「女優 竹内結子が自殺したわ。美人で仕事も順調だった
画像 エキサイト
自殺する芸能人が多い
コロナの影響かしら?」
「日本の自殺の原因は「健康問題」が半数近く、30代〜50代までは「経済・生活」
「家庭問題」「勤務、学校問題」将来の不安的なものが多い」
日本はG7の中で自殺が多い国
古代の哲学者たちは自殺について何と語っているか
エンペドクレス
(前490〜430年)残されている資料で最初に自殺した哲学者。エトナ山の火口に身を投じて自害したと言われている。自分を神にまで高めるためだったらしい
ソクラテス
(前470〜399)言い掛かりの死刑判決のあと逃げることはできたが毒を煽り自殺。しかし、ソクラテスは自殺を否定的に考えていた
ゼノン
セネカ
(前4〜後65) ネロの家庭教師)は自殺について肯定的に語っている
この時代 皇帝の気まぐれで死刑にされ、全財産を没収されることは珍しくなかった
屈辱の処刑より、名誉の死を遂げた方がよいとセネカは説いた
皇帝ネロの暗殺計画に加担したとして、セネカは自害を命じられた。かくしてセネカは名誉の自害をすることになる
プラトン
アリストテレス
自殺は国家に対する不正。卑怯な行為
アウグスティヌス
(345〜430) 十戒の「汝殺すなかれ」からキリスト教に自殺禁止を持ち込んだのだ
聖書の中に自殺の禁制はないと着目したのがショーペン=ハウエル(1788〜1860)自殺は肯定していない
1903(明治36年)当時一高生だった藤村操が日光華厳の滝に身を投げて自殺
この事件をきっかけに華厳の滝に自殺ブーム
有島郁郎
1923(大正12)7月 人妻波多野秋子と軽井沢の別荘で心中
芥川龍之介
昭和2年7月24日 「ぼんやりとした将来の不安」と遺書を残し自殺
太宰治
昭和23年 4月29日 愛人と入水自殺
4回自殺未遂を図っている
裕福な生まれの順風満帆な太宰治は下方修正思考があった
私は議論をして、勝った試しがない。必ず負けるのである。相手の核心の強さ、自己肯定の凄まじさに圧倒されるのである。さうして私は沈黙する。しかし、だんだん考えてみると、相手の身勝手に気がつき、ただこっちばかりが悪いのではないのが、一度いい負けたくせに、またしつこく戦闘開始するのも降参だし、それに私には言ひ争いは殴り合いと同じくらいにいつまでも不快な憎しみとして残るとので、怒りに震えながら笑ひ、沈黙し、それから、色々、様々考え、ついやけ酒といふことにらなる(太宰修 桜桃より)
三島由紀夫
1970 11月25日 自衛隊施設で割腹自殺
益荒男が
たばさむ太刀の幾と耐へて
今日の初霜
散るといとふ
世にも人にも先駆けて
散るこそ花と咲く小夜嵐
川端康成
1972 ガス自殺 ノーベル賞受賞から4年後のことである
「ヘミングウェイも自殺だった。なぜ作家は自殺が多いの?」
「文学は、自分、他者の心の内面を探り、洞察して文字で表現すること。研ぎ澄まされた感受性の強い人が多いとも言われている」
「生と死は」人間にとって永遠のテーマである。私たちは経験論にそい『生』について語れても『死』について語ることはできない
なぜなら死は経験できないからである
死んでしまえばその経験を語る主体がなくなってしまうからだ
でも、想像力を駆使して『死』について語ることができる
今日は生と死について考えるわよ
哲学者は『死』について何と述べているか
エピクロス
前342〜270)🇬🇷快楽主義者
死は我々にとっては無である。我々が生きている限り死は存在しない。死が存在する限り我々はもはやない
