カルトに洗脳される人の特徴は主に
自己愛性人格障害
加藤智子 上祐の運転手として 一緒に記者会見に臨む 美貌をマスコミに絶賛された
1964 千葉県で生まれる
中学、高校時代 目立たない陰が薄い子
自信がない裏返しで彼女は常に自慢ばかり話していた
1. 過剰な賞賛を求める
理想像ばかり大きいので常に周りからの評価を求めます。周りから評価されないので、自画自賛(嘘でも)します
「私はお嬢様なの」
「父は材木業を営んでいる」
「実家は西麻布」
「祖母が白系ロシア人。私はクォーター」
「最終学歴は短大」
「アメリカ留学していた(全く英語を話せない)」
「議員の秘書をしていた」
彼女の自慢話は全部嘘
とにかく自分をより大きな存在に見せようとするの。仕事もできないくせに。私はこれだけできるから昇給して欲しい。誇大妄想なのね
「私は社長にとって特別な存在なのよ」って皆に言いふらしていました
上祐さんの運転手としてインタビューを受けた時
「私は尊師にとって特別な存在」と言ってたのをみて、変わってないなぁと思いました
2. 根拠もなく自分は「特別」「優れている」と思い込む
現実で成功しているわけではないのに 自分の美や才能に万能感を持っている
加藤はモデルだけでは生計が得られずクラブや普通の会社で働いていた。しかし、そこでも使い物にならなかった。ある日、加藤は交通事故を起こす。「怪我しなかったのオウムのおかげ」と言われ入信した
オウムには粗食で厳しい修行がある。彼女は美人だから特別待遇を受けた
オウムでは毎日美味しいものが食べられる
それでも実家に逃げかえって来たこともあった。両親は喜び新車を買い与えたのだが、また新車をお布施にして再出家してしまう
1995 6月14日 逮捕の日
加藤は捜査員に両脇を抱えられて連行された。駆けつけた報道陣にもみちゃくちゃにされながらも、報道陣に微笑んだ 「まるで女優気取りだった」記者たちは語る
あれば多分、彼女にとっての晴れ舞台だったと思うの。あれだけの注目を浴びることができて、彼女としてもやっと念願がかなったんじゃないかな
自己愛性人格障害は理想と現実のギャップ違うことに耐えられません。普通の人間は努力により理想に近づくますが 彼らは努力が大嫌いです
3. 努力は大嫌い
彼女は勤勉さが足りなかったと思う。一生懸命やってきた事が何一つとしてなかったんでしょう
一番熱心だったモデルさえ、何の努力もしなかった
一流のモデルさえ、体重の維持やスタイルを崩さないために必死で努力しているというのにそんな基本すらしない。そのくせモデルとして成功したかったんですね。楽をして何でも手に入れようとするところがありました(モデル事務所)
賞賛を求めるのに世間から認められないので常に「特別な自分を理解しない周りがおかしい」と感じています
4 カルト宗教にハマりやすい
そのため「現世」が「悪」とみなす新興宗教に共感し帰依しやすいのです
カルト宗教ではどんな人間でも信者になると褒め称えられ万能感を与えられます
カルトでは カルト教団の無料奉仕、勧誘活動だけしていれば 全ての苦しみは消える と教えます
カルトが与えるのは問題解決ではなく 問題から目を逸らすだけなのです
そのため 歳を重ねる程に理想と現実のギャップが広がり症状は悪化します。カルトに入信した後、鬱病を発症する人が多い理由の一つでもあります
5.自分に自信がない
整形だから 時々目が痛くなるの
胸がないし、脚が短いからモデルとしてはダメなの
自己愛性人格障害の対処法
自己愛性人格障害の人は自分が障害を持っていて自分の行動が周囲のトラブルになっていることが気づいていません
NG
自己愛の人はプライドが非常に高く、批判、説教を最も嫌い 話を聞いてくれません
共感をする
理解されないという怒りは減り冷静に考えることができます
完璧な人間になる必要はないと
理想に近づくために現実的な積み重ね行動をする
彼らは長期の目標をたてるのは苦手なため
「分割」して「今日できること」からはじめよう
アダルトチルドレン
のりこ(仮名)の父は一部上場企業の重役。日付が変わる前に帰宅することはない
のりこは幼い時から両親の期待に沿う「勉強のできる良い子」を演じ続けてきた
「クラス1番になったよ」
親「学年1番をとりなさい」
猛勉強して学年1番を取ると
「女の子が勉強できても仕方ない」
のりこさんが何を達成しても 両親から肯定されることはなかった
