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コンクリート事件少年C 湊伸一の現在

湊伸治 女子高生コンクリート事件の少年C

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父親 病院事務員。母親 看護師の共働きと兄2人の4人家族

共産党員で共働き夫婦である両親は忙しく、湊兄弟たちには小学生の時から家事の役割分担があった

湊の約目は朝起きたら雨戸を開けることと階段ふきだった。それを怠けると父親は体罰をした

父親の教育方法は「体罰」だった。夜遅く仕事から帰ってきた父親は酒を飲み母親が子供たちの過ちを告げ口する。そうすると酒に泥酔した父親の「体罰」がはじまる

小4から湊伸治の家庭内暴力がはじまった。欲しいものを買ってくれないとか、夕飯のしたくが遅れるとか、勉強を教えて欲しいのに母親がわからない時、学校の成績が下がったりした時にものに当たり散らした

始めのうちは、なんかテーブルを蹴飛ばしたり、その辺にあるものを投げたり散らかしたりしていました

小5になると無抵抗な母親に暴力を振るうようになった。母親が湊が暴力を振るったと報告をすれば深夜に眠っている湊をおこして顔を平手うちにたり、罰として深夜の公園を走らせた

母親に痣ができるほど暴力を振るったかと思えば、一転して母親の膝枕で甘え耳掃除して貰うのが大好きだった

湊が中学に入学すると 父親は体罰を辞めた。教育書に「力で屈服させるのはよくない」と書いてあったからだという

中学2年の時、湊は母親と口論した。割り込んできた父親を初めて殴った

…お父さんは暴力はいけないと言っていたので、殴り返してこないだろうというのもありました

湊と中学の時は、大人しい陰キャラだった。湊は「高校デビュー」である

1988年9月 高校中退後、共働き家庭の湊の家は不良少年のたまり場になった

湊兄と小倉穰は学童保育が一緒でその時から遊び仲間でもあった

10月 湊兄のバイクが盗難された。小倉は地元で顔がきくという宮野裕司を湊兄弟に紹介した

宮野の出会いから1週間後、湊と小倉は宮野の勧めで一緒に強姦をはじめた

「ドライブしよう」とか「強姦しに行くぞ」というか「強姦したいか」と聞かれたことがあります。「ハイ」と答えました

湊が女の子に声をかける役割だったが 最初湊は女の子に抱きついたりと失敗ばかり繰り返した。拉致した女の子を宮野が暴行した後、宮野から女の子を凌辱するように言われても女の子が泣いているため湊は罪悪感を感じ手をだせなかった。少なくとも湊には最初のうちは「共感」も「罪悪感」もあった。だが、何度も女性連れ去り暴行を繰り返す宮野に影響され湊は罪悪感がなくなってきて宮野に追従して暴行に加わるようになった

弁護士は湊について「主体性の欠如からくる他者への追従性、認識力、洞察の欠如、欲求抑制力の未完成」と述べた

出所後

ムエタイの選手になり地元で「湊伸治」の名前でデビューした。本名で格闘家デビューしたためSNSで炎上し試合では「コンクリート湊」とコールがあがった。ほどなく湊はムエタイを辞めた。ムエタイの戦歴は2戦2敗

湊は「弱虫」である。湊が勝てるのは無抵抗のママと女子を高生集団することだけの最低のクズ

その後は住居を転々として埼玉県川口市に居住し奇声をあげたりするなど近所のトラブルメーカーであった

2018年8月19日 通りすがりの男性を警棒で殴りナイフで刺して逮捕された

湊は裁判では目茶苦茶な主張を通した

あくまでも自分はナイフで刺していないと言い張る。被害者のナイフて刺されたあとの写真を見せられるとそれを医者や警察の陰謀論とした

 

2025年 湊は更生も被害者に対しての償いをしていない

 

女子高生コンクリート事件 渡邊恭史の現在

渡邊恭史 女子高生コンクリート事件少年D

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主犯格 宮野裕史に命令されるまま被害者少女を凌辱、暴行、死に至らせた。渡邊は受動的に主犯に追従した

少し幼稚っぽいとは思ったが、私の質問には答えるんです。「いい子だなあ。本当にこの子は本件にかかわっているのかな、と思ったくらいです」

担当弁護士

渡邊恭史との面談を重ねるにつれ弁護士は違和感を感じた

それは何を質問しても、こちらの目をじっとそらさないで、うなずいてばかりいるんです。普通なら周りの色々なものを見ながら話すでしょう…

弁護士は会話中の渡邊のボディーランゲージに違和感を感じた

渡邊は大のファミコン好きだった。ドラゴンクエストなどゲームの話を振ると饒舌になる。渡邊は被害者少女が監禁されている間も我関せずとファミコンで遊んでいた。弁護士は彼が面談でじっと弁護士の目をみるのはファミコンの画面をみてるのと同じではないかと考えている

89年11月17 日の公判

宮野が古田さんを湊の部屋に連れてきた日、渡邊恭史は湊の部屋でファミコンをしていた

―(宮野は)古田さんを脅かすようなことを、そういう言葉を言ってなかった?

「ヤクザがいっぱいいるとか、そんなようなことを言っていたと思いましたが」

―それを聞いて君はどうおもいましたか?

「いえ、特に何も思っていないです」

―特に何も思ってないというけど、やくざが周りにいっぱいいたら怖いじゃないか、実際にやくざがいると思った?

「いえ、何も思ってないです」

―その話をした時に古田さんは怖がってなかった?

「いえ、怖がっていたようには見えませんでしたが」

―君はそれからずっとそこにいたのかな

「いえ、いないです」

―どうしたの

「家に帰って寝ました」

―古田さんのことを 心配したり、古田さんはどうなるんだろうとは考えなかった?

「何も考えてないです」

―古田さんが宮野に騙されて連れてこられた、というふうなことを考えましたか

「何も考えてないです」

―宮野は本当に古田さんのことを強姦させると思ってた?

「いえ。分からないです」

―なんでわからないの?

「いえ、元々嘘言ってるのか、本当言っているのか分からない人なので」

―君たちにみっともないことをさせて、でおもしろがってるところで終わるかと思っていたわけ?

「いえ、思ってないです」

―じゃ、その後強姦しかないじゃない

「いや、何も思ってないです」

―どうなるか先のことは考えなかった?

「先のことは考えないです」

11月17日の公判

―古田さんは色々な酷いことをされたね。それを君は見た?

「いいえ見てないです」

―じゃあどこにいたの君は 

「僕はあまりみたくなかったのでドア側のほうにいたら…」

―ドア側を向いてそれで何をしていたの

「なにもしてないです」

―じゃ古田さんにこういう暴力を振るうことを君はどういうふうにおもってたの

「いえ、何も思ってないのですが。いやだったので何も見なかったです」

弁護士は渡邊恭史とのコミュニケーションはとるのが難しかったという。言葉数は少なく声も小さく途切れ途切れでボソボソ話す。質問すれば

「知りません」

「わかりません」

「見てません」

「何も考えてません」ばかりであり会話は続かない

被告人は小さい時からいじめられ続けてきたために、強いものに弱く、これに迎合して生きるという考え方が身についてしまった。自分が攻撃されるかもかもしれないと、これを避けるために、より弱いものを攻撃するということを厭わないという考え方になってしまった

渡邊恭史生い立ち

渡邊恭史の母親は中学卒業後、美容師になり結婚して一姫二太郎の子供をもうけたが離婚した。その後元夫は交通事故で死亡。母親は生活保護を受けながらのパート収入で2人の子供を育てた

恭史は精神的に声も小さく途切れ途切れにボソボソ話す

子供の時からコミュニケーションが不得手で誤解されやすく、嘲笑の対象となった

小学3年生の時、机と机の通路を通ると、足をだされて転倒させられた。脚を出した子に恭史がやり返すと、恭史だけが先生に叱られた

恭司の本や帽子が3階の教室から放り投げられたこともあった

恭史が小学4年生の時、ヘルニアにかかり、腹部に包帯をまいて学校に通っていた。クラスメートは「恭史は病期じゃないのに、包帯を巻いてる」と言われ クラスメートたちから背中を踏みつけられた

恭史が5年生の時には、六年生ら数人に取り囲まれ顔色が紫色になるまで殴られた恭史は「お母さん、ぼく一対一なら勝つけどね、そんなに多くでやられたんじゃ勝てないよ」と話した

ズボンを下げられてたり、トイレを覗かれたりなど虐められ泣きながら帰ってくるのは日常茶飯事だった

母親は「負けるんじゃない!いじめられても、やり返しなさい!」と叱咤激励したがそれができるならイジメの対象にはならない

母親は息子に「クラスの誰かが止めに入ってくれないの?」と聞いたら

「誰かが止めに入ったり、先生に言ったりすると、今度はそいつがいじめられるから、みんなしないよ」

母親は学校に出向き「息子がいじめられているので注意して欲しい」と頼んだりしていた

近所の駄菓子屋で恭史が100円のガムを万引きをしたと訴えてきた。母親は恭史が万引きするはずないと思ったが、店主に謝り100円を支払った。恭史によると万引きはしていないと言い張った

ある日、恭史が大事にしていたラジコンカーが家から消えた。お勝手の戸に侵入形跡があり、近所に住む2歳上の少年が恭史と同じラジコンカーで遊んでいた。それをみて恭史は「僕のだ」と母親に訴えたが母親も恭史のラジコンカーと思ったが「人を疑うんじゃないよ」と言った

中学入学し、頭髪検査の時、恭史は天然パーマであることを説明したが、教師から体罰を受けてしまう。恭史はこの理不尽を母親訴えたが、母親は教師に丸めこまれてしまう

先生の体罰が酷く恭史は中2の頃から不登校になり家でファミコンばかりしていた

恭司が中学3年生に進級した頃、母親から特定の男性から頻繁に電話がかかってくるようになると、そのたびに御膳をひっくり返したり、物を投げたり、硝子を割ったりした。ただし母親に手を挙げるようなことはなかった

恭史の部屋は不良少年のたまり場になって彼らは煙草を吸っていた。少年たちは窓から出入りしていたため、近所から苦情があった

母親は夜も眠れなくなり体重が激減して、胃潰瘍になった。母親は中学担任のもとに相談にいった

学校から恭史のことで相談を受けた綾瀬警察は、88年9月5日の早朝、自宅から恭史を連行し虞犯少年として鑑別所に保護した

以後、恭史は家庭内暴力をしなくなったが母親と食事することをやめてしまう

高校は1週間で行かなくなった。高校は最初から行きたくなかったけど、お母さんが行けといったから。お母さんが勝手に願書を出した

9月 都立定時制高校を一学期で中退

父親の空気設備取り付けやスーパーのレジ打ちの仕事をする一方生活は荒れていた

家庭内暴力

保護観察

折込式ナイフ所持していた

宮野と一緒に出身中学に投石、窓硝子を割り検挙された

宮野先輩と遊びたくないと言ってましたね。一緒にいてもおもしろくないって言ってましたよ…湊の家だって、本当はいたくないって、宮野先輩が「居ろ」というから行ってたみたいです。あいつ昔から自分の立場がどんなに悪くても、悪い方に誘われたらすぐ行っちゃう。意思がないんですよ

友人

主犯格宮野は渡邊の姉の「彼氏」でもあった。宮野から締められ大怪我をしたこともあり渡邊は宮野を内心嫌がっていたが宮野に脅されて湊の部屋に入り浸たっていた。いつもファミコンをしていた。被害者少女とも一緒にファミコンをしていたという

11月17日の弁護士質問

―1人でずっと(独房に)200日以上もいて、早く外にでたいとか、家に帰りたいということを考える?

