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自己肯定感育成に失敗した人の末路

自己肯定感

社会を生き抜くには自己肯定感が必用です。自己肯定感があることにより人間は自分が何者かを知り、自分がどう生きるから、他者との関係、適切な距離を調整できます。自己肯定感とは「生きる力」であり困難を乗り越える力です

自己肯定感は自動的に生まれるものではありません

自己肯定感育成に失敗することは珍しくありません

次女に「機械体操やりたかった」と怨みがましく言われました

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私「体操したじゃない」

次女「違う!もっと早くからしたかった。全国大会とか出たかった」

私「ピアノや書道で入賞たくさんしたじゃない」

長女「そうじゃないよ。自分が一番になれるところがいいんだよ」

長女にとってはピアノ教室で「1番手」であったことで自己肯定感が育ちましたが、次女には「1番手」がありません。「これだけは誰にも負けない」というものがなければ自己肯定感は生まれません

次女については、次女はじめてのピアノ発表会の時

娘たちのピアノ教室の発表会では「全員暗譜」です。次女は曲のフレーズが変わるとどこを弾いたらわからなくなる人で最後の最後まで暗譜ができず、結局次女一人だけ譜面を見ながら演奏しました

つまり次女はピアノ教室でピアノが一番弾けない子だったのです

全員が暗譜して演奏している中、自分だけできない

これは小学1年生の子供の自尊心を深く傷つけたでしょう

長女がピアノを弾き続けたのは教室でぶっちぎりの「一番手」だったからであり

次女にとってはピアノは「屈辱」だったのです

その後は粘り強く地道に練習を重ねコンクール組に入り、全国大会に出場できるまでになったのですが、一番手にはなれません

「自分はこれだけは負けない」と思える特性があること それが自己肯定感の萌芽です

次女には体操の才能があリました

体操の才能とは

身体が柔らかいこと

次女 二歳の時、身体をおしたらこんにゃくのように柔らかいので体操の才能があるとは思った。家から自転車で五分くらいの近場に毎年全国大会に出場している体操クラブもあった

次女を体操クラブに入れたのは小学3年の時、確かに次女を4歳から体操クラブに入れれば全国大会に出れたと思います

次女は体操クラブに入った時、身体が柔らかいことと進歩が早くコーチから褒められたことで自分が体操の才能ありと思ったのだ

「もっと小さい時から体操をしたかった」ということです。4歳から体操クラブに通えば体操クラブで同い年で一番になった可能性があります

私「体操全国大会の子たち背が低いよね。体操を本格的にすると身体に筋肉がついて背が伸びないの。全国大会出場まで体操したら今より背が低くなっちゃうよ」

次女「それでいいの!」

親は常に正しいことはできません

次女に良かれと思ってピアノを習わせましたが子供には親の押しつけにしか感じません

機械体操とピアノは「技術」ですから遅くても4歳くらいから始めなければ「全国大会」は難しい

人間にはそれぞれ「特性」があり得手不得手があります

親は子供を観察して本人の適正を見極めなければなりません

佐藤亮子ママは「子供を観察」したといいます。子供にとって何が適正かを「観察」して子供一人一人に対して別々のプログラムをつくるわけです

辻井伸之母は全盲の息子を観察し続けました。伸之ベイビーが音に反応することに気づいた母は 2歳の息子をピアノ教室にいれさせました

押し付けるのではなく観察して子供の好きを見極める子供の好きを成長させる環境を整えること それが「正しい自己肯定感」を成長させることなのです

私のした事は「押しつけ」でした。これでは子供を宗教の勧誘活動に振り回し子供の人生を台無しにする親とさして変わりません

私の場合は母親が「選民思想」宗教エホバの証人であり、子供である私をエホバの証人にすることで自己肯定感を与えようとしたのですが インチキ宗教でありペテンでした。選民思想宗教信者は偽りの自己肯定感です。「私よりマシじゃん!」という言い訳は通じません

自己肯定感育成に失敗すると生涯に渡り恨まれるのです

毒親は子供の批判をそらしますが子供は恨みがなくなるわけではありません。批判をそらせばそらすほど子供の恨みは増幅します

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なんか増えてきた…