。3女と2女はミラーリングできる人間が教団の中にしかいない
彼女たちはオウムの水槽の中でしか生きていけない魚なのだ
さとかさんはオウムの水槽から飛び出し大海で泳いでいる
さとかさんに見える世界と
次女、麗華さんの見える世界は違うのだ