ミラーリング(鏡的模倣行動)
同調効果、相手の行動、表情を真似てしまう心理学。コミュニケーションを円滑にするための無意識の行動
模倣は人間だけの能力ではない。猫は 母猫の毛繕い、狩り行動をみて真似る。ある動物園では母親が死んで人間に育てられたチンパンジーは子供を産んだが育児放棄をした
私たちはロールモデルから観察、模倣、習得、反復してミラーリングするのだ
初めて火をおこした人間がいてそれを見た人が模倣す
火から、ランプへ、電気へLEDへと知識は継承する
知識の継承は口頭伝達から、記号へ、やがて記号は文字となり、電話やファックスなりスマートフォンに
このような知識の継承と模倣によって私たちは生きている
産まれたての赤子にとってロールモデルとは養育者です
新生児は反射的に母親の乳房さをを探して母親につかまろうとする
赤子は養育者に抱っこされることによって、呼吸、体温、心拍数を調整しているのです
赤子にとって養育者は生命線です。養育者から栄養を与えてられ子供は成長したす栄養とは文字通りの食料だけではありません
心の栄養も必要です。心の栄養とはコミュニケーションです。赤子は親の表情、言動を模倣することによってコミュニケーションを学びます
そしてまた、親も反射的に赤子に意識を向けて、表情、動作を真似て子供と意思の疎通をする。これを母性といいます
残念ながら母性が未成熟なまま親となった人も存在します
ミラーリングがないと赤ん坊は自分の心の動きについて重要な情報を得ることができず、外の世界をどう理解すれば良いのか知るい術を得られないまま成長するします。子供は大人になっても、他人のメッセージを正しく受ける能力、コミュニケーション能力が発達できないままで大人になる
例えば、ある父親が産まれたばかりの赤子に 「コラっ!」「メッ!」と怒鳴り散らす。赤子は泣くと彼は得意になって「ほら!見ろ!コイツ コラっ!メッ!」というと泣くんだぜ!」と彼は嬉々とした。彼は朝、昼、晩 毎日、それを繰り返した。その度に彼得意になって「ほら見ろ!コイツはメッというと泣いたぞ!」と喜んだ
さて、このような父親から育てられた子供を一体何を学のだろうか
ルネ=スピッツの実験
第2次世界大戦のロンドン大空襲 数しれない子供が孤児となりファウンドリンク病院に修養された。精神科医ルネ=スピッツ(🇦🇹)は、乳幼児たちをみて違和感を感じた。泣いている乳幼児たちが一人もいないのである。スピッツは保育施設の乳幼児を対象に実験をはじめる。スピッツは一貫して愛情を受けることなく育った赤ん坊に何が起こるか学んだ
衣食住は満たされてもスキンシップを受けなかった乳幼児は人間の殻になってしまうのだ。医者はこの状態を依存性抑鬱と名付けた
スキンシップを与えられない乳幼児は自分の要求を外に示すことができなくなり、それ以降に外からの呼びかけにも応じなくなるのだ
人間は外の世界の脅威があまりにも大きい時、自分を守るために逃避する
物理的に逃避ができない時は、私たちの神経は、身体的にそこにありながら精神的に逃避するのだ。人生の最も初期の時点から、人の幸せは他者の手の中にあるということだ
最初の保育者との安定した愛情関係という土台の上に違い情緒的知性が育つのと同じように、ミラーリングは共感の根となるものだ
カルト親の常識は世間の一般常識は異なる。常識は「悪」になる
- 独善的
- 偏った価値観
- 誤情報を真理と信じ子供に押し付ける
- 思考力がなくカルトの教祖のいう通りに動くロボット
- 共感力がなく、他者の感情、迷惑、人権を意に介さない
- 子供をカルト活動に振り回す
- カルト活動に邪魔だから子供を折檻またはネグレクト(放置)する
ダブルバインド
エホバ親は
- 人を許す、寛容
- 暴力はいけない
- 嘘をついてはならない
- 「愛」「平和」が大事
と言葉では美辞麗句を語る。しかし行動は
言語メッセージと非言語メッセージの矛盾。これをダブルバインドという。ロールモデルとなる親が矛盾したコミュニケーションをとる。子供は戸惑いを繰り返した挙げ句
自閉的な形で社会の通念からはズレた、異常な生活様式を身につけざるを得ない
カルト親は親戚付き合い、近所付き合いをしない。おなじカルト信者意外とは付き合わない
従ってカルト親の子供のまわりにはカルト信者しかいなくなる
親がカルト信者で、しかもその影響を和らげてくれる他の大人がいないという状況は、人格形成性を学んでいく子供にとって 間違いなく過酷だろう
自分という概念を理解し、感情をコントロールし、外の世界の関わりを学ぶべき時期にそれができず、子供は多種多様な価値観、世界があることを学べない
カルト母が親として身体的にも、感情的にもないと同然となってしまった以上、残る親は父親だけだったが、同じ目線の男女が惹かれ合う、彼もまた子供の保育者になるには未熟だった
子育てとは自己犠牲の愛である。養育者の自己犠牲の愛を受け 子供は社会との関わりをはじめる
カルト母は現実世界より背後世界に夢中になり、子供の感情、要求を無視し続ける
子供の心は危機に晒される
乳幼児が示す行動は全て、愛着希求行動、すなわち保育者からの積極的な愛情表現という反応を求めるためにある
ミラーリング 笑顔には笑顔が返され、涙には抱擁が与えられる
