エホバの証人になる人はサディストであると私は思う。70年〜80年代は集会でトイレで叩く音と子供の泣き声が聞こえてくる。毎回誰かしらは叩かれていた。児童虐待だがエホバの証人にとっては それが「愛」であり教育とした
80年代は叩けば叩く程、霊性が高いと評価されていた。世間一般の母親たちが子供を塾にいれ、受験を競い合うようにエホバの証人母親たちは子供たちを叩いた数や鞭の痛みを競い合う
世間の母が、あのスーパーが特売とか、あの塾が良いとか、あの学校が良いとか盛り上がっているが、エホバ母は
ベルトの鞭がいいとか
鋲のついたベルトはもっと効果的とか
ガスホースで叩くとか
うちは布団叩きよ。木製は折れるからダメ。ステンレス製が望ましいなど
こんなサディスト的な井戸端会議するのだ。彼女たちたちは体罰をしない親を「教育ができない親」「子供を憎んでいる」「私たちは世界最高の教育をしているから‥」と蔑んでいた
主婦Aは育児で悩んでいた。家を訪問するしたエホバの証人が自信満々に
「聖書の指針に従えは子育てはうまくいく」と言われ
同じくらいの子供がいるエホバの証人の姉妹と家庭聖書研究をはじめる
相手の姉妹の子供の行儀の良さに感心していました
ある日、いつも勉強会に参加した相手の女性の4歳の女の子が居眠りをした。子供の居眠りに気づいた母親は
「ちょっと。失礼します」と言って子供の手を引き中座する
やがて何かを叩く音と、子供の哀れな泣き声が聞こえてきた
主婦Aはテキストに書いてあった「懲らしめの鞭」のことと察した
数分後に何事もなかったように勉強を再開しようとした司会者姉妹
「今は午後の3時ですし、ちょうどお子さんが眠くなっても仕方ない時間帯だと思うのですが。お尻を叩くとはどういうことですか」
相手の姉妹は厳しい口調で言い捨てた
「私はエホバの証人で、この子供をしっかり訓練する義務があるのです」
この言葉に何か非常に冷たいものを感じた主婦Aは間もなく、エホバの証人との学びを辞めた
(エホバの証人カルト集団の実態より)
霊的なことや聖書に興味があり、エホバの証人と研究を受けても、集会で交われば(70〜80年代)子供が虐待されてるのを目撃するわけです
マトモで良心のある人間は児童虐待を目撃すれば、主婦Aのようにエホバの証人と関わるのを辞めます
良心がある人間は、体力的に立場の弱い子供を叩く大人に嫌悪感を感じます
この組織には児童虐待を平気でできるし、児童虐待を何とも思わない良心の欠けたサディスト的な人間ばかりになる
エホバの証人とペット
I姉妹はコザクラインコを飼っている。家は団地である。コザクラインコの声が大きいと近所から苦情がくる。そのためコザクラインコが鳴くたび頭を叩く。インコが鳴くのは本能である。人間なら手で頭をかばえる。手がないコザクラインコは頭に直撃だ。なすすべもなく飼い主が手をあげるたびに怯えて縮こまるだけ
逃げることもできないコザクラインコは自分の毛をむしりとるようになったのだ。人間ならばノイローゼによる自傷行為である。自傷行為するコザクラインコを見て
「この子ノイローゼになったの」
アンタのせいじゃん‥狂ってる
インコがノイローゼになった原因さえ理解できていない様子である
エホバの証人に産まれた子供と飼われたペットは虐待される運命なのだ
エホバの証人はサディスト
なぜなら彼らの神エホバがエホバの証人以外を粛正するサディズム神だからだ
最も恐ろしいのはエホバ母に虐待されているのに「親は私を愛しているから」と言わされている子どもたちだ。生しりだされてホース、ベルトで叩かれてているのに感謝している
ユダヤ人のホロコーストでも同じことがおこった。人間は意味のない苦しみに耐えられない。だからユダヤ人たちは「ドイツ人看守たちは私たちを好きだからだからこうするのだ」と考えることによって発狂しないようにする防衛規制だ
ゼルマ=フレイバークが報告しているエピソードは、背筋を凍らせるものがある
