中川智正
オウム真理教の幹部。洗脳され、「救済の名の下に」医師でありながら坂本弁護士一家殺人を皮切りに、24人の殺人に関わった
生い立ち
岡山市内の裕福な家に生まれ育った。好奇心旺盛で、ハーモニカと習いたいと親にせがむ。習い事はそれだけ
自由奔放に育てたつもりです。勉強しろなんて言ったことはありませんでした
中学校まで成績は中くらい。理科が得意。手塚治虫の「ブッタ」と「ブラックジャック」にハマる。中学校3年生の2学期くら成績が急上昇して進学校に進む
高校時代は、いつも周囲に気を配り、授業に出なかった生徒にノートを届ける優しい子。口癖は
俺は嫌いな人間はいない
仏教に興味のある中川少年は超能力修行の阿含宗に入信する
1. 虚無感
とりあえず医師免許証を持って飽きたら転職しよう
一浪で京都府立大学医科大に入学。柔道部に所属し柔道2段
2. 人格者
性格は明るく、多くの友人がいて車椅子障害者の介護ボランティア活動する面倒見の良い真面目な人
麻原の空中浮遊写真を見た中川はトリックがあると確信した
タネを暴露してやる
麻原の説法を聴きにオウム大阪道場に訪れた。あくまでも冷やかしだったのだ
熱血感というか正義感があって、曲がったことは大っ嫌い。ものごとを真っ直ぐに貫く性格だった
なんでも興味を持ってトライしてみるやつだったね
もともと彼は宗教をからかうのが趣味で街で勧誘されると面白がってついていき、からかっては帰ってくるんだ
真面目で正義感の強い中川は弱者を背後世界で縛りつけ食い物にする新興宗教が嫌いだったのだろう。勧誘者に対し議論して論破することにより勧誘者に気づかせようとしたのかもしれない
しかし、その日の中川は帰ってこなかった
初めて会った麻原は「中川」の名を呼ぶ
初めて会ったのに自分の名前を言い当てた
更に神秘体験を経験した中川は麻原を盲信してしまう
名前を知っているのは勧誘者が中川の名前を教えた ホットリーディングであるのは 冷静に考えればわかるはず
1988 教団のコンサートがあり、感動して学生寮の自室に帰り、一人で瞑想に耽っていました。すると銀色の光が差し込み、あたり一面が真っ白になって、いきなり私の体がぴょんぴょん跳ねたのです‥この新品体験により、この世とは違う別世界があることを、私は確信したのです。ものごとの価値観や人生観が、まったく変わってしまい」もう自分は俗世では生きていけない」とまで考えました
3. まるで別人
中川「頭に腫瘍ができてしまったんだ。オウムに出家しないとダメなんだ」
友人「おまは医者だろ。自分で調べろよ」中川「西洋医学ではわからない」
友人が頭を触ろうとすると
「やめてくれ!凡人に触られると非情に疲れるんだ」
4. 生きづらさ
研修医になった中川は、患者を担当した。患者と接触すると、精神的にも肉体的にも患者と同じか症状が自分の身体に表れ失神してしまう。更に幻覚や幻聴まで引き起こす
1989から外科に移り、ガン患者を担当ささたが、患者が次々と死んでいくのを目の当たりにした時
医師は全然治せない。患者は死んでいく。医者は敗者である。それを乗り越える道は、宗教の中にあると考えていたのかもしれない
1988 8月 麻原の勧めで出家した
その年の10月27日に中川は坂本弁護士ポア事件に関与する
村井「人を殺せる薬はないか?すぐ襲った相手を眠らせる作用のものとか」
中川「スパイ映画と違って、すぐには眠らないでしょう」
村井「だったら君が、人を殺せるとか、すぐ眠らせるものを、医薬品から調達してくれ、勤めていた病院から、なんとか持ち出せないか?」
中川「はい、やってみます」
5. 思考停止
10月29日 中川は大阪鉄道病院に行き、塩化カリウムのアンプル5本を盗み出した。深夜に富士山総本部にたどり着くと、麻原彰晃が「遅いので心配した。帰ってこれて良かった」と労ってもらえた
自分は教団の中でしか生きられない。サリンを作れと言われればまだ作るし(実行犯として)行けと言われれば行くつもりでした
11月3日 麻原から坂本弁護士一家をポア指令を受ける
6. 殺人
