イギリスの産業革命で始まった資本主義。世界は発展し人々は豊かになった。しかし、資本主義は貧富の差を引き起こし人々は不満になった
不満になった人々は財産の共有、平等を謳う共産主義を構築した。ロシアでは革命を起こし世界で初めて社会主義国家となった
1929年の世界大恐慌により資本主義の脆弱さが露呈された。持たざる国は全体主義に走る
民主主義vs全体主義の戦いだった
民主主義陣営は勝つために共産主義(ソ連)と手を組みファシズムを倒すが共産主義が増長していく
戦後は
(資本)自由主義vs(共産)社会主義の冷戦の構造が出来上がる
1945 8月、戦争に敗れた日本は、連合軍の占領下に入りGHQ総司令官マッカーサーはニューディール政策を更に極論化した民主化、非軍事化を推進した
1950 朝鮮戦争が起きるとアメリカは日本に警察予備隊創設(今の自衛隊)を作らせた
朝鮮は南北に
ドイツは東西に分断された
中国が毛沢東により共産国家になると、アメリカは日本の共産化を防ぐため
1952 サンフランシスコ平和条約で日本を独立させた
破壊暴動防止法
1953 テレビ放送開始
1954 第5福竜丸ビキニ諸島で被爆
造船疑獄事件 吉田茂内閣批判で総辞職
鳩山一郎らは離反し日本民主党を結成して吉田茂は退陣に追い込まれた
鳩山一郎内閣成立
1955 11月 日本民主党と自由党は合流して自由民主党(保守合同)結成
初代総裁 鳩山一郎
日本社会党 1951年に右派と左派に分裂したが、1955年に再び合流した
2大政党が成立した。この冷戦の構図の体制を55年体制という
アメリカに管理されていた日本は保守の自民党しか政権につけなかった
政権を取れない日本の共産主義者は彼らなりにプロパガンダ活動をした。マスコミなどを利用して活動をはじめる
朝日新聞など新聞は共産主義国家 北朝鮮が地上の楽園。中国共産党、ソ連を素晴らしい宣伝した
Q. なんでマスコミは共産主義を褒めてたの
マスコミと知識人の役割は、権力の監視である。日本では保守の自民党が長期政権に就いているため、監視役は「反自民」「反保守」つまり「革新」の視点をとらなければならない。従ってマスコミ、知識人などは革新ばかりなる
