北九州連続殺人事件
容疑者夫婦が逮捕され夫婦の子供二人が保護された。子供たちは戸籍がなく学校にすら通っていなかった
松永の長男
最初の記憶は6歳くらい
ダンボールがたくさんある部屋にいた
存在否定
父親には「前妻の子供と比べてお前はできが悪い」「お前は本当の息子じゃない」「お前がいなければ純子と別れられる」純子も松永からお前と子供がいなければ‥死ねと言われていた
1日のご飯は食パン一枚を渡されただけだった。一枚の食パンを三つにわけ飢えをしのいだ
通電という虐待を受けた
父の暴虐に対して憤りを感じ一度紐を張り父親を転ばせようとしたが父は転ばず通電をたくさん受けた
親父の言うこと、やることに間違いはなく、正解なんだ
数々の虐待は この人を怒らせたからそうされたと考えていた
逃亡中に生まれため、籍すらなく 幼稚園、小学校、病院にも行かせてもらえたことはない
テレビの中に学校(家庭)があっても「よそはよそ、うちはうち」と言われていたので‥俺の中ではそれが常識になっていたんです
カタカナ、ひらがなは最初の被害者の娘から教えてもらったが漢字は知らなかった
漢字というのは最初、全然わからなくて、俺のなかではひらがなやカタカナが唯一の言葉、文字だったので、それでずっと生きてきたじゃないですか。外に出てから漢字があるんだよ。英語があるんだよ、と言われた時は理解できなかったですよ
住みかには新聞、雑誌があったがひらがなしか読めないため内容はわからなかった
名前は三個
本名の他、偽名が2つ。知らない人に名前を聞かれたら偽名を使えと教えられた
俺の中ではおやじが絶対だったからです
独自のルール
- 玄関の呼び鈴がならされたら電気を消して物音をたてない
- トイレのあとはバケツで水を汲んで流す
- 寒い日でもTシャツと短パンで過ごす
- 暑い日でも冷房の部屋で寝てはいけないよ
- 松永より先にご飯を食べてはならない
- 松永に逆らってはいけない、疑問を挟むのは許されない
動物にしつけをする、みたいな、なんでそれがだめという、ちゃんとした理由や説明はなかった
松永は通電される人が苦しむ姿を楽しんでいた。長男は監禁された人たちは祖父、祖母、叔母家族であるがそれが自分の身内とは知らなかった
煮詰めてミキサーにかけ液状化した臭い何かをおたまですくい投げ漏斗でペットボトルに入れる作業を手伝わされフェリーでそれを捨てた記憶がある
記憶に残っているのがペットボトルと船なんですね…ピンクの漏斗…ものすごい臭い匂いがするんですよ
当時それが何かわからなかったが、成長するにつれつながってきた時は戦慄を覚えた
保護
両親が警察に捕まると子供たちは保護された。児童養護施設に入れられ、小学校に通う。小4だが 三年生のクラスに入ることになった
ドッジボール、バスケ、ゲームなどのルールがわからない
カタカナ、ひらがな しかわからず 授業がわからない。授業を抜け出しふらふら歩き回る
自分が年齢を重ねて社会に出て行って、みんなの思う常識と照らし合わせていった時に「これだけずれていたんや」とわかる。俺はいつも、みんなのほうが非常識やと思ったんです。…実際は俺の常識が非常識で…それに気づくのはかなり遅かったですね。十代後半とか
児童養護施設に移りまた小学校へ通う
中学校入学後、問題児とされ児相に戻され児童自立支援施設に行く
差別
中学に入ると直接的にお前の親は犯罪者と言われた。人は離れていき、とことんいじる子がいた。暴力をふるって黙らせることもありますます居場所がなくなる
中2で里親ができ転校した
定時制高校入学
ガソリンスタンドでバイトしながら学校へ通うが里親とは合わず家を出て友達の家を転々とした
高校中退
知り合いから住み込みの土建屋を紹介されたがブラック企業で辞めた
大人は裏切るから信用できない
その知り合いが違う住み込みで働ける事務所を紹介したがそこは暴力団事務所だった。警察の介入により辞めれた
鳶職で働くも暴力団が「うちの若いのぬいたろう?」と圧力をかけてきた
鳶職をやめガソリンスタンドで働くが住むところがなく生活保護を申請した
後見人がなくては職を得られない
児童相談所の先生が未成年後見人になることにより彼の人生は好転する
後見人になれば、もし彼が犯罪者になれば後見人の責任になります。並大抵の信念、無償の愛がなければできません
短期アルバイト、引越し屋さん。イベント業、農作業など仕事を経験した後正社員として働くことになった
小学校の同級生の子と再会して結婚
子供について
子供の要求に応えられるようになる環境が整わなければ‥自分と同じ思いはさせたくない
トラウマ
雷が怖い
家で電気がつけられない
水溜まりが怖い。水を飲むのがこわいという。水がこわいのは浴槽で松永から頭ごと沈められたトラウマから
父親について
