女子高生コンクリート事件
準主犯格の少年B小倉(神作)譲が孤独死していました

画像 TBS
お墓は小倉が生活保護を受給しながら生活した埼玉県の霊園にあるそうです
彼女はかわいそうだったけど游んでやったんだからいいんじゃない
謁見の時この言葉を聞いた担当弁護士は仕切りのガラスがなければ殴っていたと述べた
小倉穰 生い立ち
父と母と姉の4人家族。母親は男勝りで気の強い女性だった。小倉が生まれた頃には父親には別の女性と暮らしはじめ 離婚してその女性と再婚した。母親は水商売の仕事をはじめ多忙だった
家族そろって食卓を囲んだ記憶はない
小倉は小学2年の頃から母親とすらご飯を食べなくなった
幼稚園時代
―幼稚園の頃にどんな子供だったんですか
ガキ大将というか…強いというか、よく人を殴ってました
Bは幼稚園の時、当時のテレビ番組で勝ち抜き腕相撲大会に出ることが決まり「僕が優勝したら、お父さんは帰ってきてくれるかな?」と尋ねた。不在である父親は小倉に熱心に野球を教えた。その後小倉少年は野球チームに所属しレフトで活躍した
歪な親子関係
母親は生計のため夜の仕事をしていた。Bは小学3年生の時、学校から帰ると母親に「お母さーん!」と抱きつこうとすると、Bの脱ぎ散らかした靴に目をつけ「あんた何なの!その靴の脱ぎ方は!いつもきちんと靴を揃えて脱ぎなさいって教えてるのに…お母さんは、あんたなんて子は知りません」と吐き捨て仕事に出かけてしまった時もある
多忙な母親は「お父さんのところがいいんだったら行きなさい」と暴言を吐いたり、靴べらや掃除機の先で小倉を叩くこともあった。小倉は母の逆鱗に触れないように母の顔色をうかがうようになった
小倉の母親は毒親だったが小倉はお母さんが大好きだった。仕事で疲れたお母さんがうたた寝していると寒くないように毛布をかける優しい一面もあった
彼は体も大きかったし、スポーツマンでした。そして色々な意味でリーダーシップのある子でした。スポーツ大会などで、彼がいるとチームが勝ったりして、クラスでは信頼されていたように思います。友達がいじめられると、相手が大きかろうと強かろうと向かっていくところがありました。それに、私に力をかしてくれた。授業などで、私が静かにして欲しい時、彼が「静かにしろよ」なんて言ってくれたんです。(小3の時の担任)
学級委員
3年の一学期には学級委員を務めた
僕はよく同級生の友達を殴ってました
―それはどういうことで同級生を殴ったりするの
自分が思うようにいかなかったり、そういう時に殴ったりしていました
自習中に小倉学級委員はうるさくしていた児童を殴りつけた。小倉は暴力でクラスメートを動かす学級委員となったのだ。クラスメートたちは暴力的な小倉を嫌がり仲間はずれにされた。 小倉は学級委員を降ろされた
転校
Bが4年生の冬、父親がBを引き取った。Bは転校して父親とその再婚相手と腹違いの兄弟と暮らしたがBは馴染めず、母親のもとに逃げ帰りかといって家に入れず団地内駐車場に潜んでいたのを近所の人が見つけ家に入れさせてもらった
再転校
元の小学校に通うも放課後、友達と行く当てもなく家出をして町を徘徊しているところを担任に発見された
小倉が父親に引き取られ転校した後、K先生の脚本で「ひとりとみんな」という劇をつくった
ひとりとみんな
図工の自習の時、男子児童5人がふざける。それをみていかった学級委員が「ふざけた奴、前へ出てこい」と言い、級長と取り巻きたちで殴り、みんなの前で「すみませんでした」と謝らせる。次の日児童たちが学級委員の暴力が酷いと先生に訴えた