マスコミはソ連の粛正、中国の文化大革命、北朝鮮の人権侵害には目をつぶり、アメリカの問題点ばかり挙げてしまう
左翼と右翼
始まり フランス革命後の議会
(イギリスのような立憲君主政治体制をしよう)王党派(保守)が右側に座り
王を処刑し共和国家を形成する(革新派)が左側に座ったのが始まり
境界線はなくスペクトグラムである
王党派、保守=右翼
革命、急進派=左翼
1955 アジア・アフリカ会議
1956 日ソ共同宣言
ソ連が日本を支持したことにより
12月 国際連合 加盟を実現
米・ソ水爆実験
弾道ミサイル開発競争
1957 砂川事件 米軍基地反対のデモ隊が米軍基地内に立ち入り逮捕された事件
1959 米軍基地は憲法9条に反している。全員無罪
アメリカ駐日大使はこの判決を圧力をかけて「米軍の駐留は合憲」と覆した。今日に至るまで、米軍、米兵が事件を起こしても日本の法律で裁かれたことはない
スターリン死去
1959 ソ連 フルシチョフはスターリンを批判した。フルシチョフは 🇺🇸 アイゼンハワー会談して核軍縮路線になる
1960 日米相互協力安全保障条約
Q. 安全保障条約の何がいけないの?
写真 日刊現代
マルクス主義の復活
革新派「日米安保は戦争に加担すること」と主張した。国会には連日 数万人のデモ隊が押し寄せた
Q. 日米安保は戦争に加担することなの?
軍隊がない日本は戦争はできない。左翼の狙いは、日本からアメリカが出て行かせて共産主義の国にすることが狙い
アメリカ傘のもと、経済復興かできたのだ
岸首相は
「これが国民の全てではない。国民の「声なき声」に私は耳を傾ける。今日も後楽園球場は満員じゃないか」
デモを起こしたのは普通の市民ではなく革新のプロパガンダである
政権がとれなかったた革新 社会党は 憲法9条を神聖化した空想的平和主義になる
現実を勅使しながら自分の思想や理論を鍛えていくという発想がない
彼らは口先だけ平和を念仏のように唱えているだけだ
「まるでカルトね」
岸総理は安保条約を成立したが
アイゼンハワー大統領の訪日中止になり、岸内閣は総辞職した
左翼は内閣を総辞職させたのだ
60年安保闘争の味を占めた彼らは
憲法改正
防衛力強化
教育改革
靖国神社国家護持
例)
ヨーロッパでは軍事や安全保障を研究する学問を「戦争学」「戦争研究」と言う呼び方をする。日本の大学で「戦争学」と名付けた講義を行おうとすると、猛反発を喰らう。「平和研究」というような名前をつけなければならない
などを誰かが口にしようものなら
1.「軍国主義」「右翼」のレッテルはを貼り
2.マスコミが大体的に報道
3.大衆動員
発言によっては大臣のクビが飛んだ。やがて改憲の話はタブーとなる
異論の排除はカルトの根本
言論の封殺は社会主義の基本
左翼の空想的平和主義者たちは、護憲を唱えながら、その実、平気な顔で自分と違う信条の人の人権侵害をする
彼らには法治国家の何たるかが理解できていないようだ
国家権力の暴力は糾弾しても、「革命」勢力の暴力 毛沢東、スターリンの暴力は容認するのである
空想的平和主義になった日本の革新は大衆に支持されず万年与党になる
池田勇人内閣は国民の不満をそらすため所得倍増計画 をスローガンにした
1964 東京オリンピック開催
東海道新幹線開通
一億総中流を実現した自民党は支配構造を政界、官界、業界という鉄の三角形が作られた。次々にスキャンダルが起きても、代わりの受け皿の政党がないため停滞をはじめた
派閥を単位として、どんな無能でも当選回数が多ければ大臣になれた。政治は閉塞した
拝金主義 自民党
平和妄想 社会党
政治家はあてにならない。望選挙の得票率は減っていった
政治に失望しマルクス主義に感化された若者たちが「我らが日本を変えねば」と学生運動がブームとなる
1969 東大安田講堂事件
1970年代は世界革命を主張した日本赤軍がテロをおこす
航空機ハイジャックして北朝鮮に亡命した者たち
中東でテロリストになった者たち
内部分裂して殺し合いした者たち
1972 沖縄返還
1973 石油危機 OAPECは石油の値段を4倍に引き上げた インフレーション
勝手に共産国中国と国交回復した田中角栄をアメリカが邪魔とみなし駆逐したという噂もある
1979 中国はベトナム侵攻
ソ連はアフガニスタン侵攻により共産主義が好戦的とバレてしまい平和を謳う社会主義は失墜した
1980 日本 自動車生産世界一
1985 男女雇用機会均等法
プラザ合意
アメリカは日本に対し貿易赤字だった。日本に不利な条件円高にしろと命令され中曽根は無条件に合意。アメリカに利益を与えた中曽根は長期政権
1987 国鉄民営化
1989 消費税導入
政府は金利を引き下げました
バブル景気
お金を借りる人が増えて企業は不動産、株などを投資してリゾートや高級マンション建設ブームになりました
土地が急激に高騰し「地上げ屋」という商売する人も出てきました
1989 12月29日 株価は3万8915円の最高値をつけました
企業のオフィスは不夜城のように灯りがつき「24時間戦えますか」というCMソングの栄養剤がバカ売れして、過労死が社会問題になりました