「いえ、別にないです」

―早く家に帰ってお母さんに会いたいというようなことを考えない?

「いえ、考えてないです」

―お姉さんにも、早く会いたいとは思わない?

「いえ、特に思わないです」

―他に…今会いたい人とか、毎日考えてる人がいるかな

「特にいないです」

―そういう人(友だち)たちと、また一緒に遊びたいということを考えない?

「いえ、考えてないですね」

89年12月14日の弁護人質問

―お母さん面会に来ている?

「面会というのは会う、あれですか。いえ、会ってはないです」

―君の方で、お母さんに来るなという手紙を出したことある?

「はい。僕に害なので」

―お母さんからね、君は愛情受けていると思う?

「愛情ですか…わからないですが」

拘置所に小学3年生ぐらいからの参考書を入れてもらってるよね。いま、どこまで進んだ?

「今は5年生の中間くらいだとおもいますが」

―どうして、小学3年生から勉強をやり直そうと思ったの?

「バカなので」

―君が知識がないから、もう一度やり直そうと思ったわけ?

「そういうのは、思ってないのですが…ただバカなので」

―バカなので、小学3年生からやり直すというのは、どういうことなの?

「バカなので」

中略

―将来どういう形でそういう反省を表したいと思っている?

「わからないので」

―考えている?

「考えても、わからないので」

恭史の友人が面談に来ると、恭史は泣きながら「オレってバカでしょ、バカだよオレは…」と言っていた

内容

4人の兄弟と障害児であるトビアスが分け隔てなく自由に暮らす様子が描かれている。トビアスによって家族が様々なことを教えられていく

審判を明日に控えた日、弁護士は恭史を尋ね一通りの打ち合わせがすみ弁護士が帰ろうとすると、恭史が話しかけた。恭史から話しかけるのは珍しいことである「この前の本のことなんですけど、こういう家族ってあるんですね。家族っていいものなんですね」

渡邊恭史の罪状は猥褻誘拐、監禁、強姦、殺人で起訴され 懲役5年以上7年以下の刑が科せられた

恭史は姉とは面会したが母親の面会は拒み続けた

手紙が子供から来たんです。『報道がいっぱい来るから、法廷には来ないでくれ』と、その手紙について「お母さんはいきます、罪を見つめていきます」ということを返事で書いたんです。でも子供にしてみれば“お前がやったんだから、罪を見つめていけ”というふうにとったのではないでしょうか…。それ以降、『会いたくない。来ないでくれ』と言われるようになりました 母親

刑務所ではイジメにあっていた

最初は一人部屋ですが、同室の人と気が合わないというか、いじめられて、また一人部屋になってとか言ってました 母親

96年11月 出所

週刊文春に顔出し実名報道された4人のコンクリ犯たちは出所してから本当の戦いがはじまる。それはSNSの集団リンチである

世の中は因果応報。今度はコンクリート犯の少年たちがSNSでリンチされる番なのだ

被害者少女に対するリンチには同情の声は無数にあるがコンクリ犯のリンチに同情の声は一切ない

被害者少女には41日間のリンチがあったがコンクリ犯のリンチは終わりはない。彼らが死んだあともリンチは終わらない

生活力のない恭史は母親と6畳と3畳、風呂なしアパートに同居した。6畳間は恭史が3畳は母が使用した。母親は朝から晩まで働きづめで会話もなく顔を合わすこともほとんどなかった。恭史の部屋に入る時は母親は「入るよ」と断ってから入る

恭史は「住み込みで働く」と求人雑誌を購入するがSNSを閲覧したのか、結局引きこもりになり自室でゲームをばかりの日々をおくった。電話にも一切出ず。外出するのはコンビニとレンタルビデオくらいだった

たまに姉夫婦が家に尋ねてくると、姉とは打ち解けよく話すが母親とは顔を合わすことはほとんどなかった

母親によると渡邊恭史は脳がスポンジ状になる病にかかり治療費がなく死亡した

2021年5月 死亡 享年 49歳

コンクリ少年たちはシンナーや薬物中毒に陥っていたため脳が萎縮したのかもしれない。被害者少女のご遺体も脳が萎縮していたという。人間は生き地獄を長時間、絶え間なく経験すると「死にたい」と希望する。そうすると身体が生命維持をやめてしまうのだ。被害者と奇しくも同じ死に方ともいえる

コンクリ事件の共犯者正体たちの正体

渡邊恭史の生い立ちから考察すると渡邊は境界性知的障害と自閉症系の発達障害と考えられる。境界性知的障害でも7人に1人の割合でいて35人学級であれば5人ほど存在します

境界性知的障害とは認知、判断力、思考力、洞察力、責任能力、言語能力などが未発達なためいじめられたり、利用されたり、騙されたり、被害者になるこてがあります。また悪いことに誘われたり悪いことでありながらも脅されたらどうやって断ったら良いかわからず唆されて犯罪の共犯者となったりもします

宮野に脅された渡邊は重大事件の共犯者となりました。裁判になっても共感力、認知能力が未発達なため被害者に対し罪悪感も薄く謝罪の言葉すら考えることができませんた

自分の罪の重さは理解していたようですが償い方、また今後自分かどう生きるかまではわからず生涯引きこもりとなりました

家族っていいものなんですね

   渡邊恭史 享年49歳

 

 

 

死の天使 ジニー=ジョーンズ

1981年 5月〜11月にかけてテキサス州サンアントニオのベクサー病院で、20名の幼児が原因不明の心臓停止や呼吸困難で死亡した。あまりにも非常に高い死亡率であったので、政府の調査委員会が介入した。その結果、ジニー・ジョーンズという看護師が担当の時に 死亡事故が起こることが判明した

病院はジニーを疑ったが、確証がなかったので通報には至らず、彼女は辞職した

ジニーがカーヴィナル病院に転職すると、今度はそこで数多くの幼児たちが呼吸困難に陥りはじめた。死亡した幼児を解剖したところ、筋肉弛緩剤スクニシルコリンが大量に検出され、ジニーは逮捕された

ジニーは前の病院も含めて46人の幼児を同様の手口で殺めたのだf:id:jw1972w:20250522093303j:image

 

代理ミュウヒハウゼン症候群

医療関係者が代理ミュウヒハウゼン症候群になる場合8割が看護師である

ジニーは自己顕示欲が強く、プライドが高い、医学的な知識、スキルなども優れていた。医療行為は86%が看護師が行うが医師などの従属的、補助的な役割であり、自分の能力が正当に評価されていないという不満を持っていた

患者の点滴に薬物を混入させ、危篤に陥らせて、焦っている医師を横目に自分が適切な(自分が悪化させたので治療法も解っている)処置を行い医師に自分の能力を見せつけるのである。自分の価値を高めている

自分が他者(患者)の命を支配(コントロール)している

自分がこの場(患者に適切な治療ができる)とコントロール(支配)している

ジニーは演技性パーソナリティ障害と代理ミュウヒハウゼン症候群と言われている

死の淵で苦しむ幼児に懸命に付き添う。幼児が死ねば大仰に泣きじゃくった。まるでドラマのヒロインのように

ジニーは医療ドラマの主人公で難病の幼児を救い出す有能な看護師という連続ドラマの脚本があったのだろう。ギャラリーは医者と同僚の看護師と幼児たちの家族で主演、監督、脚本はジニーという自作自演ドラマだ

ジニーは死の淵から新生児を生還させてヒーローをなろうとしていたと検察は追及した

ジョーンズは吐息のように嘘を付く、その嘘がバレそうになれば更には嘘をつき続け、嘘が重なり続ければ矛盾だらけになるのだが彼女は動じない。ジニーは共感力と良心が欠けていた

サイコパス

サイコパス自己愛性人格障害は共感と良心が欠けている。共感と良心が欠けていると他者を慈しむ感覚が全くなく 他者は自分の意のままに動く道具としか感じない

サイコパス自己愛性人格障害にとって他者は素晴らしい自分を輝かせる道具なのだ。ジニーにとって子供患者は天才看護師ジニーを輝かす道具に過ぎなかったのだ

 

死の天使 ドナルド=ハーヴェイ

ドナルド=ハーヴェイ f:id:jw1972w:20250505222611j:image

看護師として87人もの患者を殺害し自らを「死の天使」と呼ばれた

生い立ち

1952年4月15日 オハイオ州のハミルトンという町で生まれた

1. 父親不在

父親と母親の間にはかなりの年齢差があり、父親は仕事の関係で不在にすることが多かった

ウチは母親と祖母が二人とも気が強い家庭だったんだ。もっとも当時はどこの家庭も厳しかったけどね。ただ、僕の言う事を彼女たちが聞いてくれないとわかると、だんだん自分から無理な衝突を避けるようになって、1人で遊ぶようになったよ