児童たちと先生は話し合って「暴力はいけない」ということになり 〇〇君を仲間はずれにして反省を促しすという児童の提案が可決される。学級委員を辞めさせられ、仲間はずれになった〇〇君は元気がなくなる。〇〇君が転校する日。〇〇君がお別れのプレゼントをクラスのみんなから受け取る時、クラスの代表が「新しい学校に行っても、元気で頑張ってください。僕たちも自分勝手なリーダーを出さないように、みんなで力をあわせて頑張ります」〇〇君は「今日はどうもありがとう。僕は仲間はずれにされて、とても寂しかったです…自分のいけないことを考えました。新しい学校に行ったら、同じことを繰り返さないようにします」〇〇君 おじきする
この主人公である〇〇君は小倉と一文字違いであり、小倉が転校したあと学芸会で上演された
小倉によると学芸会で自分が主人公の「ひとりとみんな」をやるから父のところに身を寄せたという。小倉は家にも学校にも居場所がなかったのだ
ポエム
「友」
ぼくは学校が2回変わった
それで友だちは力でおさえつけてはいけないということがわかった
友だちは心と心が通じ合うと友とよべることができると思う
ぼくは〇〇小でそのことを学んだ
それから〇〇小ではじめて真友という言葉に会った
その時はじめて
友というのに気がついた
ぼくは〇〇小に行くまえの学校にいる
でも
心には真友という言葉が生きている
小倉 小4の文集より
宮野先輩は小学生の時から知ってました。小学校は違ったんですが、僕たちの小学校に木刀とかヌンチャクを持って殴り込みをかけてきたり、中学では一緒になり、入学した当時宮野先輩と一級上の先輩が植木鉢を持って追いかけまわしたと聞きました。そういう話を聞いて怖いと思ってました
中学入学
小倉は東綾瀬中学に入学して野球部に入部した。長身で運動神経の良い小倉はバレーボールや陸上でも活躍した。しかし中2の冬休みにスキーで骨折した小倉はスポーツを続けられなくなった
上級生の宮野に「挨拶をしなかった」と因縁をつけられ締められたこともあった
喧嘩再開
小学4年の「仲間はずれトラウマ」以来。喧嘩をしないと心に決めた小倉だったが三年生の三学期にカツアゲされた友人を守るために喧嘩を再開した
自分から殴ったりはしませんでした
また小倉は人から頼まれると『嫌だ』と断われない性格でした
高校進学で、Bは都立の工業高校を希望した。母親は普通高校が良いと、私立高校ブラスバンド部を条件とする推薦入学を決めてしまいます。Bはブラスバンドに全く興味がありませんが黙って母親に従いました
私立高校入学後、体格の良いBに目をつけた2つの運動部がBを勧誘します。Bは母親との約束を破るわけにはいかないと、この誘いを断りますが「誘いを断るとは生意気だ」と2つの部活の先輩たち6人からリンチを受けてしまいます
学校はリンチをした先輩たちを処分せず、Bに自主退学を促します。この事件が明るみになると、その部活が全国大会に出場できなくなるという理由でした
高1の秋 Bは自主退学をして、今度は母親に黙って定時制高校を受け合格します。高校入学するとBに彼女ができます。毎日二人で登校しました。しかしそれを母親は許さず、ある日迎えに来た彼女を玄関に待たせ、母親はBの首を絞めます。その後彼女と別れさせました。Bは荒れ、ものに当たり散らしました。反抗期である
去年の8月ぐらいに小遣いをねだったことで僕が壁を叩いたのですが、そのことで110番通報されて
「そんな風に家を壊す子は家の子じゃありませんから連れて行ってください!」
居場所を失った小倉は家出をし幼なじみの湊兄弟宅に出入りした
小倉は中学時代の先輩宮野からマージャンを誘われた
マージャンに誘われて、借りをつくって、それを返してもまた何回か電話がありました…電話に出ると誘いを断われませんでした。何をされるかわからないというか、怖い気持ちに変わりありませんでした