エピクロスの時代のギリシャはマケドニアのアレクサンダー大王によって支配されていた。誇り高きギリシャ人にとって屈辱的な現実だった
自分とってよくない現実を受け入れるというエピクロスの快楽主義はギリシャ人たちに受け入れられた。エピクロスは『死』を受け入れると説いた
孔子
(前551〜479)
まだ、生きてる人間の道さえ知らない者が、どうして人間の死のことがわかろうか。死を知らんとする前に生を知れ
孔子にとって『死』とは自然現象みたいなものだった
仏陀は「あらゆる存在は『苦』と『死』は避けられないと結論
始皇帝は人間の死すべき運命を受け入れることができなかった
焚書坑儒を行うなど他者の命を軽んじた始皇帝は『生』に貪欲だった。彼は不老長寿の薬を探し続けた
Q.始皇帝が服用した不老不死の薬とは
水銀入りの不老長寿の薬を飲んで49歳で死にました
キルケ=ゴール
(1813〜55)父の愛人の子であったキルケは苦悩に満ち満ちた人生を送る
死という希望すらない世界
キルケの絶望は肉体的な死ではなく、『死』以上の苦しみの中での『生』の続行である
「死という最後の希望さえも残されていないほど希望を失っている」状態だから『生きるより方法がない』のである
ハイデガー
(1889〜1976人間を「死の存在」とした。人間は自分の意思で生まれてきたわけではなく、この世に投げ出されて生を受けたとした
人間は死へ向かっていく存在とした
与えられた生を精一杯生きよということだ
サルトル
1905〜1980)
「我々は生まれたことが不条理なら、我々が死ぬことも不条理だ」
フロイト
「生の本能」エロス
「死の本能」タナトス
の対立概念を説いた
この二つはバランスをとりながら融合しているが、バランスを崩してタナトスが強くなった時、人ふ殺人や自殺について考えるようになります
タナトスは、攻撃力や破壊力と深い関係があるため、自分を傷つける自傷行為をしてしまう
「リストカットね」
不安がタナトスに結びついたとき破壊活動が自分に向かう
自殺とは自己破壊願望なのだ
人間は無機質から生まれている
だから本質的に無機質に戻りたいという欲求を持っているのだ
人間には生まれた時から死へのプログラムが組み込まれていると説いた
人間はの社会は不平等だ。しかし「死」だけが平等に与えられるのだ
Q.宗教で自殺を禁じているのはなぜ?
輪廻転生、天国、極楽浄土、だいたいの宗教では善人に死後の世界に行くことが約束されついる。輪廻転生みたいな死後の世界があるならばリセットして次の生にしようと考える人が増える。また、自分の生のハードルを下げることにより他人の命のハードルが低くなる
しかし場合によっては自害が必要な場合もある
戦国時代
浅井長政(1545〜1573)近江小谷の城主。織田信長に同盟を持ちかけられ
1567 信長の妹 お市と結婚して信長と同盟を組む
1570 信長は朝倉氏(越前)に侵攻を開始した。信長との同盟は「朝倉氏に手を出さない」条件が入っていた
約束を反故された長政は朝倉側につき信長軍・徳川軍に奇襲をかけた(金ヶ崎の戦い)
朝倉氏と浅井氏に挟み撃ちされた信長は、福井県金ケ崎のから京都までの距離110キロを1日で逃げた。その後、織田信長の反撃により敗走
長政は妻お市と3人の幼い娘を信長の元に戻し父久政と自害した
長政の母小野殿は捕らえられた。信長は小野殿の指を全て切断してから処刑した。裏切り者は許さない信長
戦国時代は戦に負ければ小野殿のように拷問の上に死刑。武将も家族も尊厳死を選んだ
長政は死んで浅井家は滅亡したが
長女 淀君は豊臣秀頼の母となり、次女 初は京極高次家に嫁いた。初は大阪の陣では豊臣、徳川家にの間を取り持ち仲裁した