お腹を空かせてミルクを欲しがっている赤ん坊に、その母親は、哺乳瓶を咥えさたかと思うと引き抜いてしまい、赤ん坊が飲むはずだったミルクを自分の口に垂らして見せたのだ。赤ん坊は困惑した表情をみせ、それから怒りだしたが、母親がそのような行動を繰り返すと、足をバタバタさせながら笑い出したのだ
母親がミルクを見せびらかすが、与えてくれないという理不尽で意地悪な苦痛に満ちた状況を快感に変えることで、この赤ん坊はどうにか母親との関係を取り繕うとしているのだ
子供はどんな理不尽なことをされようと、それに縋って生きるしかない。苦痛を快感に逆転させることにより適応したのだ
虐待されているのに私は愛されている
極限状態だ
このような環境で育てられた子供は、虫でいえば全部触覚を取られたようなものである。5感を奪われることは、自分の意思を奪われることである。自分の感じ方、価値観、意見が親と違うと恐ろしくなり、親と同じ価値観を必死に合わせる。従って相手の要求に合わせているうちに、自分の感じ方、意思を失いロボットのようになっていく
親から「何が食べたい?」「何が欲しい?」と聞かれも食べたいものも言えないし、本当に欲しいものも言えない。自分の答えが親の要求と違えばまた虐待されるからだ。自分の欲しいもの、やりたいことがないから、自分の生きる目的、好きなもの、嫌いなものもない虚無で絶望した人ができあがるのだ
更に複雑なのは「あなたのおかげで私はこんな素晴らしい人生を送れている」「親が私に真理を教えてくれたから私はこんなに自由に生きている」と示さなければならないのだ
こうした矛盾する要求の中で被害者は自分の殻に閉じこもる。そとの世界に接すれば、興味を持てば、それはエホバの真理とは全く矛盾しているからエホバの真理の世界に引きこもるしかないのだ
人を攻撃する人の心理
アドラー博士は
全ての人間は目的をもって行動していると言われています
怒っている人に理由を聞けば、怒っている人は
「あの人が私に失礼な事をした」と理由をつけるが
イジメをしている人にも理由を聞けば
「あの人を見てるとイライラする」
本当は自分のストレス発散する目的で怒る理由を探している
怒りの原因は相手ではなく、自分自身の意思で行動している
人を攻撃して優越感を感じたり、人を支配したい。という目的のために怒るという行動をしてる
人を動かすのは「理性」や「感情」でなく自分自身で選択した「目的」です。自分の行動は自分の責任ということです
カルト信者は
洗脳されたいから洗脳されます
子供を叩きたいから叩きます
洗脳されて子供を叩いたわけではありません。もともと
子供を叩きたいから叩くのです
あなたの親は子供を利用して自分の苛立ちを解消していただけなのです
子供を自分の意のままに動かしたい。子供の人生全てを支配したい
サディストの恐ろしいところは自分のサディズムに気づいていないところです
来ない楽園のために他者をエホバの証人にさせることは他者の人生を破滅することです
サディストは、破壊したり、支配したりしようとする自分の願望に気づいていない。自分が相手の人生を破壊していることに気づいていない
サディストは口では「愛、正義」を語りながら、行動は他者を破壊するだけ
だからあなたは悪くない。問題は子供を虐待する親にあるのです
カルト被害者へ
この世界は邪悪なサタンの世界ではありません
現実の世界は楽しむことに罪の意識を要求をする世界ではありません
あなたは今まで幻想の世界で生きてきました
大事なのは「私はサディストと一緒に生きてきたサバイバーである」という自覚です
サディストに虐待された結果
自分の心は崩壊しているということを認識している
自分の価値観は歪んでいる
今までは現実の世界とは無関係に生きてきた
自分はサディストに操作されたロボットのように生きてきた
サディストによって生産された自分を壊すことです
正しいことをするのではなく、神に仕える人生でもなく
人間は幸せになるために生きている
あなたは楽しい人生を歩んでいいんですよ