のりこさんの家族は病気で寝込むことはなかった。そのため、のりこさんは熱をだしても寝込まず勉強した
国立大学入学により のりこは親元を離れた。親の束縛から解放されたと同時に自分を束縛していた親に怒りが湧き上がる
転落
のりこは夜、クラブでアルバイトを始め、妻子ある常連客と恋愛をした。不倫相手に自暴自棄となったのりこは 次は42歳ペケ一のチンピラ崩れと同棲した。彼は毎晩のりこに暴力を振るった。のりこはデパートで働いたが自分に居場所ではないと感じていた。のりこは同僚に誘われてオウムに入信した
目から鱗が落ちましたね
現在において既成仏教は葬式宗教である。大学で宗教学を専攻していたのりこにとってオウム真理教は既成仏教にはない輝きを感じた。
のりこのオウム入信宣言に父と母は猛反対した。家を出る時
「俺たちの家が特殊なんだ。お前の苦しみを人類の苦しみと思うなよ」と兄から言われた
教団では ワークの成績が悪くても、他の従業員とうまくいかなくとも、両親と違い否定されることはなかった。のりこは「ありのまま」の自分を受け入れくれたオウムに居場所を見出した
彼女には教団について被害意識はない
LSDを使ったイニシエーションさえ素晴らしい体験だったとのりこは語る
薬を使っていることは薄々想像がつきましたが、麻原尊師はここまで責任取ろうとしているんだな、凄い人だなと思ったんです
麻原について
教祖の女性関係が色々言われてますが、セックスして解脱できるなら麻原尊師に身体を預けたっていいとさえ、当時のは思ってました。この人についていけば優れた人間になれると考えていましたから
麻原逮捕後は施設に立ち退きを余儀なくされた
コンビニの棚に並んでいるのは、雑誌、ポルノ、食べ物ばかり。何でこんな汚い世界に帰らなければいけないんだろうと、涙がこぼれました
オウム施設は清掃されていなく、ゴミ、埃、虫の死骸ばかり
出家信者たちは入浴は週1回程、シャワーであり湯船にはつからない
自分のとこの教祖は信者から巻き上げたお金で暴飲暴食で肥え太り 若い娘たちを貪っていたのは
オウムの方が不潔感あるけど
オウムを辞めた後 洗脳が解けていく
この人は、教団に破防法を適用して欲しかったのではないか?国家に弾圧された殉教者として、歴史に名を残すことができるから‥今は麻原さんってかわいそうだなと思う。ひたすら教祖の仮面にしがみついているだけだから
「アダルトチルドレン」の本を読んだのりこは気が楽になった
自分の生きづらさの原因が理解できたのりこさんは親と冗談を言い合ったり、旅行にも行くようになった
のりこさんはオウムには自分のようなアダルトチルドレンが多かったと語る
宗教に救いをみいだした理由
私たちは自信が持てないから、人のためにいいことをしなくては存在してはいけないと思い込んでいた。でも「これが完全なるいいことだ」と自分で判断できず、そう断言してくれる絶対他者が必要だった。それが尊師だったんです
自分が救済されたいから、人を救いたかった
人を救うことで自らの存在に意義を与えられるからだ
自己無価値観に苦しんでいる人は他者を救うことで他者に感謝されることによって救われたいのだ
カルト信者は「世界を、人を救いたい」という。彼らが救済したいのは、世界でもなく、他者ではなく、自分を救済したいのだ
のりこさんは かつての自分と同じ生きづらさを抱えている人を 救うために心理カウンセラーの資格を取るために勉強している
下方思考要求
のりこさんの両親はエリート家族でした。病気になっても寝込まない向上心の強い人であり、のりこさんは家で休まることはあまりなかったようです
思春期に子供は自立する
子供は自分の生き方を選択する選択肢は2つ
親の生き方を模倣するか
親と正反対の生き方を選ぶ のりこさんは両親と正反対の「失敗」人生を選びました
一人暮らしを始めた途端、自分を蔑ろにした両親に怒りを感じ始めます
反抗期です
自己処罰
のりこさんは不倫、DV男と同棲。いかがわしいカルトにハマる「堕落した女」になる「自己処罰」という回り道を巡って、自分を蔑ろにした両親に対して復讐をくわだてたのです
ホーナーの成功恐怖理論
人間は無意識に成功を回避する心理があるとマティナ=ホーナーはという説を発表しました
「なぜわざわざ成功を回避するの?」
人間の成長は常に右肩上がりで上昇できない
- 成功した後で失敗するのでは?