湊兄のバイクが盗難された。小倉は地元で顔の利く宮野先輩に相談した
地元で「顔」の宮野が捜していると知れ渡れば、盗んだ奴が詫びを入れてくるかもしれないって小倉は思ったんですよ…上の人を利用するんです
マージャンとバイクサイコパス宮野に借りをつくった小倉はAの奴隷のように扱われた
道具のように使われる
小倉が体がひと回り小柄な宮野にペコペコしている姿を多くの人が目撃していた。小倉は宮野のいわれるまま悪行の限りを尽くした
父親は家出したBを心配してC宅に出向き説得したこともあった。父親は「あの時Bを連れて帰れることができればこの忌まわしい事件は起きなかった」と悔やんでいる
小倉の両親は被害者に償っていきます。と語り分割で慰謝料を支払ったが50万円払ったあたりで支払えなくなった
少年の時から人の顔色を見る裏表のある子供だったが、暴力で他の子供を従え自己中心的に自分の存在を主張する傾向もあった
Bは悪夢に苛まされるようになった。殺した少女が毎晩枕元に座り恨み言をいうという。幽霊は存在しない。罪悪感が目覚め罪悪感が幻覚をみせるのだ。凶悪少年に良心が芽生えると自分の罪の重さに耐えきれず精神疾患を発症する。小倉は精神疾患を患うようになった
1999年 10年間の服役を終えた小倉譲は養子縁組して神作譲と名字を変えた。刑務所ではコンピューターの資格取得したためコンピューターの会社で働いた
10年間の服役は「浦島太郎」になる。それ以上に神作譲には試練があった。それはSNSである。「小倉譲」「女子高生コンクリート事件」と検索すれば当時の小倉の顔写真、悪行がSNSに無数に氾濫していて、それは永遠に終わらない。結局、小倉は職を転々とした
こんな言い方したら変だけど、薄気味悪い嫌な印象しかなかったですね…俺様という感じで、自分が一番だという態度でしたね
義兄(小倉譲の印象について)
中古の高級車をローンを組んで購入し乗りまわしたり父親の実家に何度か訪れていた
妻が言うには子供(後妻と父親の間の腹違いの兄弟)たちに手を挙げていた。俺は見なかったけど(B父親)
2000年 中国籍の女性と結婚するも離婚(偽装結婚だと思われる)
仕事先にトラブルとなり給料支払いになった。Bは母親に相談すると母親は知り合いから山口組の人を紹介され山口組の人から仲裁してもらう(B母の交友関係は普通ではない)
Bは仕事を辞めてからはフラフラして母親に金を無心した。みかねた母親が結婚して家庭を持ったらどう?というと
(コンクリート)事件の子供を言われるからだめでしょう
SNSを閲覧してノイローゼになったのか「盗聴器が家に仕掛けられている」というようになった
行き場のない神作譲は暴力団に出入りするようになる。暴力団のおじさんは行く先々で「こいつコンクリート事件の犯人ですよ」と言われ好奇の目にさらされた。それを母親に話すと「付き合うのやめたら?」と母親がいうと「他に友達いないから…」Bは孤独だった
2004年 5月 神作は顔見知りの男性に「俺の女に手をだしやがって」(その女性と交際してもいないし 被害者はその女性と何の関わりもない)で男性を自分の母親が経営するスナックに監禁した
監禁中、神作は自分がコンクリート事件の少年Bであると自慢するかのように話た。被害者少女が死んだ日、タバコの煙を被害者の口に近づけ息をしていないことを確認した。本当の主犯は自分で自分はAを操作していた。裁判では反省したふりをして刑期を軽くしたこと武勇伝として語りながら暴行した。人を一人殺すも二人殺すも同じとも語った。被害者を殴った後、疲れて眠ったところを被害者が逃げ出して逮捕された
