ヴェルサイユ宮殿。世界遺産であり、観光名所である。観光客を呼び込むため自らを改革し、常に斬新な取り組みにチャレンジしている
さらに多くの人にヴェルサイユを知ってもらえるツールとして、ヴェルサイユ宮殿は日本の漫画に着目した
グレナ社(フランスに日本の漫画を持ち込んだ出版社)とヴェルサイユ宮殿はヴェルサイユを舞台にした漫画家を探した
- ヴェルサイユ宮殿にまつわる歴史、題材が一部でも入ることが条件だが、それ以外は作家の自由
- 作品の監修にあたっては、ヴェルサイユ宮殿の学芸員が全面的にバックアップする
- 作家はヴェルサイユ宮殿内へのフリーパスが与えられ、あらゆる資料を見ることができる
グレナ社は「チェーザレ」を執筆し、評価を得ていた惣領冬実に打診した
惣領冬実は「チェーザレ」を執筆するにあたり原基晶という研究者に監修をお願いしていた
原さんは膨大な文献と向き合いながら、何が最も正確な情報がを確かめる人でした
間違いや捏造を許さず、できるだけ正確に積み上げていく作品。漫画でありながら、歴史の教科書なりうる「チェーザレ」という名作が完成した。「チェーザレ」は本場イタリアでもフランスでも評価された
史実と描写できる正確な資料が見つかるまであやふやな状態では決して作画を進めないとう方針をとる、歴史にとことん誠実に描こうするアプローチが異常なほどに徹底しているのだ。「チェーザレ」の作品の質と正確さを維持するため、不定期連載という形式がとられている
芸術の域に達した 惣領先生の漫画
なぜ惣領冬実は史実の正確性にこだわるのか
妄想力がないんですよ。ファンタジーというジャンルが苦手で、想像力一つで自分の世界感を構築するなんてもってのほか。そんな能力ハナカラ持ち合わせてないんです
プロファイリング
歴史には実在の人物がいます。彼らの歩んだ人生を徹底的には実在プロファイリングしてから物語を紡ぐ方が圧倒的に楽なんです。特に歴史の人物は全員死人ですから、いまは文献が残っているだけ、その資料を忠実に読み込んで、データを分析しながらキャラクター造形を組み立てていくんです。いわば事件の鑑識みたいなもの…
「チェーザレ」は資料が少なく大変だったそうです
「ヴェルサイユ企画」はヴェルサイユ宮殿が資料を提供してくれるのは魅力的だったという
惣領はヴェルサイユといえば「マリーアントワネット」を避けて通れない。マリーアントワネットを中心とした同年代の人を大量の資料を読み込みプロファイリングを徹底した
マリー=アントワネットのイメージ
贅沢三昧な浪費家。フランス国庫を破綻させた
読者、勉強嫌い
派手好きなファッションリーダー
舞踏会、賭博好き
愛人たちをはべらせる
名セリフ
「パンがなければ、お菓子を食べればいいじゃない」
この台詞はジャン=ジャック・ルソー(フランス🇫🇷)の「告白」(1765年)に「とある高貴な姫」のことばとして書かれている
告白が出版された1765年マリー・アントワネットは9歳であり、オーストリアに住んでいた。ルソーが彼女からその言葉を聞くということは想像し難い。しかし、このセリフが教科書に載ってしまうほどに信じられてしまうのだ
マリー=アントワネットの浪費フランス国庫を空にした
当時のフランス王室の予算は税収入の6% マリーがどんなに浪費しても6%以上使えないのだ
財政難は
マリーアントワネットは浪費をしたが、マリーアントワネットゆ題材にした出版物、映画、ドラマ、観光業を考慮すれば、マリーアントワネットという人物はいまだにフランスに経済効果をもたらしている
マリー=アントワネットはフランス語が話せなかった
- 当時のヨーロッパ宮廷ではフランス語が公用語である
- 「政略結婚」により栄えたハプスブルク家では、将来何処の国に嫁いでもいいように、いつ人前に出ても恥ずかしくないように、徹底的に厳格で熱心な教育を行っていた
マリー=アントワネットは作曲もできる知的な女性だった
マリー=アントワネットはデュバリー夫人を無視し続けた