ドナルドは気の強い母と祖母から心理的虐待を受けていた

2. 毒親、毒祖母からの支配

親からのストレスだけでは決して連続殺人にいたることはなかった

水道も通っていない貧しい生活の中、支配的な祖母と母親に抑圧的に育てられた。学校では先生の顔色をうかがう生徒だった

3. 性的虐待被害

また4歳から18歳まで、自分よりも2歳歳上の叔父から性的虐待を受けていた

性的虐待は嫌で嫌でしょうがなかった。でも、途中から立場が逆転したけどね。僕が彼をコントロールする側になったんだ。…表向きは彼にコントロールされている振りをして、実際には彼の好きなようにはさせないと思ってたんだ。実際には、十中九八は僕がコントロールしてたと思うよ

4. 奔放な性

ドナルドは同性愛者で16歳のころから様々な男性と性的関係を持つようになった

性的虐待被害者の一部は性に奔放になる。風俗、AV、グラビアなど性を売る仕事をする人は性的虐待された経験のある人が多いいという。「自分のされたことは大したことではない」と自分の心をコントロールして心を保っているという

5. 小動物虐待

ドナルドはヒヨコを飼いたいと母親に懇願したが母親に反対されると、母親の目の前で扇風機の羽でヒヨコを殺害してしまった

一度鳥から引き離して人間の匂いがつくと親鳥はそのヒナの面倒をみなくなるって聞いたから、殺してあげるのが一番だって判断したんだよ

6. 合理的思考

猟奇的な意味ではなく『合理的』な思考でそうしたという。このドナルドの「合理的」思考が その後の彼の犯罪に至るのだ

自分には、穏やかで優しい顔と、一度心に決めてしまうと絶対に揺るがない冷たい面がある

18歳 ケンタッキー州のメアリーマウント病院で看護助手として働いた

数カ月後 88歳の男性患者を枕を押し付けて窒息死させた

まるで感情のジェットコースターに乗ったようだった

69歳の男性患者にサイズの異なるカルーテルを挿入した。患者は「抜け」と訴えたが、ドナルドはさらに押し込んで殺害

「死にたい」とお祈りした42歳の女性患者の酸素供給を切り、殺害

その後も ヒ素、青酸カリ、インシュリンモルヒネなど様々な殺害方法で患者殺害をして、それを「殺人日記」に記していた

僕は他の人間をコントロールした。僕は人の生死を自由にコントロールできる能力が備わっているからだ。15回殺しても捕まらないとわかったころから、僕は他人の命をコントロールできるのは自分の特権だと思うようになっていた。僕は自分自身を裁判官、検察、陪審員のすべてに任命することで、神としての役割を果たしてきた

7. カルト信者

ドナルドもそうだがシリアルキラーと連続殺人犯は黒魔術や悪魔教などのカルト信者である

8. 反社会的

1971年3月31日 ドナ

ルドは強盗を働いて警察に逮捕された。取り調べでドナルドは15件の殺人を自白したのだが、ドナルドが泥酔していたから警察は取り合わなかった

釈放されたドナルドは空軍に入隊するもうつ病を発症して入院して2回自殺未遂をおこし空軍を除隊になった

9. 自殺未遂

シリアルキラーは自殺願望がある。他者を殺めるのは破壊願望なのだ

1975年9月 オハイオ州のVAメディカル病院に看護助手として再就職

この頃には「殺人」はドナルドにとって「使命」となった

患者を殺したのだって、それが彼らにとって幸せだと思ったからなんだ。少なくともその時はそう思っていた。どうせ余命が長くない人たちばかりだったからね。回復の見込みのある人は絶対に殺さなかった。僕は行為に及ぶ前、患者のカルテ検査結果を徹底して調べたからね。もうすぐ死ね患者だけをその惨めな状態から救ってあげたわけ。間違ってないでしょう

患者を殺すことはドナルドにとっては合理的なことだった

僕は患者たちに対して『神』を演じていたんだ。18歳から始めて、最初の1年間で13人殺した。最初の1人を殺してからというもの、まるでジェットコースターのようだった。とにかく捕まらないように、ただそれだけを考えていたよ。最終的にはトータルで87人に対して『神』を演じたんだ。僕は彼らの運命を完全に支配する力を持った。誰にも知られることなしにね。夜眠れないようなことはなかったかって?一度もなかったよ。『神』を演じるってことは、完璧な結果を生み出すことだからね

1987年4月 ドナルド=ハーヴェイは逮捕された。ドナルドは合計87人もの患者の命をコントロール(支配)した

ドナルド=ハーヴェイは死刑判決回避のため司法取り引きによって、28回の終身刑を受け入れた

シリアルキラー、殺人鬼に共通していること

幼少期の頃、生命与奪の権を委ねている養育者から性的含め壮絶な虐待を受けて養育者から支配(コントロール)されている。人間は自分のされた理不尽に耐えられない、理不尽が酷ければ酷いほど精神が保てなくなる。「罪を憎んで人を憎まず」をするならば発狂する

その怒りが加害者に向かわなければ、自分より立場の弱い者に自分のされた同じ理不尽をするのだ

ドナルド=ハーヴェイは母親と祖母から精神的虐待を受けいれた。従兄弟からの性的虐待を受け入れた。ドナルド=ハーヴェイは母親、祖母、従兄弟からコントロールされた。これは理不尽である。18歳で看護助手として勤務したドナルド=ハーヴェイは「患者」という初めて自分より圧倒的弱者と関わり 自分がかつてされた理不尽(コントロール)をしたのである

シリアルキラーの最終目標

他人のをコントロールすること。「殺人」は完璧な『支配』である

シリアルキラー、殺人鬼の最終目標は聖書の神。すべての人間の命をコントロールする『エホバ』なのだ。

10. 最終目標は「神」

「神になりたい」それは傲慢である。人間は神にはなれない

2017年 3月28日 ドナルドは刑務所でのジェームズ=エリオットという受刑者に殴打され2日後死亡した。ドナルドの被害者の1人がエリオットの近所に住んでいて その『報復』として殴打したという

良い師と巡りあうということ

「お母さんとお姉さんたちが〇〇さんの悪口ばかり話していてね…「一つも良いところがない」とか。私はそんなことないと思うわ。〇〇さんには良いところがたくさんあると思うの。私だけは〇〇さんの味方だから…」

如何でしょうか?

「あなたの家族はいつもあなたの悪口を言っている」

「あなたは皆から嫌われている」

皆から嫌われ者と思い込ませた後

「でも私はあなたの味方だから…」と救済と称して支配する

これを「無価値化」といいます。無価値はサイコパス自己愛性人格障害モラハラ人間の洗脳(支配)の手口です

サイコパスさん。自己愛性人格障害さん。モラハラさんはターゲットを存在否定して無価値化して自己肯定感を破壊してから支配します

この台詞は私がエホバの証人の研究生時代に司会者(エホバの証人では研究生にベテラン信者がマンツーマンで指導(支配)する)に度々言われた言葉です

「家族があなたの悪口ばかり言っている…でも私はそう思わないわ!私はあなたの味方だから…」

この攻撃は私が従順(司会者にとって意のままに動かない時)に従わない時に司会者がこの台詞を言うのです

例えば

エホバの証人の開拓者(90時間布教活動)の強制

楽園が今にも来るのだから仕事は週3日だけ働け

貯金しなくても大丈夫

年金、社会保険払わなくても大丈夫

結婚は楽園が来てから

この事物の体制は長くは続かないのだから…だから大丈夫

そう言った命令に私が返事をしないと「あなたの家族があなたの悪口言っている…」攻撃がはじまるのです

私の司会者もそうやってエホバの証人に「洗脳」されたのでしょう

更に司会者は「人間はエホバを賛美するために創造された。全ての人間は王国第一で「真理」(宗教勧誘)を伝えなければならないの…私たちエホバの証人は楽園で永遠に生きるのだから自分のしたいことは楽園ですればいいのよ」とカルト宗教の奴隷になることを強制されました

 

母は自分の子供の全人格否定、存在否定して「霊的に高い素晴らしい人」と言い「私の子供の司会者はT姉妹よ。元 特別開拓者で巡回監督の奥さまなのよ!」と自慢しておりました

私の母親は私をカルト宗教奴隷にしたくてたまらなかった

信じられないかもしれませんが 自分の子供を「奴隷」としてカルト宗教に差し出す親がいるのです

 

エホバの証人は今にもこの世が終わるから大学進学や正社員として働いている場合ではない…という洗脳され 母は学歴もスキルも一つも与えなかった

ですから私は非常に苦労しました

 

第一子を授かった時、子育て、児童教育の本が面白く児童教育の本を読みあさりました。どの本も体罰を「デメリットにしかならない」と否定的に捉えていました。「やはり体罰は間違っている」と私は確信しました。エホバの証人は本を読んだことがないのでしょうか

長女が生後半年になると夫の母親が「集会中赤ちゃんが何か言うとお尻を叩くのよ。〇〇姉妹も生後半年からお尻を叩いているのよ」と体罰を強制されました

赤ちゃんが2時間もある集会中何かしら「だぁ~」とかそれに体罰をしなければならないのです

私は体罰をしませんでした。会衆中から親も兄弟も長女を叩けと強制されました

長女が2歳過ぎても私が体罰しないので長老や奉仕の下僕やその奥さまたちにも体罰を強制されました

エホバの証人の「教育」とは体罰なのです

体罰しないことは育児放棄としてみなされます

エホバの証人は私を教育やしつけをできない無能な親扱いをしたのです

教育の本を読みあさった私は自分の教育に自信がありました

長女は聞き分けがよく大人しく

2歳になったばかりなのにひらがなカタカナを全て書け1人で本を読めて

15+8 16−7とかの計算もできました。歳の割には優秀なほうだと思うのですが

エホバの証人体罰をしなければ許さないということで長女が2歳半の時私は集会に行かなくなりました

長女が4歳になるころ分数と少数が理解できるようになったのでピアノを習わせました

ピアノを始めて1ヶ月後 ピアノの先生は「うさ子ちゃんは天才です!」まるでダイヤの原石を発見したトレジャーハンターのように嬉々としてくれました

社交辞令ではなくピアノ教室の生徒、保護者、他の先生、審査員の方々も褒めちぎってくれました

エホバの証人は私の子供を「無価値化」したけれど

先生は私の子供に付加価値を与えて 長女を高価な宝石の原石のように扱い長きに渡り研磨を積み重ねてくれました

先生は長女や次女にたくさんのトロフィーと盾、メダル、賞状を貰えるまでに長女に至っては音大ピアノ科レベル程度までに研磨して頂きました

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先生が教えてくれたことはピアノだけではなく「人生観」までも学びました

