「今日は「賢さ」を学ぶわよ
人間は「賢さ」を求める
「賢い」
それが現代の科学の世界では人間に求められる究極の要求
教育も、研究も、就職も全て「賢い」ことが優先する
ついには「偏差値」という賢さを数値化するモノまで登場する程人間は「賢さ」を求めるの」
「戦闘力を数値化している人もいたわね」
「それ フリーザーだから!」
「『頭が良い人』ってどんな人かしら」
「大体の人は意外にも
『勉強ができる人』
『学校の成績が良い人』と意見する人はいない
『頭の良い人』を問うと
『要領の良い人』
『状況判断が的確な人』
『アドリブの効く人』が多い」
「つまり、『知識のあるなし』ではなく現状を冷静に分析して適切な判断を下せる人が、頭良いということね。確かに、そういう人は頭の回転も速いし、勉強も効率よくできるから、きっと学生時代の成績も良さそう」
「それが「賢さ」ならばスポーツ選手、人気タレントが頭が良いことになるわね
自分が今置かれている状況を素早く分析して、その場に相応しい判断、行動ができる
だけど仮に
学生時代、彼らがスポーツをしないで猛勉強したら全員東大にいけるのだろうか?」
「色んな基準があるわね。勉強のできる人を『頭が良い』と表現するけど
絵の上手い人やピアノが上手い人を『腕が良い』とか
サッカー上手な人を『脚が良い』とは表現しない
『状況判断力の高さ』がが頭の良さならば、学校で知識を身につけるより、ボランティア活動などで社会と関わり、コミュニケーションをつけたほうが、分析力や判断力を身につけれる。学校で勉強する意味はないのではないか?」
「確かに円の面積、関数、微積なんて大抵のことは社会にでて使用しないけど義務教育の基礎知識は必要よ
ソクラテスは『無知の知』自分がいかに無知であることを自覚すること。己が無知だからこそ学ぼうとする。それこそが知恵の始まりと述べている」
「確かに聞いてもいないのに『学歴」や『自分は学生時代学年一番だった』とか自慢したり、知識をひけらかす人って逆に鼻につくわよね。大体そういう奴に限って職場の和を乱すし、仕事もできず全く使い物にならない」
「それはアドラー心理学でいうと優越コンプレックスよ
誰も認めてくれないから自分で自慢するしかないの。自信がないの。本当に賢い人は自分から知をひけらかさないものよ」
「知識は学生時代だけではなく生涯にわたり学び続けるもの。自分の賢さに胡座をかけば退化するわ」
「この賢さが目に見えるものに向けられると
より便利に、より快適に、そしてもっと速く、もっと高くと人間の要求に応じた「モノ」を作り出すことに使われる」
「それが文明や科学の進歩ね」
「賢いことは、けっして人間が幸福になることとは結びつかないわ
賢さは、かえって様々な不幸を人類に招くこともあるの
人間が生産したモノによって、どれ程の人間が傷ついたか
電気、航空機、列車、車に至るまで、確かに便利さや快適さは手にすることがらできた。しかし、事故も多発している。環境も破壊されている
賢さが戦争に用いられると、たちまち人を傷つける兵器の生産に向けられる
人間自身も賢くあることが教育の目的に置かれると
私たちは「受験」という競争で切磋琢磨し成長ができる
だが、問題も生じる
賢くなることができない人間は、生きる場を失う
高度成長期の終わった日本は、一度失敗 、レールから脱線すると軌道修正が困難になるの
「受験」や「就職」に失敗した結果として行き場を失う人が増え社会問題となっているわ.。『賢さ』は決してしあわせになれる絶対的な基準ではない
人間は賢くなることよりも幸福になりたいと願っているの」
「人間にとって大事なものは『賢さ』より『幸福』ということね」