ことりの啓示

カルト宗教、洗脳研究

宗教ブログ

サリンを作った男 土谷正実

1965年 東京、町田で生まれた。父は大手電気メーカーの幹部、母は専業主婦という裕福な家庭で育った

都立柏江高校に入学。ラグビー部で成績優秀な文武両道。性格は明るくひょうきんでクラスの人気者。美人の彼女もいてリア充な高校生活をおくっていた。筑波大学に進学。その後同大学院に進学して有機化学研究に所属した

ケガでラグビーがてきなくなり、さらに恋人と別れた。交通事故にあった土谷はヨガでリハビリをしようとした。それがオウム覆面のヨーガサークルだった

ヨーガサークルでは 氏名と大学名、学科を記入する。土谷が筑波大の理系と知るとヨーガサークルは土谷に熱心に勧誘した。土谷は超能力を歌う覆面ヨーガサークルに懐疑的だった

懐疑的でありながらオウムのヨーガ修行をすると高校の時から悩まされた「夢精」が治った。ご飯を食べず、睡眠不足のためにそうなったと考えられるが土谷はオウムの修行のおかげと信じオウムにのめり込む

麻原は土谷を第二広西省大臣に任命して、第七サティアンに潤沢な研究資金と設備を与えた

君は過去世から縁が深い。いつでも私に会いに行きなさい

寿司やお好み焼きをご馳走するなど優遇した。

逮捕

4月26日 指名手配中の信者と一緒に隠れていたため「犯人隠匿」の現行犯で逮捕されたf:id:jw1972w:20231107012827j:image

画像 FNN

取り調べ

土谷の取り調べを担当したのは東京、多くの難事件を解決した「伝説の刑事」大峯泰廣だった

林医師の自白を皮切りにサリン実行犯たちは罪を認めはじめたが土谷の洗脳は強固だった。朝から夜中まで大峯がどんなに話題を振っても土谷正実は完全黙秘を貫いた

私はどの捜査でも容疑者の親が生きていれば必ず話を聞きに行き、幼少期はどうだたのかについて聞き込みした。成育歴を知れば、容疑者はなぜ犯罪に手を染めたのか。その背景がみえてくるからだ

大峯は土谷の両親と2回面会した

反抗期もない、素直ないい子だった

土谷母

洗脳された息子は別人のようだったと両親は語る。オウムの教理となると饒舌に話し出す。息子を危惧した両親は更生施設に息子を入れたが、土谷は隙をみて脱走して出家してしまう。大峯は両親の面談から土谷の成育歴、環境に問題はないとみなした

大峯は両親と会わせることにした。取調室の扉を開け放しにしておき 土谷に「おい、あっちみろよ」土谷が扉の先に目を向けると、沈痛な面持ちで見つめている両親の姿があった。土谷は動じず頑なに黙秘を貫いた

「犯人隠匿」だと勾留機関は20日も請求できない。その間にサリン製造の自供をとって再逮捕できなければ、土谷は無罪放免となる恐れがあった。4月23日には サリン事件の統括責任者村井が殺害され、決定的な証拠は見つからない。土谷の証言が頼みの綱だった

大峯は方向転換をした。大峯は成育歴に問題のない土谷を狂気に至らせたのは「宗教」と考えた。大峯は「洗脳」を逆手にとった。土谷の信仰を否定するのではなく、信仰心を利用した。大峯は土谷の気持ちに寄り添った

まずは「麻原」の呼び名を変えた。「麻原」から「尊師」と呼んだ

「両親がお前を脱会させようとしたのは、信教の自由に反するよな」

土谷に新聞を読ませ、オウムについて情報を与えた。その頃国会では「内乱罪(政府を転覆させる暴動)」適用について議論されていた。内乱罪の首謀者は死刑、無期懲役という重たい罪が科せられる

大峯「尊師を救ってやれよ。尊師はこのままじゃ死刑になる。救えるのはお前しかいない。お前がサリンをつくったことを話せば、尊師は内乱罪の適用から逃れるかもしれないぞ」これは勿論方便であり、土谷の信仰心と社会的無知を利用したからめ手だった。土谷は黙りこくり表情に変化派ない。大峯は畳かけた

「おまえ、どうする?お前が言わなければしょうがないだろう」

土谷「…わかりました」

サリンをつくったのはお前だな?」

土谷「そうです」

「じゃあサリンの作り方を教えてくれるかな?」

土谷は一転、サリンの製造方法について饒舌に語りだした。土谷は丁寧に紙にスラスラ化学式をかき、丁寧に説明してくれた。土谷は化学については「天才」だった。VXガス覚醒剤に至るまで、国会図書館の文献を参考にして自作していたらしい。ところがサリンだけは文献がなかった。そこで土谷は、化学式から逆算して成分や製造方法を割り出し、原料を調達してサリンをつくった

自分の気持ちとしては、サリンを生成すること自体にもの凄い抵抗感がありました。オウムの教義には不殺生があり、教義に反すると思ったからです。しかし、その抵抗感も1994年頃には薄くなった。ポアの教えが、心のささえとなったからです

土谷まさみ

土谷の洗脳は深く裁判では無反応で黙秘を貫いた。「これがあなたがつくったサリンで娘を失った親の顔です」泣きながら訴える母親の顔をみて少し動揺はしていた

2011 土谷は死刑確定

獄中結婚した土谷は妻に少しづつ変化があらわれた

麻原は個人的な野望を満足させるため、弟子たちの信仰心を利用しながら反社会的行動に向かわせたと思わざる得ません

自分自身の思考、判断をかなぐり捨て、上層部の指示、決定のままに従い、結果として一連の凶悪行動に加担してしまった

2017 土谷正巳 死刑執行

生まれて来なければ良かった

土谷正巳