末娘の江姫は、2代目将軍の正室となり、3代将軍徳川家光の母となる。娘は後水尾天皇家に嫁いだ。浅井家のDNAは受け継がれた
忠臣蔵
1701元禄14年 春 幕府が朝廷から使者を迎えた儀式の最中に
赤穂藩(兵庫)藩主 浅野内匠頭長矩(あさのたくみのかみながのり)
吉良上野介義央(きらこうずけのすけよしひさ)を斬りつけた
儀式の最中に殿中で刀を抜いた浅野内匠頭に対し
領地没収
切腹を命じた
当時の法律では喧嘩両成敗だった
赤穂浪士も庶民たちも納得はいかなかった
12月14日 忠臣蔵の浪士たちは、浪人として人生を生きながらえるよりも、主君の仇討ちをして裁かれ、切腹により武士として死ぬ道を選択し吉良邸に討ち入りして吉良を打ち倒した
赤穂浪士の忠義に庶民たち、大名、学者たちは讃えた
徳川綱吉は悩む
法に従い処分すれば
武士として主君への忠義を貫いた浪士たちを処分すれば世の反感を買う
討ち入りを認めれば公儀の威信に関わる
浪士が忠義を尽くしたことは忠孝を重んじる法にもかなう
綱吉の決断
討ち入りに参加したものは死罪。しかし武士としての誇りを尊重し切腹
吉良義周(養子)は討ち入り不届きのため領地没収により流罪
1703 2月 浪士たちは切腹し、主君浅野内匠頭が眠る江戸の泉岳寺に埋葬された
彼らの人生は短かったが、赤穂浪士の生き様は元禄時代の人々に感銘を受けさせた
1748 赤穂浪士をモデルとした 「仮名手本忠臣蔵」が大阪で上演された
その後何度も舞台化、やがて映画、ドラマ化され現代まで語り続けられた
赤穂浪士たちが浪人として普通に人生を生きて寿命を終えるならば、私たちは赤穂浪士たちを知らなかったろう
赤穂浪士たちは尊厳死によって伝説となり、彼らの志は、私たちの心の中で『忠義を尽くした人』として今でも生き続けている
新撰組の近藤勇は死を覚悟していた。切腹でなく、斬首刑を言い渡されたのがショックで屈辱の死を与えられた
斬首は罪人として死ぬことだからである
斬首の方が痛くないんだろうけど
切腹という尊厳死。アウグストゥスによって自殺を禁じられたキリスト教の人間から見たらファンタスティックだろう
末期の病の安楽死
人間は、時と場合によっては自害した方がいい場合もあるのだ
「北斗の拳」の原作者 武論尊先生は登場人物の「生き様」ではなく「死に様」をカッコよくこだわった
人気キャラがカッコいい『死に様」をすれば人気が急上昇し、人気が主人公を上回る場合がある
主人公は強敵(とも)の死により成長し強くなる。強敵は主人公の中に生き続け共に闘い続ける
お決まりのパターンであるが、それでも泣けてくる
魁男塾は殉死した「キャラ」が何度復活してしまったため
「どうせまた復活するんでしょ?」と小学生にまで見極められてしまいしらけてしまった
作者が誰も殺さない主義を徹底した優しい人だったのだろう
「薔薇は散るからこそ美しい」byアンソニー
命も限りがあるからこそ美しく輝くのだ
ちばてつや先生はラストのシーンにこだわった
人生に疲れた大人がみたら命が燃え尽きたように見え
子供がみたら試合を完全燃焼したようにみさせた
読者の主観と想像力でラストを決めてもらう手法である
ジョーの生死について作者は明らかにしていないが、答えは「漫画のタイトル」にあると語る
不老不死
誰しもが夢を見る
全ての人がもし、不老不死になるならば、忠臣蔵、明日のジョー、北斗の拳、鬼滅の刃などの数々名作は生まれない
人間はみな必ずいつか死ぬのだから死に急ぐことはない
このブログは自死を肯定したものではありません
竹内結子さん、三浦春馬さん、芦名星さんのご冥福をお祈りします