日本人は高級車を購入し、高級ブランドで全身身を包み 高級フレンチでディナーを食べ ディスコで踊り明かし、スキーや海外旅行に行きました
ヨーロッパの高級ブランド店には日本人が行列を作り、売り切れが続出しました
一部の若者たちは物質主義的な生き方に虚しさを感じ自分探しの旅を模索しはじめた
東京の土地は高騰化し過ぎました
株は急落し、バブル景気は終焉を迎えます
ベルリンの壁崩壊
冷戦終結
空想的平和主義 社会党は方向転換にせまられた
1991 湾岸戦争がはじまる。憲法9条のため自衛隊派遣ができない日本は多額のカネを支援して「世界のATM」と呼ばれて世界中から非難された
平和主義社会党は
牛歩戦術で対抗
カルトのような空想的な社会党が支持されるはずもなく、衆院選挙では大幅に議席を落とす
20世紀の「社会主義」という実験
共産主義
国家が経済、言論の自由を統制した体制は
粛清を生み
文化を破壊
一般市民の活力を奪い
貧困、不満を膨張させて自滅した
「共産主義がなくなって良かったわね」
「まだ共産主義は終わっていない
狂ったカルトは
一度生まれた思想が消えてなくなることはない
巧妙に化粧直ししては別物を装って再び現れる
彼らは
平和
反戦
人権
自由
地球市民
個人
グローバル
という言葉を唱える」
「いいことでは?」
「美しい言葉であり
理念のようだが
これらの言葉を振りかざすのは大きな落とし穴がある
全ての人間を均質で平等なものとする
最終的には国境を失くして世界を一つにしようという理想主義と結びつく
これらの言葉をつきつめたその先は
マルクスの亡霊はまだ生きている
マルクス主義 極めてカルトのような危険な思想よ
カルトも
世界平和
世界は一つ
人類皆兄弟
自由
平等
愛
を餌に信者を集め洗脳し奴隷とする
このような非現実的な美辞麗句を繰り返し唱えるものに常に警戒しなくてはならないわ
1993 共産国の自滅により
1992 佐川急便事件
ゼネコン汚職事件による政界と大企業の癒着は非難を浴びた
宮澤内閣不信任案提出→可決
非自民8党派による連立政権発足し38年間の自民党一党による政権は終わる
ヨーロッパと違うのは西側の自民党が崩壊した
通り名「新聞の見出しを見て考える男」と常にマスコミに媚びへつらう
羽田孜首相(最短で退陣)
社会主義政党がはじめて首相になったがやはり彼らは空想的政治しかできなかった
「非武装中立」
有事
自衛隊を認めず
1995 阪神大震災ではテレビで見物、自衛隊派遣することをごね救助が遅らせた。非難された村山は
「はじめてのことじゃから」と開き直る
神戸の酒鬼薔薇少年は神戸震災で自衛隊救助を遅らせた村山首相を「殺したい」と語っている
そんな村山首相は中国、朝鮮には媚びまくり
「村山談話」
空想的革新社会党 村山政権は短命に終わった
橋本総理 土下座外交
なんで橋本総理は土下座外交したの
自虐史に縛られたこと中国の女スパイと付き合っていたスキャンダルがあった
1997 京都議定書
拓殖銀行など
大企業倒産
冷めたピザと称された小渕総理
森総理 「神の国」発言で辞任
「日本神道のことを語っただけだよね」
「戦争に負けた国には歴史はないの」
2001 小泉純一郎総理
自衛隊海外派遣
2008 リーマンショックによる大不況
麻生総理マスコミに連日叩かれる
- 漢字を読み間違えた
- カップラーメンの値段を知らない
- お金持ちだから常識がない
- ホテルのバーで飲酒
マスコミはライバルの民主党 鳩山由紀夫を日本を救う救世主のように扱う
2009 8月 民主党政権誕生 支持率70%で鳩山由紀夫内閣
マスコミが政治を動かした。マスコミが第4の権力となった
改革者 鳩山由紀夫
- 安保体制の見直し
- 米軍基地の撤廃
- 東アジア構想
Q.支持率70%鳩山政権は短命だったの
アメリカと対等な関係を求めた鳩山に対し
アメリカこそが無礼なのに 鳩山を持ち上げた日本マスコミは「鳩山は外交能力がない」と手のひらを返し鳩山を叩きはじめた
マスコミは「西松建設」で小沢一郎が政治資金規正法違反をしていると報道(冤罪)
6月2日 普天間基地混乱の責任をとり鳩山辞任
「わずか9カ月。アメリカに従順でない内閣は短命」
「民主党をあれだけ持ち上げて世界中から民主党が非難されたら擁護せず貶める無責任マスコミ。日本の癌ってマスコミじゃないの?」
「アジアで土下座外交する鳩山由紀夫の東アジア構想は日本の独立でなく中国の身売りとしか思えない」
写真 産経新聞
第二次大戦後の日本は「アメリカの51番目の州」「アメリカのATM」と呼ばれている
ガンジー風に語れば
アメリカが、君たちの国に居続けているのではない
君たちが、日本を与えたのです
君たちが、彼らを、居続けさせているのです
今の日本は
「アメリカの存在が日本の盾になる」
「アメリカの存在が日本を戦争に巻き込む」という二つの声がある
私たちは、グローバル化した世界にどのように生きるのか
2011 東日本大震災
マスコミの扇動により政権をとった民主党は烏合の集だった。世界中にヒンシュクをかい右往左往する民主党は次々と党首が代わる
2012 自民党政権奪