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大衆の反逆

オルテガは大衆の時代が来ると予言していた

オルテガのいう「大衆」とは「平均人」と述べている

それは、質を共通にするものであり、社会の無宿者であり、他人から自分を区別するのではなく、共通の型をみずから繰り返す人間である

自分の存在を意味付けられている共同体(トポス)を失った人間

今日の平均人は、世界で起きること、起こることにちがいないことに関して、ずっと断定的な思想を持っている。このことから、聞くという習慣を失ってしまった

平均人は何事をも自分の価値観で決めつけ

「他人の意見に耳を傾けない

大衆とは、自らを、特別な理由によって

良いとも、悪いとも 評価しようとせず、自分が(みんなと同じ)だと感ずることに、一向に苦痛を覚えず、他人が自分と同一であると感じてかえっていい気持ちになる。そのような人々全部である

大衆は個性が失われている

現時の特徴は、凡庸な精神が、自己の凡庸であることを承知の上で、大胆にも凡庸なるものの権力を確認し、これをあらゆる場所に押し付けようとする点にある

平等という名の下で平均化が行われている

ヨーロッパの平均人の精神状態とアメリカ人のそれとが一致しているからこそ、まえには謎であり、神秘であったアメリカ人の生活を、ヨーロッパ人がはじめて理解できるようになったのである

アメリカは歴史なき、トポスなき人間の群衆社会人である。そのアメリカできない精神がヨーロッパをも席巻きしていることを指摘している

大衆的人間は、揺るがない運命的の土台の上に脚を踏みしめることがない。寧ろかれは、宙ぶらりんの虚構の生を虚しく生きているのである

大衆にはアイデンティティや居場所がなく、周囲が「これがいい」というと風になびく風船のように流れていく

大衆は公権の主となっている。生のプログラムもなく、計画もなく生きているのである。自分がどこに行くのかもわからない

大衆は生きる目的がない

なぜならば、厳密にいって、どこに向かって進むというものではないし、予定された道、つまり、前をもって決められた軌跡も持たないからである

 

大衆とは生の計画がなく、波間に浮かび漂う人間である。だから、彼の可能性と権力が巨大であっても、なにも建設しない

目的がない大衆は生涯何を成し遂げることができない

文明のいっさいの原理に興味がないのである‥

ヨーロッパで支配的になり始めた

これは私の仮説である

彼らを生んだ複雑な文化に比べれば、原始人であり、せり出しから現れた野蛮人である

私がここで分析しているのは、ヨーロッパの歴史は、今やはじめて、実際に凡庸な人間の決定に委ねられているように見えるという新しい社会的事実である

多様な人々が共生し、複雑な文化や積み重ねられて営まれてきた社会に突然、「文明の諸原理に全然関心のない」大衆が侵入してきた。彼らは社会を分断し、野蛮な方向に分断している大衆が今世界を支配しようとしている

 

警察力は、自分の押し付けようとする秩序、いうまでもなくて自分に都合のいい秩序を自分で定義し、決定することになるのは避けられない

 

大衆が自ら行動するときは、ほかに方法がないから、次のようなただ一つのやり方でするのである。つまりリンチである

自分たちの言うことに従わない者には、暴力を振るって従わせることで、社会を支配する

はじめてヨーロッパに、理由を述べて人を説得しようともしないし、自分の考えを正当化しようともしないで、ひたすら自分の意見を押し付けるタイプの人間が現れたのである

大衆は、自分と考えの違う者を排除して、自分が正しいと思うことを押しすすめるのが政治だと思っている

 

 

食料が不足して起こる暴動の際に、一般大衆はパンを求めるのだが、なんと、そのやり方はパン屋を破壊するのがつねである。この例は、今日の大衆が、彼らを養ってくれる文明を前にして、広範な、複雑な規模で反応する行動の象徴として使うことができる

オルテガは大衆が多数派という「正しさ」だけにおいて社会を支配しようとする状況を超民主主義と呼んだ

過去はそれなりの正当な理由を持っている

 

古い民主主義には、自由主義と法に対する熱情がたっぷり盛り込まれていた

これらの原理に服するために、個人は厳しい規律を自らに課したものだった。自由の原理と法的な庇護のもとに、少数派は行動し生活することができた

今日、我々は超民主主義の勝利を目撃しているところだ

かつての民主主義は過去の人たちが積み上げ出来た経験値に対する敬意や情熱を大事にしていました

ところが大衆は、そうした経験値を簡単に言うと破壊してしまう

過去を無視して、今生きている人間だけでただしさを決定できるという思いあがった態度のもとで、この「行き過ぎた民主主義」が横行する

 

我らの凡庸な人間、つまりは新たなアダムには、自分の完璧を疑う気が起こらない

人間は不完全

人間の理性は不完全

理性を疑う理性こそが本当の理性

虚栄心で盲目になっている時ですら、高貴な人間は、本当に自分が完全だと感ずることができないのだ

高貴な人間は、自らに限界があることを知っている

愚か者は、自分のことを疑ってみない。自分が極めて分別があるかのように思う

愚か者とは、偏差値が低いとか知識がないとかでありません

自らの限界に気づかず、「何でもできる」と自己過信です

だからこそアナトール=フランスは、愚か者は邪悪な人間よりも始末が悪いと言ったのた

つまり、邪悪な人間はときどき邪悪でなくなるが、愚か者派死ぬまで治らないからだ

バカは死ぬまで治らない

邪悪な人間は、自分が悪いことをしている自己認識がある

自己に対する過信こそが愚か者だから、彼らは「治らない」

人間の生の最も矛盾した形態は慢心した坊ちゃんという形態であれ‥

かれは自分でしたい放題のことをする為に生まれ落ちた人間である

自分は何でもできるなどと、人間の不完全に反することを考えている。自分のしたい放題のことをする

 

次のようにいうのはどうだろう。現代は他の時代より上であるが、自分自身より下である

自分たちの生きている時代は、これまでのどの時代よりもすぐれているという自惚れをもち、過去を見下し暴力的になる

死んでしまった制度、生き残っているがもはや意味のない価値や尊敬する、具体性をなくしたことが証明済の規範などがある‥このような全ての要素は、万事が単純化する時代を熱れに求めている

 

備蓄されてきたこのさまざまな経験値が生み出してきた制度や、規範などなど過去を忘れた時代は、全てを単純化する世界的である