2009年 出所
神作は何処に行っても「コンクリートの犯人」と後ろ指をさされると思い込んだのか生活保護を受け引きこもりになった
2022年 母親が差し入れにBのアパートに行くと トイレで小倉譲は死んでいた
Bは精神安定剤を服用していた。薬で足がふらつき倒れたという。頭がトイレとタンクの隙間に挟まり取れなくな嘔吐して死んだという(享年51歳)凄い変死
日本という国では「少年法」というものがあり、未成年であれば刑罰は受けず、更生施設に入所し人生をやり直しできます
社会に戻り、もう二度と同じ犯罪は犯さず、一生懸命に勉強し、真面目に働くと言っても、償いを法的には免除されたとしても、社会はその罪を許さない
高度に発達した情報化社会においては、過去の自分を隠し通せる場所は、もはや、どこにもない。テレビ、新聞、雑誌が少年AとかBとかアルファベットで目隠しで彼らの素性を隠したとしても、インターネット上では彼の氏名、素顔、学校名、住所、親の名前、親の職業、会社すら公開されている。少年の凶悪犯罪の親は離職せざるを得ない
法律は更生を謳うが、社会は殺人犯が幸せに生きることは許さない
将来、就職はできない。もし就職できたとしても、SNSで彼の過去を知っている誰かがいる。やがて噂は広まり、週刊誌の記者とかがきて、結局、その会社にいられなくなる。別の会社に移っても週刊誌の記者がやってくる。家族もどこに引っ越しても、地域の人々には彼らの子供した事を知っている。少年犯罪の場合、現行の少年法に人々が納得できないからこそ、彼らは忌み嫌われる
もはや「少年A」の未来は絶たれた
「少年A」にはこの世界のどこにも居場所がない
正社員で働くことはできず、結婚はまずできない。結婚できたとしても正体がバレて離婚される。彼は居住地を転々としながら人目を忍んで生きるしかないのだ
「少年A」の居場所は世界のどこにもない
彼らは一生、その罪から逃れることはできないし許されない
野獣に人権なし
更生
更生とは何でしょうか?
週刊文春はコンクリート事件の残酷さに「野獣に人権なし」と少年たちの4人を顔つきの実名報道に踏み切りました。少年たちに極刑をという声も上がりましたが 結局 彼らは少年法に守られました
少年法が制定されたのは戦後です。当時は親や住処を失った少年がたくさんいて彼らは生きるために窃盗をしなければならなかったのです。少年法はそういった浮浪児を保護し更生させるために作られたのです。少年法は時代遅れなのです。快楽リンチ殺人する少年を更生させるものではないのです
快楽殺人する人間は通常の人間と脳が異なります
加害者少年たちは全員 機能不全家族で育ち親から虐待とネグレクトを受け教師からは体罰を受けイジメられ脳が歪に歪みながら成長しました
子供の脳というのは可塑性がありストレスで歪に成長します。一度歪に育った脳は後から訓練したとしても正常に機能しません。それはコンクリート事件、酒鬼薔薇事件が証明しています
「更生」という言葉があるが、愛情をかけられた経験が一度もない人間には更生の道は存在しない
なぜなら、彼らには戻るべき正しく生きていた自分など存在しないからだ
誰からも無条件の愛情を受けたことのない人間にとっては、反社会的で破壊を繰り返す道を最後まで歩み続けるしかないのである
凶悪犯プロファイル
虐待、ネグレクト、体罰、イジメ、少年たちはシンナーや覚醒剤を服用していました。少女を強姦するときは麻薬をうったといいます。また刑務所に長期閉じ込められると精神病になりやすいようです。シンナーで脳が萎縮するそうで彼らの脳はぶっ壊れていました
小倉譲は何を間違えたのか?