ピアノが大好きでたまらなくピアノの先生になって

ピアノの先生といっても子供たちにピアノを教えることから音大受験、コンクール入賞まで色々ありますが

先生は指導者として極めいずれは審査員になること自らの手で生徒をコンクール全国1位を獲得すること

これらの事は「高い志」で非常に難易度が高く難しいことですが

先生はあきらめなかった。先生は何十年もの長い時間をかけて夢を実現させたのです

大好きをテーマに

あきらめないこと継続し叶えることを学びました

書道の先生はウィキペディアに名前がある凄い人で娘たちによると 素晴らしい「人格者」であるという。温厚で優しくて観音さまみたいな感じの人で指導力もありコンクール入賞も何度もさせていただきました

バレエのS先生も優しく明るくて人格者であり熱心です。フランス語と英語、ドイツ語が話せるので生徒さんは外国人が多かった。指導者としても能力が高く生徒さんたちを色んなバレエコンクールで入賞させていました。S先生にはフランス人ハーフのフランス人形みたいな美人の娘がいるのだが娘をバレエコンクールに入賞させバレエ留学させました

次女の部活顧問は何度も全国大会入賞に生徒を送りだした有名な先生です

ピアノの先生は大のピアノ好きで

バレエの先生はバレエ命で

書道の先生は書道に全人生をかけている

自分の好きを人生のテーマにして夢を叶える

子供たちの師匠たちは素晴らしい生きざまをみせてくれました

 

誰と関わるか付き合うかで人生は大きく変わります

自分の子供を存在否定して無価値化して洗脳する人を子供の「師」にする親がいます。自分の子供を無価値化して喜んでいる親がいるのです

逆に 子供を「価値ある者」として褒めてくれて才能を開花してくれる人を「師」にする親もいます

関わる人は自分の合わせ鏡です

良い人と巡り合うには学び自分の知識をアップデートさせ自分自身を研磨しなくてはなりません

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

音楽家は三代目で誕生する

 

その夫婦は音楽には縁がなかったがクラッシック音楽が大好きで家にはクラッシック音楽のレコードが常に流れていた。クラッシック音楽はその家では空気のようなものだった。夫婦は長女Nさんが成長するとピアノを習わせた

長女には全ての音が音階になって聴こえる「絶対音感」がありピアノの名手になった。クラッシック好きな両親の影響を受けて長女は東邦学園高等部ピアノ科に入学し、そして同音大のピアノ科を卒業した。

演奏家になるということは、浜辺の砂粒から一つの砂粒を探すみたいな「狭き門」である。Nさん位ピアノが弾ける音大生はたくさんいて演奏家になるのは「夢のまた夢」状態であった

演奏家になれないがピアノ大好きなNさんはピアノ講師となり子供たちにピアノの素晴らしさを教えたいと思った。

Nさんはピアノコンクールに生徒たちを出場させた。ただ漠然とピアノレッスンをするよりもコンクールに出場させた方が遥かに上達するからだ

N先生には夢があった

いずれは「全日本ピアノコンクール」「ピティナコンクール」「ショパンコンクールinAsia」で生徒をコンクール全国大会で優勝させ自分自身はピアノコンクールの審査員になることでした

ピアノコンクールはピアニスト登竜門である。出場する子供は皆「天才」である。この3つのコンクールに出場することは容易いものではない

入賞率7割のグレンツェンコンクールや地元のコンクールなどに生徒たちを送り出した

ある日、4歳になったばかりの幼女が入会した。4歳の新しい生徒は初めて習うはずのピアノをMAXのスピードで体得してく。当時社会現象になった「のだめカンタービレ」の主人公のような子供だった

芸術の世界では稀に「持っている」ものが存在する。「持っている」子供に巡り合うのはトレジャーハンターがお宝を発見するようなもの

この「のだめ」のような子供が生徒になったことでN先生はピティナコンクールにチャレンジすることになった

2006年 先生はピティナピアノコンクールに3人の教え子を送りだした。ピティナは予選通過率3割。先生は3人全員本選に出場できた

「のだめ」の原作と同じく「のだめちゃん」はコンクールでは全く通用しなかった。メンタルまでもがのだめで精神的な波が酷く練習では全国入賞レベルの子供たちみたいな演奏ができるのに本番では変な演奏をするかただ漠然と機械的に弾くなど、教えたとうりに彈くことができコンクールの海に埋もれていった。先生としても生徒の能力を伸ばしたいのにそれができないのは無念を感じていた

それでも先生はコンクールの夢をあきらめないでピティナショパンコンクールinAsia、全日本音楽コンクールと着々と生徒たちを入賞させピティナコンクールに参加してから8年後ショパンコンクールの審査員を勤めることになった

先生の娘のMさんは生徒たちをコンクールに送り出す母親の背中を見続け東京音大付属高校に入学、同音楽大学ピアノ科を卒業してピアノ講師になった。音楽家二世である

ピアノコンクールチャレンジから10年後、のだめちゃんが初めてちゃんとした演奏に成功してピアノコンクール1位を獲得した。生徒たちが課題を乗り越えて成長する姿をみるのは先生にとって何よりも喜びである

N先生に孫娘が生まれた。両親は孫娘Aちゃんにピアノを習わせた。音楽家3世の誕生である

Aちゃんは幼稚園でショパンコンクールinAsiaファイナルで金賞受賞

2022年 念願のピティナピアノコンクール全国大会初出場で銀賞

2024年 ピティナピアノコンクール全国大会金賞を受賞した

ピティナコンクールデビュー16年目で全国大会出場

18年目で全国大会1位

ピティナピアノコンクール金賞とはお受験ならば全国模試1位的なものです

ピティナピアノコンクールは辻井伸行小林愛実、角野隼斗を輩出したピアニストの登竜門である

Aちゃんは日本の将来のピアニストとしてエントリーされたのです

ピアノ指導者の母を追い続けたMさんは30歳になったばかりでピアノコンクールの審査員になりました

素晴らしいと思いませんか?

先生は真田広之と同じ位の年代の方です

真田広之がお芝居が大好きなように

先生もピアノが大好きなんです

真田広之が5歳でお芝居を初め

ハリウッドデビューから20年かけ

俳優人生では60年かけ

エミー賞ゴールデングローブ賞を獲得したように

N先生もクラッシック好きな両親から幼い時からピアノを始め

ピアノ指導者として40年間学び続け

ピティナコンクールデビューから18年目で三代目の孫娘を全国1位にしたのです

真田さんもN先生も幼い時に大好きなことを見いだし大好きなこと人生のテーマにして何十年も大好きなことと向き合い栄光を掴んだのです

自分の大好きを人生のテーマにする

私にとって理想的な生き方です

これが生きるということです

人間は死ぬ

必ず死ぬ

だけどその人に生き様は次世代が受け継ぎまたその次の世代が受け継ぐ、こうして意思と遺伝子は永遠に生き続ける

如何でしょうか?

親の特性は次世代に受け継がれその特性が強化され、三世代には特性がさらに強化されるのです

特性は代々強化されながら継承するのです

バッハ一族

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ファイト・バッハはパン屋さんである。大の音楽好きでツィターを弾きながら粉挽きをしていた。子供たちも音楽好きになり、そんな親を背中をみて孫たちも好きになり…やがてはJ.Sバッハを生み出す。J.Sバッハには20人の子供が生まれ 音楽はバッハ家では歯を磨くくらい当たり前のこととなった

ベートーヴェン一族

祖父な指揮者で父は声楽家で三世代にベートーヴェンが誕生する

良い特性は良い特性が世代を経るごとに特性が強化され天才連鎖がループしますf:id:jw1972w:20250322091916j:image

悪い特性は悪い特性が先祖代々強化され負の連鎖がおき、最期は自殺か犯罪になり多くの人々を不幸に巻き込みその家系は絶えるのです

もし、あなたが毒親育ちであれば解毒しなければなりません

先祖代々受け継いだ悪い特性が自分にあるならば、それを自分の世代で終わらせ

良い特性を習得して子供にその生き様を見せることができれば負の連鎖を断ち切ることができるのです

あなたは悪い特性、良い特性どちらを継承させられることができるでしょうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

真田広之 ゴールデングローブ賞受賞の快挙!

真田広之SHOGUNエミー賞ゴールデングローブ賞でテレビ部門主演男優賞受賞しました

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画像 日本経済新聞

ことりの証人の一番好きな俳優です。ことりの証人が小学6年生の時、時代劇好きの父が「影の軍団Ⅳ」を居間で毎週観ていて その時、真田広之さんが「勝麟太郎」役で「この人かっこいい!」と毎週見とれていました

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当時、小学生女子の好きな男性芸能人は チェッカーズ派、近藤真彦派、シブガキ隊派 の中「真田広之」というと「誰やねん」という感じでした

真田さんが手塚理美と結婚した時は「真田ロス」になってしまった。ことりの証人は結婚するんだけど よく他人にいわれたのが「旦那さん。真田広之にそっくりだよねーいいな…」と言われる。無意識のうちに「真田広之顔」の男を好きになるんだね

子供が生まれた時はテレビで真田さんが出ると子供に「あらっパパがテレビに出てるわ!パパって本当にかっこいいわね。ここにいるデブは偽物のパパだから…」とふざけたことを抜かしていた

真田さんは顔だけじゃないのよ。生きざまがかっこいいの。スタント抜きでアクションもできる。真田さんがかっこいいのは とにかく「役者」が大好きなんですね。「お芝居」が大好きでそれが伝わってくる。だから真田さんに惹かれるわけです

真田広之経歴

本名 下澤広之

1960年 10月生まれ 

東京都品川区の裕福な家庭に育ち、同じマンションに住んでいた。高田浩吉の息子と遊んでいたところを芸能関係者にスカウトされ幼児雑誌のモデルとして活躍した

1965年 5歳の時 劇団ひまわりに入団

1966年 映画「浪曲子守唄」で千葉真一と共演

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画像 文春オンラインf:id:jw1972w:20250216012552j:image

水戸黄門など数々の作品に出演しますが、当時「子役は大成しない」といわれた時代であり小学高学年になるとお芝居をやめてしまいます

お芝居から離れた広之少年は「お芝居が好き」なことに気づき親を説得して芸能界に戻ります

1973年 中学入学と同時に千葉真一の主宰するJACジャパンアクションクラブ)に入団。母の勧めで日本舞踊玉川流に入門。真田さんは中学校から帰るとJACに通う毎日でした