- みんなから嫉妬されるのでは?
- プレッシャーが強くなるのでは?
そんな不安から無意識に成功を恐れてしまうのです
国立に合格した後は、一流企業に就職して、それが達成すれば 今度はエリート男性と結婚を両親は期待しました
両親の期待に答えられそうもないのりこさんは 下降する道を選択しました
のりこさんはクラブでバイトして客と不倫します。不倫は不幸になるだけ、わざと恋愛を失敗したわけです。次の彼氏はペケ一のチンピラ崩れでした。堕ちるとこまで堕ちましたが まだ物足りない
そんなのりこさんはオウムに惹かれます
いかがわしい教祖、目つきの異様な信者たち、虫が這いずり回る不潔な施設 正に「反社会的」
自分の人生を自分で決めないで「何も考えないで 教祖、教団の言うことだけを聞く」生き方こそが 最高の下方願望です。オウムに依存することがのりこさんの下方願望を満たした
のりこさんは「第2次反抗期(親から自立するための)」でした
親に対する反抗(自立)のため、エリート父親と正反対の麻原彰晃に強く惹かれたのです。男性信者は「麻原を父」と慕う信者が多かった。女性信者は「麻原に完璧な恋人、夫」を重ねたといいます。のりこさんも麻原の愛人になってもいいとさえ思っていた
反抗期は親の依存から自立する過程ですが、のりこさんの場合はカルト宗教に依存してしまいます
自分がアダルトチルドレンと理解できたのりこさんは自立に向け歩きはじめます。親と丁度いい距離感で接し 冗談を言って笑いあえる仲になりました
「もし、成功回避傾向に陥ったらどうしたらいいの?」
まずは自分の中の成功回避傾向を認めることです
そして その上で改めて「成功したいんだ」と念じ
成功のための行動を少しずつはじめること
それだけで本当の成功に向かっていけるのです
破壊願望
田島の兄は重度の脳障害だった。兄は17歳の時病院からも見放され自宅で息を引き取った
なぜ、人間は不平等なのだろう
田島は
真面目=ダサい、暗い
年寄りや弱者を笑い物にするお笑いが嫌いだった
90年代にはミュージック雑誌に「いじめ紀行」という特集が組まれました
この特集はいじめられっ子の障害者といじめっ子ミュージシャンの対談をさせる予定の企画でした
障害者の被害者は対談を拒否しました
いじめっ子であるミュージシャンは仕方なく、自分がどのように障害者をいじめ抜いた武勇伝を誇らしげに語ります
被害者がミュージシャンに出した年賀状まで持ちだしました。それは母親が鉛筆で線画を引いた年賀状に一生懸命書いてある年賀状でした
その年賀状を「見て!この下手な字」と笑いものにして、雑誌はその年賀状を掲載しました
インタビュアーからいじめられっ子がパチンコ店で働いていると聞いたミュージシャンは嘲りました
このミュージシャンの言動、このような記事を掲載する雑誌社も咎める人は当時いなかったのです
ですからミュージシャンはその後も障害者イジメ武勇伝を語り続けます。ネットではしばしば炎上しましたが、ミュージシャンにとってネット炎上は「五月蝿い蝿」であり、業界で彼を咎める人はいませんでした
2021年オリンピックを期に 彼のイジメ武勇伝が初めて叩かれます。大手メディアから叩かれて初めてミュージシャンは文章で「謝罪」をしました
爆笑問題の大田は「当時は、そのような時代だった」障害者イジメを肯定して ミュージシャンを擁護します