自信満々で笑っていたが目は笑っていなかった。人の嫌がる表情をみると意地悪く嗤う
何を考えているか、わからないですね。ただ優しいときもあったんですよ。一年に一回くらい。自分の誕生日とかだとおもうんですけど
父との面会は笑顔で
そろそろ来ると思っていた
付き添いの後見人はその目の笑っていない笑顔にぞっとした
松永は息子に死刑判決反対の署名を集めるように要求した
最後まで戦いたい。父さんは悪くないの見とるやろ
長男が罪悪感はないのか?と問うと怒りだし「そういうこというんなら帰ってくれ」
母親について
笑った顔は見たことがない
親父の言いなり、ロボットみたい
母親と思ったことはない
通電の時に子供を押さえつけられた
包丁で刺し殺されそうになった
面談のときパターンがある最初は心配して気遣った後 説教じみてくる
純子はありきたりの正論を話す。洗脳されたからとはいえ虐待された息子からみたら正論を話す母には不信感しかないという
母は二ヶ月に一度 手紙を送った。美しい文字で息子を気遣い励ます模範的な内容だった
俺はやはり現実というフィルターを通してこの文が入ってくるので、どうしてもバランスの取れてない文やなぁと思うんですよ
「模範囚として早く刑務所から出れるように自分に手紙で心配していると書いて。いい人を演じて利用していない?」と母に問うた。純子は否定した
今までの経緯を考えると、そうじゃないかなって思えてしまうくらいのことがあるんです
そのため長男は母の手紙に返事を書いたことは二、三回しかない
だから俺は母親が嫌いなんです
母親と日常会話はなかった
弟と仲は良好
母親が出所する時は、弟には迷惑をかけないように俺の方でしてあげないといかんなぁと思っていますね
十字架を背負う
もの心がついてなく、責任がなかったんだから、仮に(死体遺棄〕に加担しとったとしてもしょうがないと言葉をかけてもらうんですけど、俺はそういうの関係ないと思うんですよ。例えば小学校一年生の子が誰かを殺してしまったときに、そうするつもりじゃなかったので許してほしいといえば、それで済まされる話なのかということにも似てるんです
親は反面教師
例えば人と関わる時、その人と会話している自分とは別のところからそれを眺めている自分がいる。自分でそれがもの凄く気分が悪いんですね。相手に感情をぶつけていたとすれば、それを冷めた目で見ている‥自分の中にもう一人、自分がいるような感覚なんです‥人の弱いところも、凄くわかるんですこの人は多分こういうところでつまずいて苦しんでいるやろうか‥こういう話を聞かされた時、こう返した方がいいんかなって、そんなこと考える自分が、親父とかぶるんですよ‥親父と似ていることでの恐怖心はもちろんあります。同じことをしてしまうんやなって
あいつはそれを自分のいいように使ったけど、俺はもちろんそれをする気はないです。自分が損してでも人のために何かをしたい気持ちがあります。自分の中に冷めた自分がもう一人いるということは、認めたくないけど認めて、上手にそれと付き合っていくしかないんかなぁと思います
父親‥憎しみ
母親‥負の遺産
自分から発信する
ドキュメンタリー「人殺しの息子と呼ばれて」は高視聴率を記録し 特別版も放送された。テレビ局には親と同じ生き方はしないと決めた長男の生き方に多くの応援の声が寄せられました
自分も発信した上で向こうからも意見が返ってくるっていう対等な立場なっての攻撃なら、そんなにこたえることもないんで
長男は毒親サバイバーYou tubarとしてとして世間に発信し人生と向き合って生きている。その生き方は力強くそして尊い
親が犯罪者だからといって子供は全く罪はありません
子供は幸せに生きる権利が守られなければなりません
毒親は負の連鎖です
俺はあなたの操り人形じゃない
松永の子供は負の鎖を断ち切った
松永の息子はなぜ闇落ちしなかったのか?
安全基地があった
松永長男は 周囲に理解者がいた。自分の居場所を見出したことが彼にとって幸いとなった
後見人の先生の存在
妻となる同級生の存在
私自身はカルト二世です。終末予言カルト宗教は独自の異常なルール。あのカルトがおかしいと目を三角にして罵倒され黙らざる得なかった
カルト宗教は終わる終わる詐欺です。勧誘活動は人を詐欺に引きずり込むこむことですから、今でも罪悪感を感じ生きづらさがあります。ですから松永長男の苦しみに共感しました
犯罪加害者の家族の生きづらさ
犯罪者の子供の生きづらさ
松永長男は施設をたらい回しにされた
日本では少年自身が犯罪者になった場合の更生プログラムは存在するが
加害者二世の育て直しをするプログラム施設はありません。生まれてから殺人現場で育ち知らずに死体遺棄した子供は前例がありませんでした。ケアする受け皿がなく職員たちは腫れ物にさわるように接することになったのです。加害者の子供の受け皿が必要です