学校の授業で、誰も答えられない問題を手を挙げてこたえてしまうとか、体育の授業で誰もできないバク転してしまうとか、運動会のリレーでごぼう抜きするとか。クラスで皆ができないことをやってのけ「すげえ」と驚かれリスペクトされること
アイデンティティや自己肯定感というのは最初、クラスメートたちの賞賛による「気持ち良さ」によって芽生えます
子供の頃というのは、他の多くの人に先だって練習することで、比較的容易く「すげえ」という言われるスキルやちしきを身につけることができます
カルト宗教のように 虎の威を借るようような生き方は「依存」であり「偽りの自己肯定感」である。カルトの自己肯定感は虚構である。客観的にみれば「愚か」にしかみえない
人生において誰を目指すかにおいてロールモデルが必要です。私は小中学校でクラスに必ずいる。毎年学級委員を務め、生徒会役員を務める「優等生」たちをロールモデルに定めました。「優等生」たちは全教科まんべんなくできていて更には精神的成熟の早い人格者であります
私は勉学を積めば「優等生」たちに近づけると考え
全教科できる「優等生」を目指しました。長女が生まれた時に都が都立高校の一部を「特別進学校」として塾なしでも名門大学に進学ができる。都立進学指定高校制度を導入しました。塾に行かずに名門大学に進学できるということです
私は「全ての都立に入学」できる子、さらに国立大学を目指し 退院後、絵本を時間の許す限り読み聞かせをしました
絵本読み聞かせにより早く言葉や文字を習得するためです。早く言葉、文字を理解できれば、1日でも早く勉強ができアドバンテージがつきます
長女は生後半年で単語を話し、七ヶ月で動物を指差しで識別、一歳になったばかりで主語、述語で話し、一歳半で引き算ができ、二歳で平仮名、カタカナを書けるようになったので二歳から「くもんドリル」「七田ドリル」を始めました。4歳の時には四則計算、小数点、分数の計算もできた。小ニ程度の学力を有した。四歳でピアノを始めた
最初にテキストを三冊頂いたのですが長女は、次のレッスンで「みんな弾けるの」と豪語し弾きはじめたため先生は驚いたそうです
一ヶ月で譜読み完了した時、先生から「御宅のお子さんは天才です」と絶賛されました
ピアノ教室で四歳で最年少の長女はピアノ教室の「一番手」になりました
三ヶ月で初見演奏ができ、五歳で10声の和音を識別。六歳になる頃には一度聴いた曲は何でも弾けるようになりました
ピアノ講師たち、ピアノ審査員たちの「賞賛」。ピアノ教室の生徒さんとママたちの「凄い!」「〇〇ちゃんを目指してます」という みんなの憧れ
小学校に入学すると、一歳半から引き算をしていただけあり計算は学年で一番早くできまし「すげえ!はえー」とクラスメートたちからの賞賛により自己肯定感を確立することができました
勉強ができることは頭の良さとは関係ありませんが「学校」という世界では「学校の成績」こそが「最強のカード」になります。計算が学年で一番早くできるだけで認められるならば、こんなに低コスパで容易いものは在りません
一度皆から「すげえ」と言われると、放っておいても自分で勝手にどんどん練習するようになり、更にスキルアップを図るという好循環を生み出します
長女はトロフィーキッズであり、ピアノ、そろばん、書道でトロフィーをたくさんもらうかたわら、学年トップを取り続け当初の目標どおり塾無しで都立特別進学高校に入学し、計画どうり国立理系に進学しました
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ピアノコンクールには多くの時間を取られ苦戦しました。コンクールで入賞するためには、全ての音符の打鍵の腕のおとし方、離し方、指の力加減全てが違います。入賞するためには相当な時間を費やさなければなりません。スケジュールは分刻み状態でした。5歳から18歳までコンクール漬けになるとは思わず、コンクール併用しながらの国立大学受験はハードなスケジュールでした
今、ストリートピアノがいたるところにあるのでよく弾かせます。大勢に演奏を聴いて頂くのが上達への近道です
長女がピアノを弾くと人々は足を止め、演奏を聴いてくれます。スマホで撮影される方もいらっしゃり 長女は演奏を終えると拍手が湧き起こり
必ず誰かが近づいて「音大生ですか?」と質問され「違います。普通の大学生です」と答えます。すると意外という感じの反応がきます。これは4歳から地道に積み重ねた成果です
最年少四歳の一番手は、20年間にわたりピアノ教室一番手であり、一番弟子であり、今は最年長の「長老」です
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次女ちゃんは優秀賞
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ピアノ教室の生徒さんたちは皆「お姉さんみたいに上手になりたい」とみんなのロールモデルになっています
ピアノ発表会には、初代コンクールメンバーが三人、受付と司会で参加してくれて久しぶりの「再会」。みんな大人になって嬉しい再会でした
ピアノコンクールに出場することにより、違う学年、違う学校の子とも知り合い「仲間」になれるという経験。長女は色んな人たちとピアノでつながっているのです
長女が大学生になって塾講師のバイトをはじめた時、ピアノ教室の4歳年上の先輩Kちゃんがいた。Kちゃんは東京理科大で塾講師のバイトをしていた。理系女の先輩として色々アドバイスして頂きました
先月はピアノステップに一緒に参加し続けたTさんが初リサイタルを開催されたので聴きにいきました。Tさんは医科歯科大学、同大学院卒業後、音楽大学院に入学され、医者の仕事の傍らピアニストもされているバイタリティあふれる人です
このようにピアノコンクールに出場する子はピアノが音大生並みに弾け教養があり、皆明るく、気立てもよく名門大学にみな通っている
私はエホバの証人にさせられ「自称エリート」のエホバ二世の仲間に囲まれたが、みんな高卒、中退、プータローの精神疾患ばかり、洗脳された人間は志がない。こんなものと関わってはいけない。「洗脳」がアイデンティティになってはならない
志のある人とともに切磋琢磨して成長するために学ぶのです
徳を積むために学び続けるのです
生きるとは学びなのです
ピアノコンクール全国大会目指す志。そういった子はピアノも上手い。成績はオール5でなんでもこなす。彼らはストイックで賢く、お互いにインスパイアされます。志の高いメンバーと切磋琢磨すること、コンクール入賞を目指し達成する体験も自己肯定感につながります
ピアノを20年に渡り続けるとは思わなかった。生涯弾き続けるような感じ
ピアノは長女にとって習い事ではなくピアノ講師の伯母から受け継いだ血であり 長女は生まれながらのピアノ弾きでありピアノは「宿命」でありであると私は考えています
ピアノも「宗教」かもしれません
ピアノはすでに長女にとってはアイデンティティではなく空気みたいなもので「宗教」になっているのかもしれません
人は皆 何かの奴隷なのです