(デュ・バリー夫人は)私とは口をきかないのです。私も必ずしもあの人とお話ししようとはしませんでした。でもどうしても必要な時は、少し言葉を交わしました(マリー・アントワネットとマリア=テレジア 秘密の往復書簡)
仲良くはないけど「ある時期」までは共存していた
ルイ16世は包茎だった
マリ・アントワネットは7年間子供に恵まれなかったため、そのようなゴシップが流れた
1770年「皇太子にはなんの身体的問題はない」と診断されている
マリア=テレジアはその報告を信じられず、何度も手術を要求し続けた
ルイ16世に「身体的問題」がなければマリーは結婚を解消させられる。国に戻れば再度の縁談がなく、子供が産めない女性は修道院に暮らすことを余儀されるのだ
フェルゼンはアントワネットの愛人だった
スウェーデン国王から後ろ盾を受けて遣わされたフェルセンがフランス王妃とスキャンダルをおこすのは職務怠慢になる
二人の密会を重ねられた時期はあまりにも少ない
惣領先生によると、当時のコルセットは着脱は一人では難しく、僅かな時間密会して何食わね顔で誰にも不倫がバレないように振る舞うのはかなり無理があるという
二人の間に精神的な愛情はあったかもしれないが、肉体関係があったかと言う証明はない
ハンス=アクセル=フォン=フェルセンは冷たい美貌を持つ美青年だった。あまたの女性たち、時には男性たちから言い寄られたプレイボーイだった。フランス革命時にはイタリア人の愛人がいたことも記録されている
アントワネットの子供たちの父親はフェルゼンである
当時、貴族の間では「子供」ができなければ「不倫」にはならなかった
私が中学生の時
「マリー・アントワネットは『悲劇の王妃』と知られていますがとんでもない悪女です
『あの女』は浪費家でフランス国庫を破産させました
ルイ16世は身体的欠陥があり、子供ができないんです
ルイ16世の子供たちは『あの女』が不倫で産んだ愛人フェルセンの子供です」なんて歴史の先生が授業で生徒に教えるわけです。歴史の先生が話すのですから生徒たちは間違った情報を鵜呑みにしてしまう
歴史上の出来事を、現代人の感情で推し量ることが最も危険なんです。当時の社会や文化を知らないまま、人物たちの行動を感情論で考えると、多くのことを見誤ります(惣領冬実)
ルイ16世は愚鈍だった
フランスの財政難を救うために改革を行ったが当時は冷夏が続き成果が表れなかった
誤解されたアントワネット夫妻
フランス革命からの混沌。国王一家は「ヴァレンヌ逃亡事件」を起こす。フランス革命に恐れる外国と戦争になり、さらに混迷する革命政府は国王一家を処刑した
ルイ16世は処刑直前に
「私は罪なくして死んでいく。私の血が革命の礎となるように」と演説した
これは「王殺し」である
慎ましく、人格者である罪のない「国王」を処刑したことを正当化するためには、国王は悪妻の尻に敷かれ、自ら王朝を崩壊させた「愚鈍な男」にならなければならなかったのだ
どんな文献でも、必ず書き手の意図や解釈が存在する。書かれた内容を鵜呑みにするのではなく、常にその信憑性を疑う必要がある
マリー・アントワネットが生きた18世紀後半のフランスで出版は認可制で、政治や宗教に対する書籍の出版は禁じられていた。新聞文化が広がったのもこの時代である
メディアリテラシー
出版黎明期の当時はジャーナリズムや報道倫理の概念は浸透しておらず、増え続ける新聞社は激しい競争の中、売れるために大衆の気を引けるゴシップ記事を面白ろおかしく書きたてた。特に王家のスキャンダルは飛ぶように売れた
一方的な風潮はやがて低俗で劣悪な醜聞になり、より激しく書き立てた方が売れるからと嘘が肥大化した。こうした未成熟なメディアの存在もまた、ゆっくりとフランス革命の引き金を引いていったファクターの一つだろう
21世紀に入り、ルイ16世、マリーアントワネットについてアカデミックな見直しが行われるようになった
「不屈の王妃、マリー・アントワネット」著者 シモーヌ=ベルティエール