90年代初頭 障害者イジメ武勇伝を「そういう時代」と表現。とても理解できません
田島さんがこの世に不満を持つのは当然です
学校では、イジメ、体罰が当たり前、良い大学に行かなければ良い就職もできない社会に希望を見出せなかった
どうしようも無い現状が滅びるというノストラダモスの大予言に傾倒した田島はオウムに入信した
あらゆる疑問に答えを見いだしてくれる麻原は‥この人に身を任せれば、いつか解脱に導いてくれるのではないからと信じていたんです
オウムではアニメを制作した
地下鉄サリン事件により教祖、幹部の逮捕された。教祖の情けない裁判を報道で知ると洗脳が解けていく
ヒトラーを尊敬する麻原は障害者を笑い者にはしないが「良い転生のため」とサリンガス室に入れそう
脱退後
数年間の履歴書が空白になった。最初に面接した会社ではオウム真理教だったことを告げた。「君の勇気には感心するよ」と面接官は答えたが 結果は不採用。オウム出家信者だったことを隠して仕事をする傍ら 反オウムのアニメをつくる
オウムを必要としていたのは自分がまだ未熟だったから、今の自分にはオウムは必要ありません
田島は自分で真理を探求しはじめた
(検証オウム真理教事件)
人間は「正しさ」を追求したい
人間はみな 正しさを掴みたい
なぜなら 考えれば考える程 人生で何が正しいのかわからなくなるから
私たち人間は、受験、就職、結婚、誰と付き合うか常に選択しなければならない
人生とは決断と後悔の連続なのだ
別の道を歩んでいればと頭をよぎるも、その結果はを知ることはできない
人生で起きる出来事は複雑に絡み合い、こうすれば必ずこうなるという事はかなり稀である。複雑なものを複雑なままに受け入れる生き方は難しい
その時々で
一日 一歩
2日で2歩
3歩歩いて2歩退がる
汗かき、べそかき
このようななかなか前に進めない歩みでしか現実は生きられない
残念ながら遺伝で才能は決まってしまうことが明らかになってしまった
だから どんなに努力しても成果が見えない時もある
複雑なものを複雑なままに受け入れる生き方は苦しい
真面目な人ほど一度しかない人生に間違いのない真理や正義を見出したいと願うのだ
真面目な人ほど明確で白黒ハッキリした説明、目標に惹かれる
カルトは多くの場合
「あなたが生きているのはこのためだ」
「今後はこう生きるべきだ」
と生き方に対し明確な答えを与える
依存傾向のない人間からみたら「余計なお世話だ」と思うけど
依存傾向の強い人間からみたらそれは「神の言葉」になる
しかし、カルトの与えた「答え」とは教団に対する絶対的帰依 それは 依存であり 見かけ上消し去っているだけであり、解決しているわけではない
信者はカルト脱退後、何一つ問題が解決していない
寧ろ 問題は増える
カルトに所属していた時間は「空白」になる。履歴書に何年かの空白期間
閉鎖的な空間で偏った思想の人だけとしか関わらないため、精神性が実年齢よりも幼稚、むしろカルト以前よりも退化する
人生に絶対はない
人生についてはその人によって様々にことなるからだ
だから 誠実な人は そのような問いに断言できる答えはない
人生について、人が生きる意味について明確な答えを出す人は
そのような人間は何があっても責任は取らず、何かあれば麻原のようにはぐらかす
ただの無責任人間だ
都合の良いように支配されるだけだ
そんな人間に依存しないで
自分の人生は自分で決定しよう