満二ヶ月の段階で、赤ん坊は、愛情深い視線には微笑みで反応する。相手が自分に対して思いやりのある存在か、そうでないか見分け始める
満三ヶ月には、愉快な感情を共有できるするようなり
満六ヶ月までには、相互性のある簡単なあそびができるようになる
九ヶ月頃には、赤ん坊は養育者と注意を共有できるようになる。注意の共有が生まれることによって、その後の共感性や心を理解すり能力である「心の理論」の発達が準備されるのである
養育者の顔の表情、視線の動きから状況、次の行動が予測できるのもこの時期である
10ヶ月から十四ヶ月にかけて、ほかの子供たちが困ったり泣いたりすると共感を示すようになる
1歳半から、困っている子供を慰めたり、助けたりと愛他的行動が見られるようになる
共感、自分の心を汲んでもらう体験の積み重ねることが他人を思いやる能力となる
養育者から虐待、ネグレクト、支配された子供は、共感、心を汲まれた経験が欠如しているため、心の発達に深刻な支障が生じやすい
父も母も、子供が愛情を求めるそういう行動を煩わしいとしか思わなかった
カルト信者 彼らは何の根拠もないのに「自分は真の宗教から選ばれた者」と信じているほどに自己中心的で
彼らの優先事項はカルト活動、次に自分の要求を優先する
我が子にかまう時は、子供が必要としてではなく、自分にとって必要だからという理由だった
カルト親にとって愛とは 宗教勧誘活動に他者を引きずりこむことだ
カルト親は自分と同じ信仰を持たせることが最大の愛と信じて疑わない
カルト親が子供たちに期待したのは服従だけ。彼らにとって子供とは
自分の都合いいようにう動くだけの存在
それ以外には何もなかった
それでも子供たちはそんな親にしがみつくしかないのだ
親の世話を要求する幼児の生物学的行動は彼らには「甘ったれ」にしかならなかった
子供たちが必要なことを親に求めるだけで家の中には危険な緊張感が漂った
両親は子供たちの苦しみから何の結果も感じることはできなかった
やがて、子供たちにとって「必要があって求める」ても得るものは 屈辱、絶望、無力だけだった
そのうち 子供たちは何も要求しなくなった
子供たちの世話に邪魔されたくない親にとっては 子供たちが自分に何かを要求しなくなったのはいいことだったのだろう
結局、子供たちは外界から孤立しただけでなく、子供同士でも疎外感をいだくようになっていく
子供たちは親から多くを学んだ
他者の感情が自分に及ぼす影響を小さくする方法を学んだ
子供たちは自力に頼ることを学んだ
つまり、他者との仲間関係を築くことが難しくなった
この様な子供たちは、二つに分かれる
一つは 自閉症気味になる
他者に関し無関心、全てのことに対し無気力になる
もう一つは 攻撃的になる
自分の苛立ちを他者(自分より立場の弱い相手に対し)に投影する
親が自分にしたように他者を支配しようとする
自分を守るためには、誰にも頼らないことを学んだ
他者との交流は避けられないため、自分の望む結果を達成するために、自己の利益のために他者をあやつることを学んだ
親から感情を無視された子供は
他者の感情を無視する。他者の内的な世界。感情、尊厳も意識せず、理解できない
彼らは親が自分にしたように、他者を「物」「チェスの駒」のように操るようなコミュニケーションしか取れなくなる
下に兄弟がいれば 自分のやり場の無い怒りを歳下の兄弟にぶつける
怒りを一方的にぶつけられた子供は、逃げ場がなく 無力感に打ちひしがれ やがて心が病んでいく
カルト2世に精神異常者が多いのはそのような理由だ
学校に通う年頃になれば 更に彼らは混乱する
親が教えた カルトのルールと
学校のルールは価値観が違うのだ
カルトで成長した子供は程度の差はあれ、感情表現、他人に要求する。他人の感情を受け止めることが困難を感じる
多くのカルト2世たちは世間に馴染めず「透明人間」のような存在になる
カルト親にとって自分たち以外は「悪」「サタン」である
カルト親は子供が同じ信仰を持たなければ我が子さえも「サタン」とみなす
親から愛されない子供は死ぬしかない
子供はサバイバーになるために親の期待に応えた人生を歩む。親ををミラーリングするのだ
カルト子供は学校で浮いた存在だが、宗教熱心な子供をみて「世界最高の教育を受けたうちの子は凄い」と陶酔する
そんな親を見て親の自己陶酔をミラーリングして「真の宗教の親を持った自分は凄い」と陶酔する
第2次反抗期を迎えた子供は、親の期待に沿うだけの人生を違和感を覚える
「本当の自分はなんなのか」「自分は親の操り人形ではない」
親の欲望より、自己の欲望へ目が向き親から離れて一個の人間として自立していく
ところが、自分の欲望が親のコピーであることに気づかず、そのまま大人になる人もいる
親の期待に通りに生きることに疑問を持たないで人や、疑問を抱いても打ち消して我慢したまま成長する人たちである
このようなカルト二世は「真の宗教を選んだ私の母親は凄い」「母がいなければ私は真理を知らなかった」と
「真の宗教の親に育てられた私は凄い」という万能感を与えられ自己陶酔する
親と同じ信仰を持つことにより親のコピーになる人生を選ぶものもいる
このような人間は自分を衝き動かすものが内発的なものでないために何をしても満たされない。彼らは燃え尽き、精神的に病んでいく
こうして彼らは多くのものを失いながら大人になる