1976年 堀越高等学校芸能コース入学。「学歴は必要」と千葉真一のアドバイスで学業にも専念します

1978年 千葉真一の芸名から「真」。千葉の本身 前田偵穂から「田」からそれぞれ一文字を組み合わせ「真田広之」という芸名を与えられます。アクションスター俳優「真田広之」の誕生です

1979年 日本大学芸術学部に進学して殺陣の向上に努め学業と演劇を両立しました

1980年 アクションスターとして映画初主演 

1982年 サニー千葉に続いて「デューク真田」の名前で海外進出

1981年 「魔界転生」出演。魔界転生では主演の沢田研二とのキスシーンがありました

「伊賀のカバ丸」出演。静音さまを演じました

1983年 「南総里見八犬伝」で薬師丸ひろ子と共演

1983「影の軍団」出演

1989年 千葉真一と映画出演料などでもめてJACから独立。この時千葉真一から「芸名返せ!」と言われたそうで2人は絶縁します

1991年 大河ドラマ太平記」主演

 

1993年 「高校教師」主演。「高校教師」は社会ブームになりました

高校教師(真田広之、桜井幸子)【TBSオンデマンド】

1999年 イギリスのロイヤル・シェイクスピアカンパニー公演「リア王」日本キャストとして初めて出演。英語は独学で学んだんですって。素晴らしい集中力ですね

2002年 映画「たそがれ清兵衛」で日本アカデミー賞 主演男優賞受賞

2003年「たそがれ清兵衛」がアカデミー賞外国映画部門にノミネートされ真田さんに「ラストサムライ」のオファーがきます

ラスト サムライ (字幕版)

この時真田さんはトム・クルーズに殺陣を教えました。脇役ながらも真田さんの殺陣は素晴らしく主演を喰う勢いでした。そのため真田さんのシーンがカットされたとも言われています

ラストサムライ以降真田さんはハリウッドに拠点を移して数々の作品に出演します

2024年 「SHOGUN」出演とプロデューサーを務める

9月 「SHOGUNエミー賞 テレビドラマ部門「出演男優賞」受賞

2025年 「SHOGUNゴールデングローブ賞テレビドラマ出演男優賞を受賞しました

真田さんの初めての映画出演は千葉真一の息子役でした

中学生の時に千葉真一主宰のJACジャパンアクションクラブ)に入団。芸名も千葉真一から貰い。千葉真一は真田さんにとって師匠であり芸能の父のような存在でした

千葉真一はハリウッド進出を果たしました。NinjaやSAMURAIは世界的に人気であり需要はありましたが「言葉の壁」の問題があり 日本人役を中国人などが演じる場合が多く日本人からみたら「違和感あり」の侍と忍者でした。千葉ほど侍と忍者を上手く演じれる俳優は居ませんが「言葉の壁」は厚かったのです

千葉はアメリカ永住権を得てアメリカに家族と移住しました。次世代の子供たちを世界的俳優にするためです

2024年に弟子の真田広之が師匠千葉真一の海外進出の夢を受け継いだのです。また父親真一の息子たちも父親の夢を受け継いでいくのです

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「意思を受け継ぐ」ロマンですね。真田広之もかっこいいけど 改めて師である千葉真一も漢である

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(閲覧注意)任侠二世 北村孝紘


大牟田4人殺害事件はどれだけ残酷だったか 家族全員死刑、父も母も兄も弟も | 今週のHONZ | 東洋経済オンライン

2004年 暴力団の組長家族が闇金の女性と息子二人と息子の友達を殺害した事件。組長家族、父、母、息子二人が死刑判決を受けた

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北村實雄(じつお)は暴力団の組長だ。ヤクザになる前はタクシーの運転手をしていた

父親はヤクザとして押し出しの利くタイプでなく、穏和で、優しい性格だった

北村實雄は「強いものに弱く、弱いものには強い」内弁慶だった

オヤジ(實雄)や姐さんは、若い衆ば一人選んで、夫婦でつるし上げよらした…ほとんどのものはこれでやめよった

姐さん妻の真美が資金面の管理を行っていたが、真美も攻撃的な性格で若い衆を夫婦でつるし上げていたため若い衆はいつかなかず構成員は10人に満たない弱小暴力団だった。そのため事務所は火の車で借金は6000万円ほどあり資金難に喘いでいた。組長である實雄は何度も自殺を図るほど追い詰められていた

事件の当時、オヤジはしょっちゅうテンパッてたけん…ものすごくお金なかったんよ。若い者にもヤキいれるし、ついていけない感じになっていった。その一年前くらいから、若い者がどんどん逃げ出していった

真美には無許可で金貸しをしている高見小夜子さんという友人がいた

小夜子さんは借金の取り立てや雑務を依頼していた

小夜子さんの闇金は羽振りが良く北村家では、自分たちの威光で一人だけ儲けている。ずるい!という発想になり、高見一家を殺害してお金を強奪しようと北村家は企んだ

家族は三男の孝紘(20歳3ヶ月)だけに殺人を実行させた

北村ファミリー家族4人が逮捕され 身勝手極まりない殺人事件が報道されると、暴力団上部団体は北村ファミリーとの接触を厳禁した。そのため北村ファミリーに面会はおろか差し入れもなく、家族は暴力団から見捨てられた

そのため三男 北村孝紘はマスコミと接触し、インタビューや執筆によって得た原稿料を家族に分け与えていた

三男 北村孝紘 f:id:jw1972w:20250212005343j:image

俺は昭和59年6月9日に大牟田市で生を受け、父「實雄」母「真美」の間の男3人女2人の5人兄弟の4番目で育った

物心つくころには、親父は組長を務めており「親分の息子」として人並みの何倍も甘やかされて育った

ヤクザの子供がヤクザになるのはレアケースである

親父はどこへ行くにも俺を一緒に連れていき、好きなもの、欲しいものは何でも買ってくれた。そのため、俺はいつしか人1倍の我儘ものになってしまった

北村組は自宅兼事務所だった。事件直前に自宅と事務所を分離したのだが、それまでは北村家では組員たちが出入りしていて自宅の掃除や洗濯をおこなっていた。北村家の子供たちはヤクザと衣食住を共にしていた

そんな経緯から、当然、保育園でも友達ができず、また兄弟たちからも一番嫌われていたと俺は思っている…

中学生の頃には、不良やヤンキーなどではなく、もう完全に悪といえるほうに向かって歩んでいた

…それは窃盗にはじまり、喧嘩、障害、強盗、輪かん、薬、etc…数え上げればきりがないほどだ。しかし、俺は18歳の終わりまで一度の逮捕も補導もない。そう、それは何か問題が表へでそうになると、先手を打って親父たちが手を回し、話をつけ俺を守ってくれるからだ

中学卒業後、長男の孝と相撲部屋に入門

当然ながら厳しいところは厳しいのであり、中には嫌な人もいた。それは人間だから仕方のないことだ。ただ、俺のいた部屋は稽古の厳しい部屋で「可愛がり」は毎日のようなものだが、それは逆に自分のためのことであり、優しさでもあるのだ…今でも俺は、稽古や付き人…親方、兄、弟、弟子たちに心から感謝している

怪我をした孝紘の力士生活は幕を閉じた

実家に帰ると暴走族や愚連隊をつくり女子中学生の売春チームと覚醒剤などの薬物を扱うなど様々な悪さをしていたがまともになろうと父親の北村組の準構成員になった

孝紘はある女性と相思相愛になった

その頃は女の夢に俺も乗り、共に真面目に暮らしカタギになろうとした。しかし、夢は夢でしかなかった

俺が夢にボケている時、県警よりガサ(家宅捜索)があり、関係者のところから「シャブ」「葉っぱ」が見つかったために、誰かがジキリ出頭(身代わり服役)せざるを得なくなっていたからだ

自分の女、夢が大事。でも一度受けた盃はそれ以上に大事で重かった。義理と人情では侠(おとこ)は義理を取らねばならぬ者、つまり俺は女や夢を捨て、俺が身代わりとなりジギリ出頭することにしたのだ!親父もそれを希望したのだ

出頭前に大牟田近辺の仲間たちと49軒、一晩のうちに襲撃し、ほかにも自転車の通行人を意味なくわざと跳ね飛ばして轢いたりした後少年院に1年半入所

兄もリンチ殺害事件で傷害致死事件で3年半服役をしていた。この巨大兄弟とてつもなくワルだった

2004年 長男 孝は三男孝紘を呼び出した

後になって知ったのだが、実はもうこの頃に孝は、両親と共に高見小夜子を殺すことに決めており…俺は直前に呼ばれ、知らされ、1時間も経たぬうちに1人目を殺らされたのだ

高見家についていつものように「おーい」と呼ぶと次男の穰史がでてきた

「勉強中でした。すぐに終わらせるので待って下さい」と穣史がパソコンに向かい背中をみせた瞬間タオルで絞殺した

否!冷静にというよりも、今まで窃盗や強盗やなんやで警察に追われたりいろいろ体験したが、その中で一度も感じたことのないスリルや快感のようなものを覚え、「怖い」などと感じなかった

今思うと、世界でたまに聞く「快楽殺人」って言葉があるが、正直、俺はその気持ちがわかる気がする!

イヤっていうほどに人の血を見てきたが、実際、自分の手で人を殺している時の快感、男とか女とか関係ない、今、生と死を分ける神的行為を行っているというスリル!