小倉譲は愛情飢餓のアダルトチルドレンで自己愛性人格障害のマザゴン男の精神年齢5歳児の大人です
小倉譲の母親もまた自己愛性人格障害で自己中心的で子供の心を傷つける親でした。どんな酷い親でも幼子は親を慕います。親が愛情を与えなければ与えないほど子供は親に愛されようと執着します。小倉譲は母親にとって良い子になろう努力します
小倉譲は高校生になっても幼児のように母親に依存していましたが母親は反抗的な息子を警察につきだしたため、小倉は母という居場所をなくしてしまいます
居場所を亡くした小倉譲は強い不良リーダー少年A宮野裕史に依存して宮野に道具のように支配されます
凶悪犯はおしなべて養育者 主に実母から酷い虐待とネグレクトを受けながら成長しています。虐待を受けた凶悪犯は「あの頃は、母親はそうするしかなかったんだ」と虐待親を擁護します
しかし、これは毒親の「洗脳」でなのです。自分が凶悪犯になった原因が養育者の虐待に気づいていないだけのです
私はそれを「毒親 神聖化」と呼んでいる
凶悪犯は毒親を「神」や「教祖」を信者が崇拝するよう神格化するのです
毒親を神聖化した被害児は毒親の毒を継承します。代々毒を継承すれと毒は煮詰まり毒性は高まり終には無辜の人間をたくさん巻き込む凶悪犯罪が誕生するのです
自分が邪悪になった原因が養育者と認識し、虐待養育者を攻撃して退治するならば、彼らの破壊願望はおさまるのだが そう考えれば子供が親にする家庭内暴力は犯罪よりも健全といえよう
小倉はそうはならなかった。いつまでも幼児のように毒母を追い求め 毒親の「いい子」になって愛されようとした
5歳児の大人
高校生になっても親の言いなりになる人間は不幸な人生を送る。親の価値観とは30年前の価値観であり、たとえ健全な親でも時代遅れになる。ましてや小倉の親は毒親である。毒親の言いなりになれば碌な人生しかおくれない
不健全な幼稚な人間は健全な人間は相手にしません。不健全で幼稚な人間の周りには不健全な人、幼稚な人、ずるい人、悪い人が集まるのです。結果 小倉は宮野みたいな極悪人と関わり凶悪犯罪に手を染めます
小倉譲は被害者少女を殴るとき、殴られる瞬間少女が顔を歪めるその表情を見るのが面白くて何度も殴ったと言いました
この心理わかりますか?
小倉譲は母親に対するするいら立ちを母親に怒りを示せないから被害者少女を母親の代理にしてタコ殴りにしたのです
虐待された子供は怒りに支配されます
幼い子供は親に依存しています。そのため芽生えた怒りは親に向けることができず。虐待被害児は行き場を失った怒りを抱えたまま育ちます。その怒りは、イジメ、動物虐待、放火、窃盗などの行為を通じて排出されるのです。それが放置されれば性的暴行、暴力、最期は「殺人」という形で幼いころから継続した「積年の怨念」として排出されるのです。怒りと「性欲」は連動しているので、一方が活性化されると もう一方も活性化します。これが連続殺人鬼のメカニズムである
通りすがりの被害女性たちに対する陵辱、暴行は実の母親に対する「怒り」なのです。なぶり殺しにすべきなのは彼らの親なんです
小倉譲の末路は母親が毎日弁当を差し入れしてくれたようで
50過ぎても仕事につかず引きこもりで自炊もせず毎日大好きなママがお弁当を作ってもらえた
小倉は死ぬその日まで五歳児の幼児のように母親に依存し思う存分に母親に甘えることができたのです。小倉譲は生涯五歳児の大人だった
結局お前は壊れたクソガキのままここで死ぬんだよ
BlackLagoon3巻
小倉穰の人生
小学生時代 暴力装置の嫌われ者で仲間はずれにされる
17歳になるまで数々の少女を暴行し一人拷問死
10年間刑務所
コンクリ事件の犯人とバレていると被害妄想になり職を転々
暴行監禁事件再犯
4年間刑務所
出所後 生活保護、引きこもり
刑務所で受刑者1人につき年間数百万円かかるんですって
小倉の人生って犯罪と国民の血税を寄生しているだけでは?
小倉譲 お前が何を間違えたか
お前はこの世に生まれてきたこと自体が間違いだった
*1