私は、できる限り断定的な意見は避けるようにした。善人と悪人の違いはそう簡単にものではないからだ
語り手によって、歴史は変わる
教科書に書かれた情報は紛れもない「事実」であり、「正しいもの」であると誰もが信じている。しかし、歴史は常に変わりゆくものだ
歴史の研究者たちは、日々過去と向き合いながら、「新たな真実」を追求し続けている。その結果、かつての常識を覆すような新説が更新されている
ルイ16世(ルイ=オーギュスト)背丈192cmもあった
若いころは細身の大男だった
ルイ16世は即位時は20歳の青年王。当時は王様の威厳を高めるために恰幅良く見せるのはよくあった
処刑時には太っていた(太り過ぎで首が切れにくかった)のは事実だが、4年間幽閉されて動けなかったのが原因らしい。狩が趣味(当時の狩はかなりハードなスポーツ)のため、それを頻繁に行っていたならばそんな太れない
マリ・アントワネットと初めて会った時のルイ16世(15歳)の身長は178cm。14歳のマリは小柄なため
マリーがルイ16世と初めて対面した時「ダサさに」幻滅した場面は有名だが、実際にはルイ16世から見たらマリーが「小さい可愛らしい姫君」に見えたろう
画像 マリー=アントワネット
惣領先生のルイ16世は「フェルセン?」と思わせるような「イケメン」である
生涯愛人を一人として持たなかったルイ16世。カトリックの敬虔な教えに縛られ真面目で潔癖な人物であったのは間違いない
ヴェルサイユの王族は、分刻みで毎日にスケジュールが細やかに定められていた。異国から嫁いできた14歳の姫君は心細い事も多々あるだろう
ヴェルサイユ宮殿には「マリ・アントワネットの泣き部屋」がヴェルサイユにはある
作品を作るにあたり惣領先生は語る
この世には、完全な善人も、悪人も存在しないと思っています
みんなそれぞれバランスを保って生きているわけで、それも政治に関わる人間だったら尚更です。だからどこに目を向けるかで物語の印象は180度 変わってしまいます
例えばサバンナのドキュメンタリーで肉食のライオンとインパラが出会ったとしたら
インパラを中心にカメラが撮れば、か弱い動物がライオンに追いかけられ、視聴者はインパラに同情するだろう
ライオンからカメラを捉えれた場合。ライオンの子供は10日ご飯を食べなければ死んでしまう。ライオンの狩の成功率10分の1。 飢えきった母ライオンが、子供を生かすために食料を獲得するドキュメンタリーならば、同じシーンはどう映るでしょうか?
歴史ば勝者によって語られますから、必然的にヒーローと悪役ができてしまうのだと思います
勧善懲悪の、一方だけが悪い世界なんて現実には存在しないのではないでしょうか?
歴史漫画を描く上で最も気をつけているのは、絶対に登場するキャラクターを都合よく正当化しないことです
例え、彼らのした行為がどれだけ残虐だったり、愚かだったりするように見えても、正当化も批判もせず、そこに至った動機と事実だけを描きたいと思っています
フランス革命について
はたしてあの革命のやり方は正しかったのでしょうか?
あの時、まるで集団ヒステリーが起きて、当時の貴族のドレスは旧体制の象徴として焼かれたり、処分されたため残っているものが非常に少ないようです。どれも職人が丁寧に作った芸術品なのに…
そうした中で、王族を始め、何百人もの人たちが首をはねられています
それを後の時代の人間が結果論から無条件に正当化していいものなのでしょうか?
それを赦すことは、歴史をねつ造することと同じではないでしょうか?
惣領先生は多くの漫画にあるような、はっきりしたキャラクターを作らない。そのため
「あなたの漫画は分かりにくい」
「教科書みたい」とバッシングを受ける。それに対し惣領先生は
事件が起きた経緯、人物の動機はしっかりとプロファイリングして描くけど、そから先は読者の皆さんに想像した貰える描き方をしている
惣領先生は「あなたはどう思う?」と常に読者に問いかけて作品を作りあげているのだ
「マリー・アントワネットの嘘」参考文献