一度味わえばもう終わりだ。やめられない。シャブやなんやと同じようなものだ。命が簡単に消え、死ぬものであっても、快感がより強い理由の一つであろう

穣史が蘇生しかけると再び穣史の首を絞めた

一分ほどでまた一切動かなくなり、穣史はただの肉の塊と化さした。俺は穣史を二度も絞殺したのである!その快感は…エクスタシーに似たほどのものだった

譲史を車のトランクにいれ高見家を後にして死体の処理を話し合っていると、トランクを叩き助けを求める譲史の声が聞こえてきた

そう、命とは簡単なようで難しく、難しいようで簡単、弱いようで強く、まことに不思議なものである

監禁して(チクらない)ように言い聞かせて解放してやろうと孝に言ったが、孝は「譲史は絶対歌うぞ!」と一歩もひかなかった

さすがに3回目の時は、快感というよりも、多少の気味悪さを感じていた

泣き叫びながら救いを求める穣史さんを二人でロープで首を絞め殺した

俺はその時、どうしょうもないほどやりきれない気持ちと、申し訳なさで、頭に浮かんでくる。穰史とのたくさんの楽しい思い出を振り払いながら、川の水面を見下ろし、合唱した

孝紘には15歳の恋人サトミ(仮名)がいて半同棲中だった。孝紘の挙動不審をみてサトミは「人を殺したのか?」と問い詰めたが孝紘はサトミに怒鳴り散らし黙らせた

サトミさんとの交際のきっかけはレイプだった。車に乗せられて無理やりレイプされたのだという。サトミによると「それ以降は優しかった」という

北村夫婦は小夜子さんを呼び出し睡眠薬を飲ませた。小夜子さんは華やかな女性で北村家では「パトラ」と呼んでいた。大の字になっていびきをかいて寝ているパトラ小夜子さんをみながら 小夜子さんをどうやって殺害するか、死体処理、小夜子がいなくなれば小夜子さんの長男が騒ぐと考え長男を殺害して、小夜子さんの車に死体を乗せ川に沈めよようと話し合った

今日二発目のシャブを打ち込んだ。そうでもしないとこれから先のことを考えて発狂しそうになるからだ。心では女に詫びをいれながら

しかし薬はいいものだ、何事にも気楽にしてくれるしブレーキを解除してくれる

孝紘 小夜子さんを絞殺中 父親は孝紘にお茶を飲ませ、孝は煙草を吸わせていた

俺はやはり穣史の時と同じように興奮した!今度は快感というよりも、スリルのつよさに大興奮を覚えた

小夜子さんが絶命した後、孝は車の窓ガラスに「ひとごろし」と書き それを孝紘は笑って受け流した

母親は小夜子さんのバックをあさり26万円入った袋をみてはしゃいだ

小夜子さんの遺体を車に積んでブルーシートをかけた。孝紘は外から見えないようにブルーシート越しに遺体に座った

死んだばかりなので生温かく、決して気持ちのいいものじゃなかった。しかし一方では、死体に座っているというスリル感に気分は興奮した

高見家まであと15mというところで高見家の長男の乗ったワゴン車にでくわす。孝紘は車から降りて両手を上げて車を停めると龍幸と助手席には龍幸の友達が原純一が乗っていた

孝紘「龍一人やないやん。あの連れはどうすると?」

孝「俺たちの顔みられとちゃっけ、やばかくさ。龍と一緒に殺ればいいだけやなないとや」

この原という男はまったく無関係だし、ほとんど無関係の人間だ。正直、ただただ居合わせただけで殺してしまうのは少々かわいそうだと思って同情した

親父「そげんと仕方なかろな!もう2人とも殺してしまえ」

「殺してしまえ」って言葉は、結果的に「俺」に「殺れ」ってことで、俺が手を下すことまで決まったのである

二人もいるなら道具が必要と言った孝紘に親父はポケットから銃を取り出し渡した

一家は行方不明になった穣史を一緒に探すふりを龍幸と原を自動車の後部座席にのせ、孝は運転席、孝紘は助手席に乗り込んだ。孝紘は2人が逃げないようにドアにチャイルドロックをかけた

走り出して、俺はこれから自分が殺す龍幸と、最後の別れをするかのようにいろいろと昔話を語りあった…

孝紘は龍幸に同情もしながら

この時俺は、目の前にいる、笑いながら俺と話している二人をこの手で殺すのだと思い、少なからず興奮していた「殺人」への期待に胸がたかなっていた

二人が手に携帯電話を持っていることに気づいた孝紘は「携帯どこの機種や?」と2人の携帯を受け取った

この時、俺は携帯を奪ったことで、2人に逃げる手段は完全にない、と思い、興奮がピークになりかけていた。このまま走行中の車内でやってしまおうかと…早くやりたい…殺人を楽しむ自分がいるのを抑えられなくなっていた…そしてついにはじけた

2人の携帯を2つにへし折って、完全に破壊して足元に投げ捨てた。孝紘は「オラァ!」と拳銃を取り出し2人に向けた

2人の頭に銃を1発ずつ撃ち込んだ。銃は小型銃で破壊力がなく、2人は頭を撃たれても呼吸をしていた

父親に電話をすると「心臓を撃て」と言われ胸に2発撃ち込んだ

しばらくすると原さんが息を吹き返した。母親はアイスピックを孝紘膩手渡し親父「孝紘…突け!」孝紘は原さんの心臓をアイスピックで掻きエグった

ナンバープレートを取り外した高見家のワゴンに遺体を3体乗せ沈めたあと、一家は高見家のお金と金庫を探した。家族が高見家に入ると高見家の小型犬がほえ立てた。家族は五月蝿い小型犬を蹴り殺した。金庫は見つかったが書類しかなかった。4人の人間を殺害した強奪事件は現金26万円と貴金属くらいで総額300万程度しか金目のものは得られなかった

9月21日 ブロックで沈められた穣史の遺体が上がった

9月22日 真美が出頭して逮捕され「3人を殺した」と別の殺人を自供した

父親は大牟田署内で拳銃自殺を図り、孝紘も逮捕され最後に孝も逮捕された

孝紘は取り調べで刑事たちに悪態をつき暴れまくった。頭突き、殴りかかり、味噌汁かけたり、ボールペンで差したり、煙草の火を押しつけたりめちゃくちゃだった

正直、俺が殺しのスリルや快感を感じ、殺しそのものを楽しんでた事実は認める

しかし.100%好んでやっているのではなく、多少なりとも「嫌だ」という気持ちもないわけではないのだ

それなのに、この兄は…。俺を巻き込んだのも孝、人を殺すことになった理由も孝。すべて孝、孝、孝。こいつが一番の原点のくせに、汚れ役はすべて俺に押しつけて、自分はただ見物する。そして、その中の分前は人1倍にとる。我儘のためなら平気で身内すら利用して見殺しにする

裁判

父親は単独犯を主張した

母親と息子たちが罪を擦りあう

孝は脱走しようとした

孝紘はトイレ用の紙を飲み込み自殺を図る

孝は「実の親とも両親とも思ってない」と言い放つと孝紘は孝に殴りかかろうとした

12月25日の裁判で孝紘は退廷の際、「メリークリスマス」と叫んび法廷にいたも者を唖然とさせた

判決4日前には「彫り師になりたい」と夢を語りだした

―殺人について

蚊を叩き潰すのと同じ

2011年10月17日 孝紘と真美の判決の日。死刑判決が言い渡された。孝紘は微動だにせず、真美は深々と頭を下げた。真美は「すみませんが5分だけください」と、傍聴席を振り返り、臨席する被害者遺族に詫びの言葉と、社会に対して迷惑をかけたことを謝罪した。

「孝紘、ごめんね。お母さんか悪い」

「なるようにしか、ならんやろ」

突然巻き込まれ、楽しみ、狂い、快楽すら覚えた。やはり俺はおかしいのか?あるいは動物、生き物としての本能はこれで正しいのかもしれない。俺の人生はとても短く、その分太いものとなった。またそのことに対して俺は一切の後悔もない。それどころか、自分では満足とすら思っている。この先、刑が確定し、いつか確定し、いつか執行されるだろうが、その時はその時で仕方ないだけのこと。自分で決めた道だから。それに、俺は人を殺すのに快感を憶えて、人殺しを楽しんだ。次は刑より殺される方を経験してみるのもいいかもしれないと思う(笑)

 

めちゃくちゃ暴力的な記事ですみません

。この事件を取り上げたのは息子たちが「任侠二世」でありさらに「洗脳」があったからです

北村家は暴力団一家で事務所兼自宅だったため普段からヤクザが出入りしている個性的な家族でした

子供たちは任侠二世です。変わった一家でしたが子供は自分の家が普通と信じて疑いません

「強いものに媚びへつらい。組の若い衆には威張り散らす」がポリシーの両親の背中をみて子供たちは育ちました

とりわけ孝紘はそんな父を盲信して尊敬して我儘で暴力的な「乱暴者」な青年になりました。孝、孝紘は2人とも「悪」でしたが自分より強いものには従順でした

「ワル」で体格の良い孝と孝紘は相撲部屋に入門しましたが 相撲とりとしては全く使い物になりませんでした

この2人弱いんです。結局、両親と同じ「強いものには弱く、弱いものには強い」という人間になりました。孝のほうは稽古が嫌だからという理由で放火をして破門されています

相撲取りの夢が破れた孝紘は父の事務所の組員になり父に従順に尽くします

この一家全員頭が悪いようで家計は火の車す。知り合いの金貸しの高見さんが羽振りがいいのは自分たちを利用したからだ。高見さんのお金は自分たちのものという身勝手な理由で高見家一家殺害財産強奪計画をたてます

高見一家殺害は計画しながらも行き当たりばったりのずさんな犯行でした。孝紘は返り血を浴びた状態で買い物までしています

北村両親は毒親どころか「猛毒親」です。両親は高見家殺害を自分の手を汚したくないから息子の孝に実行させようと操作しましたが、孝は「実行役」はしたくないから弟の孝紘に押し付けました

孝紘は身体だけ大きくなった5歳児であり、従順に嬉々として両親、兄に従い命令は何でも聴きました。恋人と別れることになっても父の命令に従い刑務所に入りました。20歳になっても孝紘に自我がなく 両親と兄の傀儡人形で促されるまま残酷に4人の人間を殺しました

(被害者たちを)をかわいそうとは思いますが、申し訳ないとは思ってないです。殺されたのも運命、私が死刑になるのも運命。それに私はヤクザです。親分(父)の命令は絶対なんです

孝紘の一連の行動はヤクザとして正しいことをした。その結果死刑になるなら仕方がないということでした

孝紘にとって高見家殺害してお金を強奪することは、家族を救うジハード(聖戦)でした

孝紘が殺人を「楽しい」と興奮していましたが殺人はいずれも覚醒剤を打ちながらしたわけでシラフではできなかったのです

孝紘は家族に従順に自己犠牲につくしました。こ孝紘の従順さはカルト二世のようでした

孝紘がこの手記を出版したのも、その印税で家族に差し入れするためのものでした

孝紘の人生生まれてから20年間の人生は両親と兄に操作される凶悪な傀儡人形でした。残りの人生は13階段を上がる日まで独房にいます

孝紘には家族愛はありましたが最後まで被害者に対して罪悪感を感じることはありませんでした

 

