1962 キューバ危機
ソ連がキューバに核ミサイル基地をつくり第三次世界対戦に最も近いた危機。この危機を回避した貢献者に一人の英雄がいた
カストロは革命を起こしキューバを社会主義国家として英雄になった。時の人となったカストロはアメリカへ招待された。キューバの英雄 カストロをアイゼンハワー大統領は無視 、一度も会談しなかった。アメリカに不信感を抱くカストロにフルシチョフが近づく
1962年 10月16日 アメリカの航空写真がキューバに建設中の中距離ミサイル発射台を発見する。このミサイル基地が完成すればアメリカの半分の都市が核ミサイルの射程距離に入る
ソ連軍参謀本部情報総局オレグ=ペンコフスキー大佐はCIAに一年半前からキューバミサイル基地の情報を送り続けていた。ペレンコフスキーの情報によりケネディは対策を練る充分な猶予を与えられた
Q.なぜペレンコフスキーは母国を裏切ったの?
ペンコフスキーは母国ソビエトに絶望していた
共産党独裁による恐怖政治による粛清、ペンコフスキーの父親も危機によって命を奪われていた
我々は騙され利用されている。我らが共産主義社会などというものは ただの幻想に過ぎないのだ。何とかして阻止しなければならない
真珠湾攻撃した時の東条首相の気持ちがやっとわかった
先制攻撃の準備をしながらも、先制攻撃をした場合のシミュレーションを考えた
先制攻撃した場合 ソ連はベルリン(アメリカ軍が駐留している)に報復に出る
先制攻撃をためらうケネディにルメイ海軍総司令官は「ミュンヘンの失敗を繰り返すのですか?」と痛いところをついた
ミュンヘン会議では第二次世界大戦回避のためヒトラーに譲歩した
当時 駐英大使だったケネディの父はヒトラー譲歩派の一人だった
一方 ロバート=マクナラワ国防長官は海上封鎖案をだした。海上封鎖は事実上の宣戦布告でもある
ケネディ大統領 キューバにソ連のミサイル基地建設会見。第三次世界対戦の危機に世界は震撼した
ペンコフスキーがモスクワで逮捕された
監視されているという事実に私は動じなくなっている。私は危険を大げさにとらえることはない。最も重要なことは私がこの任務をつづける強さと意欲に満ちあふれていることだ
ケネディの海上封鎖にたいしフルシチョフは反発。キューバのほうは海上封鎖を事実上の宣戦布告をとらえた
祖国か死か 我々は勝利する
フルシチョフは基地建設を撤退する条件にトルコの兵器を撤去るように要求した。これはアメリカにとってのめるはずない要求だった
ルメイは宣戦布告をするべきと助言した
ケネディは考えた末トルコから類似兵器を撤去するとフルシチョフに伝えた
キューバに進攻しないなら、撤退する
フルシチョフは核ミサイルを積んだ潜水艦わを撤退させキューバ危機は回避された。この駆け引きにより、第三次世界大戦は回避され世界の平和はたもたれた
七か月後ペンコフスキーは裁判で死刑を言い渡された
私は失望などしていない。この国の真実を語ることそれが私の生涯の目標なのだ。私が少しでもこの偉大な事業に貢献できたのなら この上ない満足だ
第三次世界大戦を回避してHEROとなった ペレンコフスキーは母国ではスパイとして裁かれ 銃殺刑に処されます
真実を語ること
人類を救うこと
とは生半端な気持ちで できるものてではなくペレンコフスキーのように 全てを失う覚悟を持って行うものなのです
カルト信者が宗教勧誘を「真実を語る」「人類救済」と語るのが いかに安っぽい思考かと思う。カルト信者が救いたいのは他人ではなく 背後世界で自分が幸せになりたいだけなのだから
他人を救済することは 失なうことだけであり得るものではない
自分が得るものであればそれは救済ではない
アメリカはペンコフスキーの功績を称え 彼のコードネームを「HERO」と名づけた