小5、6年の時の担任の先生は熱血先生だった。彼は体育会系の鬼教師であり、クラスの児童は、毎朝ランニングをさせられ放課後には体育館で体操をしなくてはいけなかった
王選手がホームラン王になり国民栄誉賞を受賞した
スポーツが大好きな熱血先生は王選手について熱く語る
王選手の話
王選手は巨人に入団した頃はバットにボールが当たらず「三振王」と呼ばれた
王選手は毎日家で素振り練習をした。畳が擦り切れるまで素振りをした。ボールを打つ時に歯をくいしばるため、王選手は歯がボロボロだという
地道にな努力により王選手は三振王から世界のホームラン王になった
努力しても報われないことがあるだろうか
例え結果に結びつかなくても、努力したということが必ず生きてくるのではないだろうか
それでも報われないとしたら、それはまだ、努力とは言えないだろうか
具志堅幸司
1984年ロサンゼルスオリンピックでは具志堅が体操で総合で金メダルを獲得して日本中を沸かせた
熱血先生は具志堅の話を熱く語る
小学生の具志堅少年はテレビでオリンピックを観ていた
体操の選手がクルクルまわるのを観て母親に
「あれは見えない紐か何かでまわしてるのか?」
「あれは紐とか使ってるわけじゃない。人間は努力すれば何でもできるんだよ」
具志堅少年は自分も体操選手みたいにクルクルまわりたくて、中学生から体操部にはいり体操をはじめた
具志堅はコーチに
「僕は体操の才能がありますか?コーチ正直に答えてください」
「・・・お前は体操の才能はない。だからお前は誰よりも努力しろ」
具志堅は自分は才能がない。2倍、3倍では足りない。人の20倍、30倍に努力した。そしてオリンピックで金メダル獲得する
熱血先生は努力、根性で大成する人間が大好きなのだ。だから大成したスポーツ選手の話を子供たちにして
王選手や具志堅選手みたいな努力して大成する大人になって欲しかったのだろう
人間は自分が無力と思うなら具志堅選手や王選手のように人の何倍もの努力をして弱さを乗り越え達成して成長していく
それが人生を生きるということ
そういう人が「偉大な人」という
深いいい話ではないですか
高貴の人とは、世間に知られた者とか、無名の大衆に抜きん出ることによって自分を知名にした有名人ということだ
高貴であるということは、彼を著名にするものとなった、なみなみ成らぬ努力のあったことを意味する
従って高貴な人とは、努力する人、または卓越した人ということになる
私は母に具志堅選手や王選手の話をすると、母はさめていて全く共感してもらえなかった
エホバの証人の世界では奉仕活動という宗教勧誘する人が最も素晴らしい人と教えられています
スポーツや、受験、ビジネス成功する。または困難を乗り越えるためにに努力する
つまり自己実現することは「利己的な生き方」をする人間とみなされます
どうせ楽園で永遠に生きられるのだからスポーツ、芸術、などは楽園が来てからするべき
また「困難」はエホバが何とかしてくれる。楽園がきたら「困難」はなくなるから「困難」があったら困難は解さないで集会や奉仕してれば大丈夫と教えられています
現実の世界では前人未到の偉業を達成するスポーツ選手や困難ん乗り越えた人がヒーローになりますがエホバの証人から見たら
偉業を成し遂げても永遠に生きられるなければ意味がない愚かな生き方
エホバを知らない利己的な生き方をする人
神の介入を待てぬ「僭越な者」とさえみなします
母にとって
カルト宗教の当たらない予言を繰り返して頭の弱い人を扇動する宗教幹部や
人を利用するのが当たり前のエホバの証人たちのほう
つまり自分たちの方が
偉業を成し遂げた王選手や金メダルを獲得した具志堅より遥かに優れた存在と考えているのです
真理を知りエホバを知らない人々にエホバの王国を宣べ伝える自分たちの方が
真理を知らない偉業を成し遂げた人々より遥かに優れているとエホバの証人は思っている。彼らはそう教えられそう信じている
そのため彼らは常に傲慢で上から目線である
エホバ信者は価値観は一般と全く違い話はかみ合わない