帰宅途中の坂本弁護士を車に連れ込み、中川が塩化カリウム注射を打つ予定だったが、出勤日でなかったため、坂本弁護士のアパートに侵入した。坂本夫婦は激しく抵抗した。中川は泣いた龍彦君の口を塞ぐとやがて動かなくなった
は、は、は、子供を殺してしまいました‥
苦悩する中川
中川は現場にオウムのプルシャ(オウムのバッチ)をおとしてしまう。殺人犯としてあまりにも稚拙。証拠ありありなのに警察に捕まらなかったオウムは 教団を非難した人に毒ガス暗殺、教団内のスパイ疑惑のある信者をリンチで次々に人を殺めていく
地下鉄サリン事件の1ヶ月前、監視人二人から竹刀で叩かれて「グルに帰依します」という中川を見た(オウムからの帰還)
中川は医者でありながら爆薬、サリン製造をする。極めて有能
中川は凶悪事件の大部分に参加し25人の人間を死に加担した
逮捕後は両親に対し
遠いところを本当にありがとうございました。親不孝をして本当にすいません
7. 法廷
法廷では証言拒否を貫いた
「尊師とともに転生したい。だから一緒に処刑して欲しい」
「いつも尊師の声が聴こえる。いつも側にいる」
「教祖に帰依しているのは、僕と土谷と新實だけ、土谷は輝いてみえた。ステージが上がってきている」
刈谷さん監禁死について
「私は人が死んだ時、わかるんです」
どういう感じですか?
「光が床に降ってくるんです」
神秘体験が尊敬心に結びつくことがあったんですか
「それが全てでした
麻原に造反した井上に対して
「自己保身が激しい」
「生に執着している」
8. イエスマン
インド旅行で山道を歩いている時、麻原が「しまった、アキレス腱が切れた」と叫んで歩き続けた。中川か診察し、「尊師のおっしゃる通りアキレス腱が切れてます」アキレス腱が切れて歩けるはずないのに(端本証言)
頑なな中川も少しづつ変化していく
2001年 麻原公判に証人として出廷した時、中川は泣きながら
教団はシヴァ大神の名を標榜していたと思うが、それがこんな状況になって、尊師どうお考えなんでしょうか
是非なんらかの形で、私たちに示して欲しい
私たちは サリンを作ったり ばら撒いたり 人の首を絞めて殺したりとか
そんなことのために出家したわけではない
麻原はぶつぶつ独り言をつぶやいているだけ
滝本太郎弁護士
滝本太郎弁護士が証人として現れる。滝本弁護士は坂本弁護士から「オウム問題を一緒に取り組まないか?」誘われた。滝本はその時は断った
坂本弁護士失踪事件を境にオウム事件に取り組んだ。教団は滝本太郎暗殺を計画。滝本弁護士の車にサリンを滴下して、交通事故を装い暗殺しようとした。滝本は気分が悪くなっただけで暗殺は失敗。中川はその暗殺計画実行犯の1人だった
中川被告は、極悪非道の行為をした
あなたは多くの人を殺した
多くの人を苦しめた
松本サリン、地下鉄サリンで殺された人、一人一人の人生があった‥
あなたの手を見せてください
中川はすこしおどけたように、両掌を身体の前に構えて見せる
あなたは、その手で多くの犯罪を犯した。その手で、坂本龍彦君を殺した
その手で鼻を塞いで殺した
‥あなたは私の友人坂本堤を殺した
みやこさんを殺した
サリンまで作った
私は中川智正を許しません
もし来世があるなら
あなたの来世までも許さない
それでも君を死刑にしたいとは思わない
中川の死刑を望まない理由を 教団におけるマインドコントロールを説明する滝本太郎弁護士。死刑になるのは教祖一人だけで十分だと述べた後、滝本は優しい口調で中川に語りかける
以上のことから
中川智正には厳正な処罰を望みます
ですが、たとえ本人が望んだとしても
死刑にはしないよう強く望みます
マインドコントロールされた人間はマニュピレーターにロボットのように従わざるえない。彼らには悪意も殺意もなく あくまでも善意の行いだったと滝本弁護士は語る
悪意の殺人には限度があるが
善意の殺人には限度がない (滝沢太郎)
マインドコントロールを理解していた滝本弁護士は麻原以外の人たちの死刑を回避するべきと訴えた
友達を家族ごと奪われ、自分をさえ殺そうとした人間に対し「生きて償う」ようにと優しく諭す。素晴らしい人格者です
2年後
黙秘を貫いた中川が事実関係を話し始めた。心境の変化について弁護士が問うと中川は
麻原の思念が薄らいできたことと
