ことりの啓示

カルト宗教、洗脳研究

宗教ブログ

人々はなぜ終末予言を信じるのか

ノストラダモス(1503〜1566年)フランスの占星術、ノストラダモスは四行詩形式の難解な詩を書いた。この詩は後世様々に解釈された。これがノストラダモスの大予言である

ノストラダモスの大予言は予言の書ではない

当時の政治批判である

Q.なぜノストラダモスは曖昧な詩を書いたのか

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政府批判をダイレクトに書くと逮捕されるから曖昧な表現マルチプルアウトにして政権批判を四行詩にして書いた

曖昧な表現は翻訳者によって解釈が変わる

後のミステリー研究者が面白おかしく預言の書

何か事件がおきてから研究者が都合よく当てはめるのだ

確証バイアス

仮説や信念を検証する際にそれを支持する情報ばかり集め、反証する情報を無視また集めない傾向

100人が訳せば100通りの解釈がある

Q.人は何故終末予言を信じてしまうのか

人間はネガティヴな予言を信じたい要求があるのだ

心理学でも良い予測より、悪い予測を信じやすい

あなたはテストの後、低い点数だと考えたことがないだろうか?

このようにネガティヴに低いテストの点を予測すると、返って来た解答用紙が予測より良い点だったとホッとした経験がないだろうか?

人間は良い予測が外れた時は酷く落ち込む、悪い予測が外れた時には、自尊心が傷つかないし、悪いことも起きない。ハッピーになるのだ

更に人間には

カタストロフ(破壊)願望があるのだ

映画、小説、漫画が世紀末を扱ったコンテンツが大ヒットするのは人間が破壊願望を持つからである

ゾロアスター教ではこの世の終わりに悪の神アングラ・マインユと善の神アフラ・マスダが戦い善の神が勝利します。そしてアフラ・マスダによる最後の審判が行われて、選ばれたものは永遠の命を与えられます

ゾロアスター教の教えはユダヤ教キリスト教イスラムに受け継がれました

イスラム

イスラム教も動乱があると救世主が現れ異教徒を滅ぼすと書かれている聖典があります

終末予言で人の不安を煽って信者を集めるカルト宗教は少なくない

ヨハネの黙示録 

黙示 隠れた奥義を明らかにするという意味

聖書は

旧約聖書39巻

新訳聖書27巻に編集されている

最初の書が創世記という、はじまりが記され

66番目の最後が

悪を破壊することにより完成した世界になる「この世の終わり」が記されている

ヨハネの黙示録が書かれた背景

当時、キリスト教徒はローマ帝国に支配されていた

ローマ皇帝は自らを神とし、皇帝崇拝を強制していた

エス=キリストを主としたキリスト教徒は、捕らえられ、ライオンの餌となる運命だ

キリスト教徒は疑問に思う

「神はは何故このような惨劇を前に沈黙しているのか?」

そんなおり、ヨハネアジア州の同朋に一通の書簡を送った。その手紙がヨハネの黙示録である

黙示録は、未来の予言ではなく、苦難の中で絶望しかけた信者たちを励ますことを目的とした手紙だった

預言 神の言葉を伝える(預かる)

予言 予め未来の予則(予め) 

黙示録は予言の書ではなく、預言の書と呼ぶべきものだった

見よ、わたしはすぐに来る

詩のような抽象的なヨハネの手紙はノストラダモスの大予言と同じマルチプルアウトである

これも百人が解析すれば、百通りの解釈ができる

黙示録を「予言」と捉えて読む者は、この黙示録は自分のことを当てはめているんだなと解釈してしまう

南の王と北の王はアメリカとソ連とか

十の角を持つ野獣はヨーロッパのどことどことか

大いなるバビロンは○○とか

自分にとって都合の良い解釈をしてしまうのだ

毒ガス、戦車、爆撃機を使用した第一次世界大戦の惨状をみた ものみの塔初代会長ラッセルはハルマゲドン突入と解釈して1915年にまでに世界は終わると解釈してしまう 

聖書は終末の到来を予告しているが、「この世の終わり」は決して明らかにしていないのだ。

その日、その時は、だれも知らない。天のみ使いたちも、また子(イエス)もしらない。ただ父だけが知っている(マタイ24章36節)

世の終わりはイエス=キリストさえも知らされていないのだ

終わりの日がすでに来たとふれまわる者があっても、すぐさま心を動かされたり、慌てたりしては行けない。それに騙されてはいけない。まず背教のことがおこり、不法の者、すなわち滅びの子が現れるに違いない(テサロニケ2章1から3節)

終末の日時を教える者は偽預言者なのである

その手紙には難しく理解しにくい箇所があって、無学な人や心の定まらない人は、それを聖書の他の部分と同様に曲解をし、自分の滅びを招いてしまいます(ペテロの手紙には2 23章16節)

Q.なぜ聖書は終末予言の日をおしえないのか?

恐怖から本当の信仰は生まれない

神は愛です

神は愛だから、恐怖から生まれる信仰ではなく神への人格的応答を求めているのだ

地獄、ハルマゲドン、滅びの恐怖によって人の心を縛りつけるのは神ではなく偽りの宗教なのだ

人間の将来には多くの不確定要素が待ち構えている。そのような将来の不安に備えて人々は努力をして備える

終末予言で人を煽るカルトに入信する人は努力をしたくない人たちである

カルト宗教は滅びの予言で

「真の宗教」である我の宗教で無料奉仕しなさい

学業、仕事、家族も捨て献身しなさい。さもなくば滅びるとせき立てる

しかし、聖書はそのような生き方は勧めていない

つとめて落ち着いた生活をし、自分の仕事に身を入れ、手ずから働きなさい(テサロニケ3章10節)

終わりの日を知る者は存在しない

ハルマゲドンを逃れて生産活動を行わない信者たちは

いずれ生活の糧を「滅ぼされる人々」「不道徳な人々」の労働、財産に寄生する

私たちが見つめなければならないのは「この世の終わり」ではなく、必ず訪れる「自分の終わり」なのだ。だから自分の終わりを悔いなく迎えるために、今日一日を懸命に生きなくてはならない

匿名リサーチ200x参考

神が人間を創ったのではなく

人間が神を創ったのだ

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