 

 

女子高生コンクリート事件 小倉(神作)譲の現在

女子高生コンクリート事件

準主犯格の少年B小倉(神作)譲が孤独死していました 

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画像 TBS

お墓は小倉が生活保護を受給しながら生活した埼玉県の霊園にあるそうです

彼女はかわいそうだったけど游んでやったんだからいいんじゃない

謁見の時この言葉を聞いた担当弁護士は仕切りのガラスがなければ殴っていたと述べた

小倉穰 生い立ち

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父と母と姉の4人家族。母親は男勝りで気の強い女性だった。小倉が生まれた頃には父親には別の女性と暮らしはじめ 離婚してその女性と再婚した。母親は水商売の仕事をはじめ多忙だった

家族そろって食卓を囲んだ記憶はない

小倉は小学2年の頃から母親とすらご飯を食べなくなった

幼稚園時代

―幼稚園の頃にどんな子供だったんですか

ガキ大将というか…強いというか、よく人を殴ってました

Bは幼稚園の時、当時のテレビ番組で勝ち抜き腕相撲大会に出ることが決まり「僕が優勝したら、お父さんは帰ってきてくれるかな?」と尋ねた。不在である父親は小倉に熱心に野球を教えた。その後小倉少年は野球チームに所属しレフトで活躍した

歪な親子関係

母親は生計のため夜の仕事をしていた。Bは小学3年生の時、学校から帰ると母親に「お母さーん!」と抱きつこうとすると、Bの脱ぎ散らかした靴に目をつけ「あんた何なの!その靴の脱ぎ方は!いつもきちんと靴を揃えて脱ぎなさいって教えてるのに…お母さんは、あんたなんて子は知りません」と吐き捨て仕事に出かけてしまった時もある

多忙な母親は「お父さんのところがいいんだったら行きなさい」と暴言を吐いたり、靴べらや掃除機の先で小倉を叩くこともあった。小倉は母の逆鱗に触れないように母の顔色をうかがうようになった

小倉の母親は毒親だったが小倉はお母さんが大好きだった。仕事で疲れたお母さんがうたた寝していると寒くないように毛布をかける優しい一面もあった

彼は体も大きかったし、スポーツマンでした。そして色々な意味でリーダーシップのある子でした。スポーツ大会などで、彼がいるとチームが勝ったりして、クラスでは信頼されていたように思います。友達がいじめられると、相手が大きかろうと強かろうと向かっていくところがありました。それに、私に力をかしてくれた。授業などで、私が静かにして欲しい時、彼が「静かにしろよ」なんて言ってくれたんです。(小3の時の担任)

学級委員

3年の一学期には学級委員を務めた

僕はよく同級生の友達を殴ってました

―それはどういうことで同級生を殴ったりするの

自分が思うようにいかなかったり、そういう時に殴ったりしていました

自習中に小倉学級委員はうるさくしていた児童を殴りつけた。小倉は暴力でクラスメートを動かす学級委員となったのだ。クラスメートたちは暴力的な小倉を嫌がり仲間はずれにされた。 小倉は学級委員を降ろされた

転校

Bが4年生の冬、父親がBを引き取った。Bは転校して父親とその再婚相手と腹違いの兄弟と暮らしたがBは馴染めず、母親のもとに逃げ帰りかといって家に入れず団地内駐車場に潜んでいたのを近所の人が見つけ家に入れさせてもらった

再転校

元の小学校に通うも放課後、友達と行く当てもなく家出をして町を徘徊しているところを担任に発見された

小倉が父親に引き取られ転校した後、K先生の脚本で「ひとりとみんな」という劇をつくった

ひとりとみんな

図工の自習の時、男子児童5人がふざける。それをみていかった学級委員が「ふざけた奴、前へ出てこい」と言い、級長と取り巻きたちで殴り、みんなの前で「すみませんでした」と謝らせる。次の日児童たちが学級委員の暴力が酷いと先生に訴えた

児童たちと先生は話し合って「暴力はいけない」ということになり 〇〇君を仲間はずれにして反省を促しすという児童の提案が可決される。学級委員を辞めさせられ、仲間はずれになった〇〇君は元気がなくなる。〇〇君が転校する日。〇〇君がお別れのプレゼントをクラスのみんなから受け取る時、クラスの代表が「新しい学校に行っても、元気で頑張ってください。僕たちも自分勝手なリーダーを出さないように、みんなで力をあわせて頑張ります」〇〇君は「今日はどうもありがとう。僕は仲間はずれにされて、とても寂しかったです…自分のいけないことを考えました。新しい学校に行ったら、同じことを繰り返さないようにします」〇〇君 おじきする

この主人公である〇〇君は小倉と一文字違いであり、小倉が転校したあと学芸会で上演された

小倉によると学芸会で自分が主人公の「ひとりとみんな」をやるから父のところに身を寄せたという。小倉は家にも学校にも居場所がなかったのだ

ポエム

「友」

ぼくは学校が2回変わった

それで友だちは力でおさえつけてはいけないということがわかった

友だちは心と心が通じ合うと友とよべることができると思う

ぼくは〇〇小でそのことを学んだ

それから〇〇小ではじめて真友という言葉に会った

その時はじめて

友というのに気がついた

ぼくは〇〇小に行くまえの学校にいる

でも

心には真友という言葉が生きている

小倉 小4の文集より

宮野先輩は小学生の時から知ってました。小学校は違ったんですが、僕たちの小学校に木刀とかヌンチャクを持って殴り込みをかけてきたり、中学では一緒になり、入学した当時宮野先輩と一級上の先輩が植木鉢を持って追いかけまわしたと聞きました。そういう話を聞いて怖いと思ってました

中学入学

小倉は東綾瀬中学に入学して野球部に入部した。長身で運動神経の良い小倉はバレーボールや陸上でも活躍した。しかし中2の冬休みにスキーで骨折した小倉はスポーツを続けられなくなった

上級生の宮野に「挨拶をしなかった」と因縁をつけられ締められたこともあった

喧嘩再開

小学4年の「仲間はずれトラウマ」以来。喧嘩をしないと心に決めた小倉だったが三年生の三学期にカツアゲされた友人を守るために喧嘩を再開した

自分から殴ったりはしませんでした

また小倉は人から頼まれると『嫌だ』と断われない性格でした

高校進学で、Bは都立の工業高校を希望した。母親は普通高校が良いと、私立高校ブラスバンド部を条件とする推薦入学を決めてしまいます。Bはブラスバンドに全く興味がありませんが黙って母親に従いました

私立高校入学後、体格の良いBに目をつけた2つの運動部がBを勧誘します。Bは母親との約束を破るわけにはいかないと、この誘いを断りますが「誘いを断るとは生意気だ」と2つの部活の先輩たち6人からリンチを受けてしまいます

学校はリンチをした先輩たちを処分せず、Bに自主退学を促します。この事件が明るみになると、その部活が全国大会に出場できなくなるという理由でした

高1の秋 Bは自主退学をして、今度は母親に黙って定時制高校を受け合格します。高校入学するとBに彼女ができます。毎日二人で登校しました。しかしそれを母親は許さず、ある日迎えに来た彼女を玄関に待たせ、母親はBの首を絞めます。その後彼女と別れさせました。Bは荒れ、ものに当たり散らしました。反抗期である

去年の8月ぐらいに小遣いをねだったことで僕が壁を叩いたのですが、そのことで110番通報されて

「そんな風に家を壊す子は家の子じゃありませんから連れて行ってください!」

居場所を失った小倉は家出をし幼なじみの湊兄弟宅に出入りした

小倉は中学時代の先輩宮野からマージャンを誘われた

マージャンに誘われて、借りをつくって、それを返してもまた何回か電話がありました…電話に出ると誘いを断われませんでした。何をされるかわからないというか、怖い気持ちに変わりありませんでした

湊兄のバイクが盗難された。小倉は地元で顔の利く宮野先輩に相談した

地元で「顔」の宮野が捜していると知れ渡れば、盗んだ奴が詫びを入れてくるかもしれないって小倉は思ったんですよ…上の人を利用するんです

マージャンとバイクサイコパス宮野に借りをつくった小倉はAの奴隷のように扱われた

道具のように使われる

小倉が体がひと回り小柄な宮野にペコペコしている姿を多くの人が目撃していた。小倉は宮野のいわれるまま悪行の限りを尽くした

父親は家出したBを心配してC宅に出向き説得したこともあった。父親は「あの時Bを連れて帰れることができればこの忌まわしい事件は起きなかった」と悔やんでいる

小倉の両親は被害者に償っていきます。と語り分割で慰謝料を支払ったが50万円払ったあたりで支払えなくなった

少年の時から人の顔色を見る裏表のある子供だったが、暴力で他の子供を従え自己中心的に自分の存在を主張する傾向もあった

Bは悪夢に苛まされるようになった。殺した少女が毎晩枕元に座り恨み言をいうという。幽霊は存在しない。罪悪感が目覚め罪悪感が幻覚をみせるのだ。凶悪少年に良心が芽生えると自分の罪の重さに耐えきれず精神疾患を発症する。小倉は精神疾患を患うようになった

1999年 10年間の服役を終えた小倉譲は養子縁組して神作譲と名字を変えた。刑務所ではコンピューターの資格取得したためコンピューターの会社で働いた

10年間の服役は「浦島太郎」になる。それ以上に神作譲には試練があった。それはSNSである。「小倉譲」「女子高生コンクリート事件」と検索すれば当時の小倉の顔写真、悪行がSNSに無数に氾濫していて、それは永遠に終わらない。結局、小倉は職を転々とした

こんな言い方したら変だけど、薄気味悪い嫌な印象しかなかったですね…俺様という感じで、自分が一番だという態度でしたね

義兄(小倉譲の印象について)

中古の高級車をローンを組んで購入し乗りまわしたり父親の実家に何度か訪れていた

妻が言うには子供(後妻と父親の間の腹違いの兄弟)たちに手を挙げていた。俺は見なかったけど(B父親)

2000年 中国籍の女性と結婚するも離婚(偽装結婚だと思われる)