オウム事件の重大性が理解できたと述べた
‥それと、私事ではあるんですが
実は最近親戚が増えたんです
身内に子供を産んだ者がいるんです
その子は私が何をしたか知らない
おそらく一生会うことはないでしょう
むしろ会わない方がいい‥だけど何十年かたって、身内の私のことを考えて
「この人は一体何を考えてこんなことをしたのかな?」
理解されないのでは残念な気がしたんです
身内に新しい生命が宿ることを聞いて社会的責任感を取り戻したのだ
洗脳を解くのは家族の絆
私が起訴された事件だけで24人の人が亡くなっている‥私がのうのうと生きていること自体まずい、いけないことだと思います
中川は麻原を「尊師」から麻原氏と呼び名をかえた
2003年 一審で死刑判決
裁判では解離性障害と診断されたが、責任能力ありと判断された。裁判官は中川が人格者であることを褒め称えながらも死刑判決を下した
綺麗な心の殺人者
体の不自由な人の車椅子を押していた優しい若者が、3歳にも満たない幼児を殺害してしまう。凶悪な殺人者が犯罪に走ったのではなく、綺麗な心を持った若者がいつしか、その綺麗な心のままで殺人を犯していた。これこそがオウム事件の恐ろしい核心だ。一つ間違えば、誰もがそうなり得るということだ(オウム真理の会 永岡弘行会長)
誰も恨まない
あの人が
あの人がというには
終わりなり
我がなしたこと
我が前で見る (中川の俳句)
中川は、麻原を師として従うことを選んだ自分にも非があると述べた
俳句が好きで刑務所で詠んだ俳句を同人誌に掲載していた
9. 証人
平田、菊池直子、髙橋の裁判で証言をする
井上は3人は積極的に関わったと述べるが
中川は
重要なことを知っている人は皆捕まった
菊池は爆弾と知らずに運んだ
と証言した。爆発物を運ぶ人に対し、中身を知らせないのは考えにくい。そのため 週刊誌では「菊池を庇っている」と報道された
アンソニートゥー氏は 「菊池さんが好きなのか?」と問うと顔を赤らめた、裁判では中川の証言が採用され 菊池は無罪となる
10. 食い違う意見
松本サリン事件がオウムの仕業とみなされ、教団はオウムの原料(ジプロ)を廃棄した。しかし井上証言で中川が一部を保管した。それが地下鉄サリン事件に使用されたとされていた。中川は保管したのは自分てはないと語る。中川は人体実験をしていたと話す信者もいた
11. 中川の疑問
オウム真理教の裁判において基準値が曖昧と釈然としなかったと述べた
死刑と無期懲役の差
サリン実行犯 死刑
運転手 無期懲役
だが
横山 サリンをまくもその車両で死亡者はいないが死刑
土谷 サリン、V Xガスを作ったが直には人は殺していない。サリン事件はテレビの報道で知った
遠藤 細菌兵器をつくるも使いものにならず直接には誰も殺してはいない
12. 責任感の欠如
中川の恋人大谷は「なぜサリンを作ったのか」の問いかけにたいし
自分を含めオウムに出家した人ふみんな自分に自信がなかったと思う。それで答えを出してくれる人がほしくて、こうすれば絶対間違えない、自分で考えて判断して失敗するのが怖いので、この人に従っていれば大丈夫という絶対的な存在を求めてしまった。自分で迷いながら自分の人生を放棄してしまったのがいけなかった(オウム真理教秘録)
13. VX
2017 金正男氏がマレーシアで暗殺された時は「症状からVXガスが使用された可能性がある」と真っ先に指摘して、その後論文を執筆した
死刑が近いことを悟った中川はアントニートゥ氏にお別れをする
13. 最期の日
職員が腕をつかみ連れて行こうとしたが「自分で歩いて行く」て断った
自分のことについては誰も恨まず
自分のした事のことの結果と考えている
被害者の方々に心よりお詫び申し上げます
中川は綺麗な心で殺人を犯し続け、綺麗な心のまま刑場に向かった。中川の独房に走り書きの紙が残されていた
最後までありがとう
みんなありがとう7月6日朝 お別れです
幼児まで手にかけMADドクターに堕ちた中川。最期は感謝の言葉を何度も述べた
マニュピレーターに支配されないためにはどうすればいいの?
だから、麻原に近づかないことですよ(中川)オウム真理教秘録