仕事先にトラブルとなり給料支払いになった。Bは母親に相談すると母親は知り合いから山口組の人を紹介され山口組の人から仲裁してもらう(B母の交友関係は普通ではない)

Bは仕事を辞めてからはフラフラして母親に金を無心した。みかねた母親が結婚して家庭を持ったらどう?というと

(コンクリート)事件の子供を言われるからだめでしょう

SNSを閲覧してノイローゼになったのか「盗聴器が家に仕掛けられている」というようになった

行き場のない神作譲暴力団に出入りするようになる。暴力団のおじさんは行く先々で「こいつコンクリート事件の犯人ですよ」と言われ好奇の目にさらされた。それを母親に話すと「付き合うのやめたら?」と母親がいうと「他に友達いないから…」Bは孤独だった

2004年 5月 神作は顔見知りの男性に「俺の女に手をだしやがって」(その女性と交際してもいないし 被害者はその女性と何の関わりもない)で男性を自分の母親が経営するスナックに監禁した

監禁中、神作は自分がコンクリート事件の少年Bであると自慢するかのように話た。被害者少女が死んだ日、タバコの煙を被害者の口に近づけ息をしていないことを確認した。本当の主犯は自分で自分はAを操作していた。裁判では反省したふりをして刑期を軽くしたこと武勇伝として語りながら暴行した。人を一人殺すも二人殺すも同じとも語った。被害者を殴った後、疲れて眠ったところを被害者が逃げ出して逮捕された

2009年 出所

神作は何処に行っても「コンクリートの犯人」と後ろ指をさされると思い込んだのか生活保護を受け引きこもりになった

2022年 母親が差し入れにBのアパートに行くと トイレで小倉譲は死んでいた

Bは精神安定剤を服用していた。薬で足がふらつき倒れたという。頭がトイレとタンクの隙間に挟まり取れなくな嘔吐して死んだという(享年51歳)凄い変死

少年法

日本という国では「少年法」というものがあり、未成年であれば刑罰は受けず、更生施設に入所し人生をやり直しできます

社会に戻り、もう二度と同じ犯罪は犯さず、一生懸命に勉強し、真面目に働くと言っても、償いを法的には免除されたとしても、社会はその罪を許さない

高度に発達した情報化社会においては、過去の自分を隠し通せる場所は、もはや、どこにもない。テレビ、新聞、雑誌が少年AとかBとかアルファベットで目隠しで彼らの素性を隠したとしても、インターネット上では彼の氏名、素顔、学校名、住所、親の名前、親の職業、会社すら公開されている。少年の凶悪犯罪の親は離職せざるを得ない

法律は更生を謳うが、社会は殺人犯が幸せに生きることは許さない

将来、就職はできない。もし就職できたとしても、SNSで彼の過去を知っている誰かがいる。やがて噂は広まり、週刊誌の記者とかがきて、結局、その会社にいられなくなる。別の会社に移っても週刊誌の記者がやってくる。家族もどこに引っ越しても、地域の人々には彼らの子供した事を知っている。少年犯罪の場合、現行の少年法に人々が納得できないからこそ、彼らは忌み嫌われる

もはや「少年A」の未来は絶たれた

「少年A」にはこの世界のどこにも居場所がない

正社員で働くことはできず、結婚はまずできない。結婚できたとしても正体がバレて離婚される。彼は居住地を転々としながら人目を忍んで生きるしかないのだ

「少年A」の居場所は世界のどこにもない

彼らは一生、その罪から逃れることはできないし許されない

野獣に人権なし

更生

更生とは何でしょうか?

週刊文春はコンクリート事件の残酷さに「野獣に人権なし」と少年たちの4人を顔つきの実名報道に踏み切りました。少年たちに極刑をという声も上がりましたが 結局 彼らは少年法に守られました

少年法が制定されたのは戦後です。当時は親や住処を失った少年がたくさんいて彼らは生きるために窃盗をしなければならなかったのです。少年法はそういった浮浪児を保護し更生させるために作られたのです。少年法は時代遅れなのです。快楽リンチ殺人する少年を更生させるものではないのです

快楽殺人する人間は通常の人間と脳が異なります

加害者少年たちは全員 機能不全家族で育ち親から虐待とネグレクトを受け教師からは体罰を受けイジメられ脳が歪に歪みながら成長しました

子供の脳というのは可塑性がありストレスで歪に成長します。一度歪に育った脳は後から訓練したとしても正常に機能しません。それはコンクリート事件、酒鬼薔薇事件が証明しています

「更生」という言葉があるが、愛情をかけられた経験が一度もない人間には更生の道は存在しない

なぜなら、彼らには戻るべき正しく生きていた自分など存在しないからだ

誰からも無条件の愛情を受けたことのない人間にとっては、反社会的で破壊を繰り返す道を最後まで歩み続けるしかないのである

凶悪犯プロファイル

虐待、ネグレクト、体罰、イジメ、少年たちはシンナーや覚醒剤を服用していました。少女を強姦するときは麻薬をうったといいます。また刑務所に長期閉じ込められると精神病になりやすいようです。シンナーで脳が萎縮するそうで彼らの脳はぶっ壊れていました

小倉譲は何を間違えたのか?

小倉譲は愛情飢餓のアダルトチルドレン自己愛性人格障害のマザゴン男の精神年齢5歳児の大人です

小倉譲の母親もまた自己愛性人格障害で自己中心的で子供の心を傷つける親でした。どんな酷い親でも幼子は親を慕います。親が愛情を与えなければ与えないほど子供は親に愛されようと執着します。小倉譲は母親にとって良い子になろう努力します

小倉譲は高校生になっても幼児のように母親に依存していましたが母親は反抗的な息子を警察につきだしたため、小倉は母という居場所をなくしてしまいます

居場所を亡くした小倉譲は強い不良リーダー少年A宮野裕史に依存して宮野に道具のように支配されます

 

毒親 神聖化

凶悪犯はおしなべて養育者 主に実母から酷い虐待とネグレクトを受けながら成長しています。虐待を受けた凶悪犯は「あの頃は、母親はそうするしかなかったんだ」と虐待親を擁護します

しかし、これは毒親の「洗脳」でなのです。自分が凶悪犯になった原因が養育者の虐待に気づいていないだけのです

私はそれを「毒親 神聖化」と呼んでいる

凶悪犯は毒親を「神」や「教祖」を信者が崇拝するよう神格化するのです

毒親を神聖化した被害児は毒親の毒を継承します。代々毒を継承すれと毒は煮詰まり毒性は高まり終には無辜の人間をたくさん巻き込む凶悪犯罪が誕生するのです

自分が邪悪になった原因が養育者と認識し、虐待養育者を攻撃して退治するならば、彼らの破壊願望はおさまるのだが そう考えれば子供が親にする家庭内暴力は犯罪よりも健全といえよう

小倉はそうはならなかった。いつまでも幼児のように毒母を追い求め 毒親の「いい子」になって愛されようとした

5歳児の大人

高校生になっても親の言いなりになる人間は不幸な人生を送る。親の価値観とは30年前の価値観であり、たとえ健全な親でも時代遅れになる。ましてや小倉の親は毒親である。毒親の言いなりになれば碌な人生しかおくれない

不健全な幼稚な人間は健全な人間は相手にしません。不健全で幼稚な人間の周りには不健全な人、幼稚な人、ずるい人、悪い人が集まるのです。結果 小倉は宮野みたいな極悪人と関わり凶悪犯罪に手を染めます

小倉譲は被害者少女を殴るとき、殴られる瞬間少女が顔を歪めるその表情を見るのが面白くて何度も殴ったと言いました

この心理わかりますか?

小倉譲は母親に対するするいら立ちを母親に怒りを示せないから被害者少女を母親の代理にしてタコ殴りにしたのです

虐待された子供は怒りに支配されます

幼い子供は親に依存しています。そのため芽生えた怒りは親に向けることができず。虐待被害児は行き場を失った怒りを抱えたまま育ちます。その怒りは、イジメ、動物虐待、放火、窃盗などの行為を通じて排出されるのです。それが放置されれば性的暴行、暴力、最期は「殺人」という形で幼いころから継続した「積年の怨念」として排出されるのです。怒りと「性欲」は連動しているので、一方が活性化されると もう一方も活性化します。これが連続殺人鬼のメカニズムである

通りすがりの被害女性たちに対する陵辱、暴行は実の母親に対する「怒り」なのです。なぶり殺しにすべきなのは彼らの親なんです

小倉譲の末路は母親が毎日弁当を差し入れしてくれたようで

50過ぎても仕事につかず引きこもりで自炊もせず毎日大好きなママがお弁当を作ってもらえた

小倉は死ぬその日まで五歳児の幼児のように母親に依存し思う存分に母親に甘えることができたのです。小倉譲は生涯五歳児の大人だった

結局お前は壊れたクソガキのままここで死ぬんだよ

BlackLagoon3巻

小倉穰の人生

小学生時代 暴力装置の嫌われ者で仲間はずれにされる

17歳になるまで数々の少女を暴行し一人拷問死

10年間刑務所

コンクリ事件の犯人とバレていると被害妄想になり職を転々

暴行監禁事件再犯

4年間刑務所

出所後 生活保護、引きこもり

刑務所で受刑者1人につき年間数百万円かかるんですって

小倉の人生って犯罪と国民の血税を寄生しているだけでは?

小倉譲 お前が何を間違えたか

お前はこの世に生まれてきたこと自体が間違いだった

*1

 

 

 

 

 

 

 

 

*1:参考文献

トランプ氏が大統領選で圧勝 ハリス氏、女性初ならず(共同通信) - Yahoo!ニュース


トランプ氏が大統領選で圧勝 ハリス氏、女性初ならず(共同通信) - Yahoo!ニュース

ドナルド=トランプ返り咲きで第四十七代大統領に

ペンシルバニアでの暗殺未遂

この瞬間 大統領は決まっていたのだf:id:jw1972w:20241107002838j:image

支配者の器

懸念はあるこれからのアメリカは「モンロー主義」「ブロック経済」になる。まずメキシコの国境はブロック

これから4年間、トランプとプーチン習近平怪獣大戦争がはじまる

ドナルド=トランプ、プーチン、メーガン、小室圭…今も昔も世界を動かし歴史をつくるのはサイコパスである

偉人だの、英雄だの伝記を子供たちに教えるなんて愚劣なことだ。善良な人間に異常者をみならえというのも同じだからね